2021. 2. 27
[日用品]
円環
桃の缶詰を開けた。桃にしてみれば、とつぜん頭上に裂け目が入ってくるなり光りが差し込んできた、いったいどういった心境なのだろう。開けた当人は、シロップに浸った桃を、いつからそこにいたの、と皿に移す。
本屋に行った。上から下までぎっしり詰まった書架の間にいる。本の多さに圧倒され、世の中にはだれも開けない本のほうがはるかに多いのだと悟る。書架に挟まれ、見上げたりした、書き手は缶詰になって書いたはず、にもかかわらず日の目を見ないままじっとそこにある。読み手はそこまで手が届かない。
作家は「金槌を持ったまま、男は階段を上っていた」と書き出した。それから三年が経った、作家は「金槌を持ったまま、男は階段を上っていた」と書きつけた、やっと終わった。その場合、一見、始点と終点は結びつくようにみえる、だが出会ったのは始まりにすぎない、作家はそこで、まだなにも終わってはいないことを知るにいたる、三年かけて。やり終えていないかんじにふつふつとする、遠くのほうから話し声が聞こえ、書記のようにそれらを書き留めてみる、書く手が止まらない、声の主に名前が与えられる、それは新しい物語の通路なのか、それとも登場人物は生きつづけている、金槌を持ったまま、どこかで。
パリの美術館の中庭、男と女は、ガソリンを満タンに積んだ車に乗りこんだ、それからガス欠になるまで、円を描くようにぐるぐる走りつづける。昼夜問わず、回転するのはエンジンも同じ、もはやどこから始めたのかもわからない、同じことのくりかえしは、更新されつづけていくのだ、タイヤの痕跡、オイル漏れの軌跡がそれを証明する。反復は重複ではない。ボンネットから煙を吐いている。
北海道十勝、自動車試験場のオーバルコースに行った。車の助手席に乗せてもらう。テストドライバーはぐんぐんスピードをあげた。信用するしかなかったが、怖いとも言えない、窮屈なヘルメットのせいにして止まってもらう。傾斜角の強いアスファルトの上、車は斜めに倒れながら渦を巻くように走っていた、カーブに差しかかると、目の前はアスファルトの壁、遠心力という言葉の深淵がすぐそばまでリアルに近づいてくる、信用が揺らぐ、中心からどんどん外れていく、シートベルトを握りしめた。車は不満げに徐行し、下降する、それから芝生のある側道に停車した。車を降りた、ヘルメットを脱いで息を吸い込む、迫り上がったアスファルトを登ってみる、からだが傾げてコースに立つこともままならない、傾斜をいいことに寝転がってみた。どこから始まってどこで終わるというのか、大きな円周のただなかにいることは頭では分かっていても、部分しか見えてはいない、たとえば、川の上流と下流は一望できないのといっしょだった。雲が流れている。先が見えないことはわるいことだろうか。缶詰のなかの心境。名前を呼ばれて、立ち上がったが、皿に移されるようにからだが傾いてそのまま惰性で駆け降りていた。中心には背けない。
この缶切りは
ガンジー。一に缶を切って開け、二に栓を抜き、三に蓋をこじ開ける、三つの用途を備えた。握りがよく、切れ味も抜群、使い勝手は無理強いなくスムーズである。オープナーといえば、台所の引き出しからいつだって出てきそうなもの、だから買え替えなんてあんまり考えたこともないまま、いつのまにか錆びていたり、ひょっとしたら、肝心なときにどこにやったかわからない、とか。ささやかだけど、存在感、与えてみません? だってガンジーですよ、さあみなさんごいっしょに、「ガンジー」。刃はステンレス、錆びにくい、とにかく頑丈、見るからに形態は機能に依るのみ、武骨な見た目にはわけがあるのです。そうそう、ペンキの缶を開けるのにも重宝します。
商品名 ステンガンジー缶切
ガンジー缶切100番
制作 新考社(埼玉県川口市)
寸法 ステン 幅110× 奥行75× 高30mm
100番 幅80× 奥行60× 高30mm
仕様 ステン 本体 18-0ステンレス
刃部 13CRハイカーボンステンレス
熱処理
100番 本体 鋼板、焼付塗装
刃部 13CRハイカーボンステンレス
熱処理
価格 ステン 990円
100番 495円
2021. 2. 25
[日用品]
イメージの詩
けっこう重いよ、と言われた。抱えたはいいが、思いも寄らない重たさにたじろいで床に戻した。吉田拓郎がカセットテープレコーダーから流れていた。彼女は引っ越すことにした。小ぶりだったし、手慣れたつもりでいた。なにが入ってるの、と聞いたら、わたしの大事なもの、と答えた。ガムテープが十字に貼られていた。それ以上は聞かなかった。イメージを試された気がした。最後の段ボール箱だった。荷台にぴったりおさまったが、なんだか全体的に荷物の少ないような気がした。女の子は吉田拓郎をぶらぶらさせて、じゃ、行くね、と言った。お兄さんが運転席でタバコを吸っていた。音楽が遠ざかっていくのに気づいたときにはもうなにも聞こえなくなっていた。
大事なものがどこにあったかなんて、ぜんぜんわかっていなかった。重たいものを持ち上げるとき、よく思い出す。
このキャニスターは
そう簡単には倒れない。こう書くと、まるで年度始めの陳腐な抱負みたいだけど、すくっと立っているそれを見ているとなんでもない佇まいもまんざらわるくはないな、とおもったりする。なんにもしていないわけではないけれど、なんにもしていないようにじっとしていて、でも妙に惹きつけられるひとってたまにいるけれど、そういうのってどうやったらなれるんだろう。あるひとは、厚みのあるひとと呼ばれ、あるひとは、重みのあるひとと呼ばれるようだけど、そういうひとって、そう簡単には出会えない。というか、大事なことほど素通りして、気づかないだけなのだ。会ったらなかを覗きたい。見えても答えはない。それはわかっている。入っているものがそもそもちがうのだ。
このキャニスターは真鍮管で出来ている。そもそも船舶の配管に使われるそれは、厚みがあって重みがある。信用できる素材ということだ。なにを入れて使うのか。いっそなにも入れないか、ブックエンドという手もあるな。いやいや、用途だけで見つくろうことからちょっと距離をとってみようよ、まずはじっと眺めてみようよ。
商品名 ACTPキャニスター
素材 真鍮丸管、真鍮板、錫(ヘアライン加工)
製造 坂見工芸(東京都荒川区)
デザイン 荒木信雄(The Archetype)
制作 東屋
寸法/重量 ACTP20 径60mm × 高100mm 重量0.8kg
ACTP21 径80mm × 高130mm 重量1.5kg
ACTP22 径100mm × 高170mm 重量2.4kg
価格 ACTP20 33,000円
ACTP21 44,000円
ACTP22 66,000円
2020. 4. 30
[日用品]
日の出
太陽が昇ったとき、ポーリーンとわたしは台所にいた。かの女が皿を洗っていて、わたしがそれを拭いていた。わたしがフライパンを拭いていたとき、かの女はコーヒー茶碗を洗っていた。
「きょうは少しは気分がいいわ」とかの女はいった。
「よかった」とわたしはいった。
「ゆうべ、わたしはどんなふうに眠っていた?」
「とてもよく眠っていた」
と、話はこの先もつづく。これはリチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』(藤本和子訳)のなかの一節だ。どこか不穏で、けれど美しくて切なくて、まるでお伽話のような本。この「日の出」と題された一編もそうだけど、なんの変哲もない書きようが大好きだった。当たり前のことが、どこか当たり前ではないことのように見えてくのはいったいなぜなんだろう。むかーし女の子が貸してくれた。その女の子はベッドの端に座っていて、ふいに読みかけの本を膝に伏せてから「夢ばっかり見てないですこしは本でも読んだら」と言った。そのあと喫茶店に行って「いっぺん言ってみたかったのよね」と言った。「わたしの好きな絵描きさんの受け売り。びっくりした?」したさ。
そういう日常が、あった。「日常」ということばがいまはもっとも美しい。
この布巾は
明治の時代から百十年余、四代にわたってリネンと麻を織りつづけてきた老舗「林与」。その歴史ある機元(おりもと)が丁寧にこしらえた麻布(あさぬの)です。まずは織りあがったまんま、つまり生機(きばた。織りあげて織機から外したあとの、まだ硬いままの布生地のこと)の状態で、紙に包んでございます。開封しましたら、さきにぬるめのお湯で洗っていただき、柔らかくしてから使いはじめてみてください。おっとー、申しおくれました。商品名は「麻布十四番」。番手をそのまま名前にしてみました。「番手」とは糸の太さを示す指数のようなもの。数字が小さくなるにしたがって糸は太くなっていきます。で、この十四番は太番手のほう。その糸で、密度を高くして織りあげていきます(ちなみにこの商品、織機の古参「シャトル機」を使用するそうで、一時間に一、二メートルのゆっくりとしたペースでやわらかく仕上げていくのだとか)。話を戻しますねえ。えーと、糸を高密度で織りあげる、でした、よって吸水性がよく乾きも速い、食器を拭くにはもってこいです、と言いたかったわけで。あるいはぱあっと広げて、洗ったお皿やお茶碗なんかをそのまま置いて、水切りにもよろしいかと。ほら、乾きが遅いと布地って臭くなったりするでしょ? でもこの「麻布十四番」はなにより清潔さがモットー。安心してお使いください。そうだ、番号だけの名前ってちょっと素っ気ないかもしれませんけれど、実のところ、もっとほかの使い方、見つけていただいても構わないかと。そんな気持ちも込めて、「十四番」。使い込むうちますます柔らくなって手になじみ、それがたとえば「キッチンクロス」であろうが「台拭き」であろうが、もっといえば「手拭い」にだっていいし。大判だから包容力も太鼓判。きっとながーいおつきあいになりそうですね。さて、ステッチの色ちがいによる4種類(赤、青、生成り、白)をご用意しました。さあなんなりとお申し付けください。あ、それと。布地にちょこんと小さな輪っかを付けてあります。手っ取り早くフックなんかにひっかかけて、乾かしたりしていただいてもよろしいかと。ちょっとしたアクセント、ということで。
商品名 麻布十四番
素材 亜麻
製造 林与(滋賀県愛知郡)
制作 東屋
寸法 500mm × 700mm
(一回目の洗いで、この寸法になります)
価格 各色 2,860円
※ 発売記念キャンペーンにつき白のみ1,980円
2020. 4. 28
[日用品]
小さな食卓
ふあふあと、泳ぐ箸は行儀がわるい、と母に叱られた。ぱしんと手をはたかれて、箸が飛んだことがあった。父はなにも言わなかった。ただ黙って母の料理を食べていた。なにも言わないのがいちばんこわかった。そんな父を思い出すときまって『小さな恋のメロディ』のワンシーンが出てくる。食卓で主人公の少年が父親の広げて読んでいる新聞に裏から火をつける。燃え上がって穴があいて真っ赤な顔が向こうに見えて、それからが大騒ぎ。いちどでいいから、やってみたかった。おこられてもなんだか楽しそうだったし。小さいころ父といっしょに見に行った映画だった。ほかにもっとちがうのがあったんだろうに、それでもわたしの好きな音楽や映画はあそこらへんから影響を受けたのだと思う。そういえば、父がちゃぶ台を根こそぎひっくり返したことがあった。わたしは箸とお茶碗を両手に持ったまま、さいしょはなにが起こったかわからなかった。ごはんがお茶碗の形のまんま、ぼてっと畳の上に落ちていた。母が声を出して泣いた。母が泣いたのを見たのはそのときがはじめてだった。理由は忘れた。きっと大人の事情だ。ひざまづいてごはんをお茶碗に戻している母を見て、わたしも泣いた。あのころの食器がまだ実家にある。父の大振りなごはん茶碗もあった。当時、食卓には迷うぐらいのお皿なんて並んでもなかった。箸が泳いだのはきらいなものしかなかったからだ、きっと。小さな食卓だった。父の好物だった魚が多かった。父の魚の食べ方はそれは見事だった。骨が魚の形を保ったまんまそれもしずかーに横たわっていた。それを見て見ぬ振りをするのが好きだった。わたしは魚はきらいだ。ましてやきれいに食べ終わったこともない。そこは父に似なかった。父も母も取り立てて言うでもなかった。ようは残さなきゃよかったのだ。とり皿の部類なんてなかった。必要もなかった。あのころを思うと、「とり皿」「とり鉢」なんて聞いて、いまでもちょっと贅沢な気がする。
この皿は
「とり皿、とり鉢。」と申します。轆轤でぐるりとこさえた、まずは懐の浅ーい「とり皿」は。おひたしや漬物をちょこんとのせる銘々皿として。あるいは塩辛、つまみ、酒のあてになんぞ。ときに醤油の受けにだってちょうどよい。いっぽう懐の深ーい「とり鉢」は。鍋物のとり鉢、そりゃもちろんのこと。締めの雑炊にもうってつけ。小腹が空けばチャーハン、スープ。日課のヨーグルト、果物だってお引き受けいたします。食材が、ぱっ、と映えるようにと黒(海鼠釉)、白(柞灰釉)をご用意。「とり皿、とり鉢。」ってお声がけくださいませ。両者ともども朝昼晩問わず、いつなんどきなーんにでも駆けつけます。だって「ご馳走」ですもの、ね。
商品名 とり皿、とり鉢
素材 黒 黒土・海鼠釉
白 天草陶石・柞灰釉
製造 光春窯(長崎県波佐見町)
制作 東屋
寸法 とり皿 径120 × 高42mm
とり鉢 径120 × 高54mm
価格 とり皿 2,750円
とり鉢 2,970円
2020. 4. 24
[日用品]
どうしようもないわたしが歩いている
「来年からは新しい人間になり、新しい生活を送ろう」だって納得のいく句を次々詠んでみたいんだもの。あるとき種田山頭火は大好きな酒を控えてみようと思いたつ。でもだめだった。思うに、一杯やりながらそう書いたのかもしれない。日記『行乞記』である。日付は12月31日。その直後を読めば、こうもある。「ともあれつつしむことだ。ま、三合ぐらいは許されるかしらね」みたいな。そもそもつつしむってことは断つわけでもなかった。だから、1月1日、やっぱり飲んでいる。なんだかおかしい。31日の日付のなかに、好きな句がある。「雨の二階の女の一人は口笛をふく」 なんかいい。このなんかがずるい。
だれだって年のくれにでもなれば、来年からはこうしよう、こうしたい、なんて口には出さないまでもどこか前向きなことを一つや二つ思ったりするものだ。去年のくれ、わたしだってそうだった。
「おだやかに沈みゆく太陽を見送りながら、私は自然に合掌した、私の一生は終つたのだ、さうだ来年からは新らしい人間として新らしい生活を初めるのである。」(種田山頭火『行乞記』より)
「来年から」「来年になったら」とは、この四月に聴くにはどこかかなしい。来年からでいいわけがない。願った今年はちゃんとある。
この盆は
山茶盆。来客の折、茶や御菓子をもてなすときとか、ひとりふたり晩酌やコーヒーなどを愉しむときとか。住まいのなかでときを選ばず重宝する小ぶりな盆です。挽物(木材を旋盤もしくは轆轤に固定して回転させながらカンナで削っていく職人技のこと)で無垢の一枚板を削り出した肌理の美しさを、まずはご堪能ください。欅、栃、杉、松の四種類をご用意しました。どれも板目の美しさと耐久性にすぐれた素材ですので、お好みでお選びください。表面はあえて塗装はせずに無垢のまま。シミなどが残りやすくはなりますが、使っては拭いての繰り返しで、渋みをまして目にも愉しく手になじみます。
商品名 山茶盆
素材 欅、栃、杉、松
製造 但田木地工房(富山県庄川町)
制作 東屋
寸法 径240 × 高18mm
価格 各8,910円
※ 3番目の写真上から、4番目の写真右から、欅、栃、杉、松
となっております。
2020. 4. 14
[日用品]
まだここにはないなにか
なんだかひっかかることがある。だけどそれがなんなのか目に見えない。わたしの居場所はほんとうはここじゃないのに置きざりにされているかんじ。忘れられて、だれもしまってくれない三輪車みたいだ。
なにかが起こるとき、時間も場所も指定なんてされない。そうやって世界では何万回も、ことが起きている。わたしはそれらのたったひとつでも、学習したよ、なんて言えない。
どうしよう。
カーテンレールにかけっぱなしの、からのハンガーが宙ぶらりん。じっと見るとさみしくなるから、パチンと消した。わたしはベッドにもぐりこむ。
『100万回生きたねこ』をむかし読んだ。起きあがってパチンと点ける。本棚をさがす。あった。
「ねこは、はじめて なきました。夜になって、朝になって、また 夜になって、朝になって、ねこは 100万回もなきました」
どうしよう。
わたしも泣いていいのか。
「100万回生きるって、たえまなくお祈りすることといっしょだね」
「だれに?」
「だれ? なにかに、なんだろうね。だれにもわからないなにかに」
ずっとむかしに聞いた。あなたなのか、本で読んだのか。
なにに祈るのかもわからないのに、わたしの唇の先はおのずと動きはじめている。わたしは泣いているのだった。泣いていいのだ。
わたしは三輪車に乗ったまま大きな声で泣いていた。
このフックは
見てのとおりS字型のフック。定番のカタチにすこーし工夫をつけて、真鍮でこしらえました。SはSでもおなかの部分がまっすぐだからぶらぶらしません。まずは、部屋の片隅、長押やレールに引っ掛けてみてください。ほら、もっとほかのなにか、引っ掛けたくなってきます。洋服はもちろん、バッグや帽子など、台所では計量カップやミルクパン、などなど、身の回りのものをかけてかけてちょっとした整理に一役。ちなみに、東屋の「衣桁」にもピタリとハマるサイズになっています。そちらでもどうぞ。
商品名 HOOK No.2
素材 真鍮(角棒曲げ加工)
製造 坂見工芸(東京都荒川区)
デザイン 猿山修
制作 東屋
寸法 長86mm × 幅37mm × 厚3mm
重量 13.5g
耐荷重 12kg
価格 4,950円(5本セット)
2020. 3. 31
[日用品]
そうかんたんにかたづけないでよ
あたしのはなしをあたしのことを
ことばは口に出さないとわからないことが多い。どんなに仲のよいひとにだって、そうかんたんにはとどかないとおもっておいたほうがいい。ありがとう、ごめんなさい、さよなら、またね、おはよう、おやすみ、いってきます、おかえり、いただきます、ごちそうさま。みんなみんな、ことばはいつもそとで生きていく。声になる。それでも、あとになってあのときちゃんと言っておけばよかったとか、だけどもう間に合わないんだとか、そうわかって、くるしくなって、だから胸にしまうだけじゃだめなんだと後悔して。
次なんてないのに。
なんでだろう。くまのジローを見ているとそうおもった。ジローはぬいぐるみだけど、私の目を見ている。
夫がなかなか帰ってこないので、ちがうことかんがえようとジローからはなれてキッチンを掃除しはじめる。
「ことばはかたづけちゃだめなんです。整理されたことばなんていりません。整理してどこにしまったかわすれてしまうような文章なんてぼくは読みませんから」「そもそ余計なものなんてないんですよあなたがたに。なにかつたえようなんておやめなさい。ことばはそとでお散歩したいのです。放ってみなさい」おもしろいこと言う先生がいた。
私たちはいつもいっしょにいてそれがあたりまえだとおもっている。わかりあえる、なんてほこりをかぶった置物だ。無力だ。わかってる。ふりかえるとジローと目があう。おまえのことじゃないよ。水がながれつづけている。スポンジをしぼって蛇口を閉める。時計を見る。
「次なんてないのに」
どうしよう。時間が止まらない。
この箸箱は
たとえば食器棚のなかで、「ここがあなたの定位置ですよ」って、かたづけるスペースをこしらえておいてあげたい。上手にかたづけてはおきたいけれど、かたづけたっきり、出番がなくなってる、なんてそれもちがうし。さっと取り出して、どうせならそのままテーブルに置いちゃえ。そーゆー収納箱、あったあった。箸が取り出し易いようにゼツミョーな角度をつけて、国産ニレの木を削り出しでこしらえたという。箸やカトラリーだけではおさまらない、鉛筆やペンを入れてデスクにだってどーぞ。
商品名 箸箱
素材 楡
※木地仕上げ(写真左)/ 胡桃油仕上げ(写真右)
製造 四十沢木材工芸(石川県輪島市)
制作 東屋
寸法 長280 × 幅63 × 高37mm
価格 木地仕上げ 5,830円 / 胡桃油仕上げ 6,160円
2020. 3. 17
[日用品]
間の因果
ー習慣と思考が刻む間にー
手と道具を持ってして「盛ることと削ること」はなににつけつかずはなれずのいわば有縁の関係ではあるものの、その間がはからずもその手の止まってしまう時間にもなってしまうことがたびたびあって、そのあわいにこそなにかがあることはわかってはいそうなものなのだが、どちらかいっぽうに傾いているような心許ない意識が立ち上がっていることに気づけばそのなにかはたちまちのうちに消えている。そのようなとき、それを壊すひとがいる。見てられないのだ。小学校を卒業するときY先生のノオトに書いてくれた言葉は「自分の顔は自分で作れ」とあってこの歳になってからじわじわと胸に喰い込んでくるけれど顔はまだこれからも変わるものなのだろうか。顔ははたして壊せるものなのだろうか。この顔は通り過ぎてきた矛盾と和解の造作である、眉間のしわを指摘されるたびにそう反駁して煙に巻いてきた。
リルケが『ロダン』のなかでこう書いている「彼は自分の道具の鈍重なあゆみを軽蔑することをしなかった」ロダンはたとえば空想という翼を持ったとしても「それを飛び越す」容易さは選ばない、「自分の道具のあゆみに並んで歩いた」という。「多様性」に惑わされることよりも「永遠性」についてその美しさについてリルケ自身がロダンを通して目を見張るのだった。ときに切り出しナイフをつかって彫と塑を行き交いするジャコメッティ、「私が進歩を感じるのは、肉づけしているナイフを、どう握っているのか、もうわからなくなっているときである。まったく途方に暮れてしまって、でもなんとかつづけることができると愚かになったときそれこそが進歩の好機なのだ」と言った。
ただ、道具に伴走す。
いつのまにか、持たされているもの。なにも道具だけじゃない。習慣は思考にまさることもある。
このナイフは
肥後守。硬い鋼を間に挟み、柔らかい軟鉄でサンドイッチしてこしらえた刃を、真鍮の鞘に収めたポケットナイフである。チキリ(尾)と呼ばれる突起部を押すことで刃を開閉できるため、直に刃面を指で触ることも少なく、さびの原因になる湿気を最小限にしてくれる。刃は両刃になっているので利き手を問わず左右どちらでも自在だ。たとえば、鉛筆を削る、紐を切る、手紙の封を切る、荷物の開梱、アウトドア(釣り糸を切る、とか)、切れ味の良さで活躍必至。自分で研ぐもよし、万能と謳うにふさわしい。
どういうときに使うのかを知り、気をつけ気をつかって使う、道具との付き合い方がある。つねに初心者であることを忘れないでおきたい。
さて、大、特大、ご用意した。それぞれ用途に応じてお求めくださいませ。
商品名 肥後守
素材 刃/青紙割込(鋼、軟鉄)
鞘/真鍮
製造 永尾かね駒製作所
寸法 大 刃 厚3mm、長80mm
鞘 長100mm
全長 180mm
特大 刃 厚3mm、長100mm
鞘 長120mm
全長 220mm
価格 大 2,420円
特大 3,080円
2019. 11. 14
[日用品]
365歩のエチュード
僕はいつも思っていることを思っている。間違いを起こさないために慎重に君のそばにいることを。私は魂が遠くにいこうともあなたのそばにいる。寂しいと言った君の考えは耳元で囁かれたばかりでもう僕は船に飛び乗ろうとしている。そうやって胸元で眠ってしまったあなたの夢は海へと流れ込んでいき私はそこで溺れたまま手をあなたに差し伸べることぐらいしかできない。雨が降っているよ。そうね雨が放垂れて街はびしょびしょに濡れている。フェリーの車の中で僕は前を向いているけれど、明日は後ろだね。軌跡は赤いリボンの解けたように二手に横たわっていく。車の走る音は雨音を携えて明日から昨日へと消滅する。水を運んでいる。ちゃぷちゃぷ両手のひらの上で踊っている。こぼれた涙が胸の上で波紋を広げて白いシーツに染みを作るのは君のことなのか。私なのか。あなたなのか。
困ったことに明日が来ないという噂を聞いて君は少しずつ若返っていった。僕を置いて。あなたを置き去りにして。あなたは私にこう言った。寂しいけど仕方がないね、と。それは一体いつなんだろう。いつ君や僕に明日は来なくなるんだろう、と友人に聞いた。友人は昨日を振り返り、手を振って去っていきながらこう言った。間違いがあるとしたらそれは今日だよ、わかるかい今日という日なんだ。昨日じゃない。私はそれでもあなたのそばにいる。魂が遠くにいこうとも。船は今運河をいく。川の持ち味を最大限使い、船は運河をいく。知っているかい。君の後ろにずっといる。明日が。ほら振り向いてごらんよ。それは落ちていった花びらを回収しながら背筋を伸ばしていく赤い花だ。やだ。あなたは嘘つきだ。世界の嘘をあなたが回収して生き延びる青い空だ。雲が全て撤収した頃には雨はどこにいるのだろう。雨は君の中に充満している。嘘だ。あなたは私を愛していないばかりではなく私のそばを離れない。遠くにいるくせに。旅に出てしまったくせに。
このカレンダーは
365の日々には、364の「間」がある。
その日に思いついた言葉をワンセンテンス書き付けるだけで、だんだん生まれてくるテクストだってある、と誰かに聞いたことがある。そういった、1日分の、ほんの少しの余白を持ち合わせたカレンダーが欲しいな、と思っていた。欲張らない、1日1行くらいがミソだ。予定やトゥ・ドゥを書き記すだけじゃない、だって言葉は1日おきに角を曲がる。自分でもまだわからない、まだ見ぬ明日におどろく。目的だけじゃない、かもしれない。
商品名 2020 CALENDAR
デザイン 立花文穂
制作 立花文穂プロ.
寸法 縦297 × 横100mm(二つ折り)
価格 825円
2018. 3. 20
[日用品]
カタカタ鳴る
序破急の破は、型どおりに物ごとは進まずに破れるから、よって展開はその名が示すとおり開いていく。散歩しているとふと、そんなことが頭をかすめた。坂道を上り切ったとき、その向こうにはなにも建物の見えない、雲が流れる空だけを見たからだろうか。つまり型にはまってもその内容をもってすれば型どおりにはならなくて、意の外へと導いてくれる。その内容とは。まずはいいと胸を張って言えることだ。自分が自分を褒めてあげられるすなわち「私」のことである。型あってしかり、型から入ってしかり、けれどもその先があることを「私」は分かろうとすること、「自分を疑えってことだよ、〇〇くん」そのひとはこうも言ったのだった。型におさまればただの型、しかし型なきものはすぐにガタが来る。うまく言うなあと思ったのだろう。グラスの水を一口飲んだ。いつもの照れかくしだ。規則を駆使して自由になる、という言葉がある。規則を無視して、自由、なんて言ってると痛い目にあう。そういうことを分からないままデザインというコトバに足を載せてふんぞり返っている人。ふと静かになった。声が途切れた。「なあ。〇〇くん」僕はそのひとを見た。そのひとは通りに目をやっている。「きみにアートをやらせてるおぼえなんてないんだよ。わかるだろ、そのぐらい」グラスが音を立てた。カタ。膝がテーブルに当たった。ガタ。俺の言うとおりにやれって、そう言えばいいのに。俺が規則だ、俺の言うとおりにやってれば間違いはないって。遠回しな言いよう、だけどけっきょく溢れ出す言葉に追いつけなくて。ほんとうのところ人と話すのが大の苦手なのだ、それを悟られまいとするのか、ときに横柄に見え、それでも言葉は選ぼうとする、でも二進も三進もいかなくなって。そんなときどこかに手とか足とかぶつけてしまう。腹が立つひとだった。〇〇くん、と言うときはだいたい怒っている。そもそもひとの目を見て話さない。だけどそのひとは、僕をいつもかわいがってくれた。時折諭す、なだめる。そして褒める。褒めるときは大阪の言葉が全開になる。照れるのだやっぱり。でも全開で褒める。こっちも照れる。不意にごはんに誘う。まったく飲まないひとなのにずっとつきあう。歌が上手かった。『ムーンダンス』を流暢な向こうの言葉で歌う。キザ、ではおさまらない、「すごいなあ」って声を漏らした。そういう場に流れてしまったとき、それでも頑なに歌わない人がいるけれど、そんなふうにそのひとも見える、だけど歌うときはしっかり歌い、でも歌ったあとは何ごともなかったかのように座る。僕がそのひとのことを大好きだったのは、そのひとが見誤って(たまにだったけれど)、失敗したとき(プレゼンとか)、そういうときちゃんと目を見て謝ってくれる。そのときだけ目が合う。それ以外の言葉は付け加えることもしない、ただ謝る。目は嘘をつかない。そのひとの目は鋭すぎるのだ。その自覚もあってなのか、懸命にもみえるように目を合わせようとしなかったのかもしれない。だんだんそのひとがかわいらしくも思ったのだった。目で、人を傷つけやしないか、そう思っていたのだろうか。
つづきを読む >>
2017. 12. 27
[日用品]
絵を前にして
何んでもかんでも手当たり次第に美術展に行っていた。若かったからどんなものでも見たいと、いや、今のうちに見ておいたほうがいいよなあ、なんて錯覚に縛りつけられていたのかもしれない。今はもうそういうこともなくなっていて、美術館から足は遠のいた。思えばあのころの「何んでもかんでも」持ち込んでくる泡みたいなご時世にまんまと足を取られていたように思う。本棚の片隅にそのころの図録が並んでいるのを見て、何んの脈絡もない背文字に、何んの感慨も浮かんでこない。マチス、ルソー、ポストモダン、ダダ、構成主義、コスタビ、フォンタナ、マグリット、横尾、ゴッホ、ヘリング、フリーダ、ボロフスキー、大観、ロンゴ、コクトー、コクトー、シーレ、靉光、シーレ、世紀末、クリムト、ピカソ、ヌーヴォー、ルノアール、デコ、ワイエス、未来派、忠良、1920年代、ロココ、フジタ、ピロスマニ、エトセトラ、エトセトラ、きりがないんだけれど。シーレなんてそういえば何度も足を運んだなあ、なんてぐらいのことは覚えていて、そのころに付き合っていた女の子の顔がうっすらと思い出されるし、『抱擁』を前にして二人でずっと立ち尽くしたことも忘れてはいないけれど、なぜか背中越しの光景としてしか思い出されないのは、二人で見に行った、という行為そのものに酔いしれていたのだ、きっと。その女の子で思い出されるのは、コクトーの交流のあった作曲家の演奏会で、若杉弘が指揮だったと思うけれど、その子は最後まで僕の横で眠っていた。で、ちょっとだけその子のことが嫌いになった。え、興味あったんじゃないの? そんなことに傷ついて、そんなことで機嫌が悪くなって、後々にそんな些細なことが別れる原因になるのだった。やっぱり若かったのだ。というより薄っぺらいなあ。くだらないことがくだらなくない理由としてまかり通ったころ。ただただ懐かしい。あの白髪の指揮者ってコクトーにどことなく似てなかった? なんて言葉をずっとずっと後になって、もう何んの関係もなくなったころに本屋でばったり会って言われたものだから、何んで今? と思ったし、その場所がよく二人で並んで背文字を物色した似たような趣味の書架の前だったのだけれど、そんなふうに並行しながら、だけど別々に時間は経っていたのだった。交わる時間と場所が根っこから間違っていたのかもしれない。
こういうこと、思い出して文章にしていると、台所に立つ妻の背中を見ながら、何かとっても悪いことをしているような気がするのだけれど、さて彼女とは一体何を見てきたんだろう、と考えれば、たしかにいろんなものを一緒に見たのだけれど、二人で見に行った、という行為そのものにもはや酔いしれることもなく、ただ横にいてくれて、同じものを見ていることが当たり前になっている。ん? 当たり前、かあ。「当たり前」って当たり前に書き付けてしまう自分はやっぱりずーっとだれかに寄りかかっちゃってんだろうなあ。と、書きながらこんな話を思い出した。男と女がベッドで最初で最後の一夜、二人の間には抜身の刃劍が横たわっていた、だとさ。君と二人でいつか、『抱擁』を見ることができたら、僕はとっても嬉しい。なーんて、「え? なに? 聞こえないんだけど」と、バッサリ、やられそうだ。
このハサミは
台所を前にして。当たり前のようにそこにありたいツール。料理バサミである。もっと言えば「食卓」に必要不可欠なミッションを万能にこなしてくれるのだ。肉や野菜、乾物など、食材を切るのはもちろん、缶詰を開ける、栓を開ける、ネジ蓋を回す、エトセトラ、エトセトラ。刃部およびハンドルともども硬度の強いステンレス素材でこしらえてあり、当たり前にそこにあるために、耐食性、切れ味の持続が持ち味だ。「クラシック」と銘が打たれているとおり、1938年から世界で愛されてきたロングセラー。手の届くところに、一挺。是非に。
さて、来る年も良いスタートを切ってくださいませ。切に。
商品名 クラシック料理バサミ
素材 刃部/ハイカーボンステンレススチール
ハンドル/ステンレス鋼(サテン仕上げ)
製造 ツヴィリング(Zwilling J.A.Henckels)
寸法 刃渡り/90mm、ハンドル/110mm
重量 149g
価格 18,700円
2016. 12. 27
[日用品]
空は青く明滅する
駅前の巨大なクリスマスツリーが解体されている。夕刻その光景を見上げながら角打ちで一杯やれば終電である。電車は急行明日すら早く来る気がしていつの間にか近所の公園を歩いていた。家に帰ると映画は点けるが見ているようで寝てしまい明るくなれば今日がある。さびしくはないかと誰かの声が聞こえて歯ブラシだけがその声を打ち消すみたいにせっせと動いている。今日は休みだと思い当たればいつの間にか近所の公園を歩いていた。公園を抜けるとヘルメットをかぶった作業員が梯子にのぼって電柱の上にいる。その光景を見上げながら取り付けられるのは監視カメラだとわかってひとたび道行きを眺めると等間隔に梯子にのぼった人がつづいている。取り付けるということはきっと何かが起こりそうな予兆を意味するし何かが起こりそうな場所にカメラを設置するのは人である。カメラを見上げながらその先のずっと向こうには空があってこっちを見下ろしている。何かを映しては消してまた映す。もう僕らじゃない何かも映しては消してまた映す。
このワインクーラーは
見てのとおり木製である。木製がゆえに熱を伝えにくい。よって氷を溶けにくくして万事酒を冷やす。そのくせ持っても手は冷やさない。
木材は木曾椹である。特段椹は水に強い。強いがただし留意を飲み込んでご使用いただきたい。まずは水を充分に吸わすこと。手始めに水を満たして置いておく。すると椹は膨らんで密になる。よって水漏れを防いでくれる。表面に水滴も付きにくくする。手間のかかる道具だが手間をかけて永くお付き合いできるすぐれものだ。水を吸ったり乾いたり。そうだ。生きている。道具も暮らしている。
タガはめったやたらに外れない。が万が一はいつでもお声をかけていただきたい。お直しさせていただきます。
商品名 ワインクーラー
素材 木曾椹、銅
製造 山一(長野県木曽郡)
制作 東屋
寸法 径186mm × 高230mm
価格 15,400円
2016. 10. 31
[日用品]
部品
誕生日の贈り物に妻からガットギターの弦巻きをもらった。壊れたまんまギターは放ったらかしになっていたのだった。さっそくドライバーで左右を外し寸法を見計らってネジ穴を開け直す。万事取り付けて、弦も張り替えた。
チューニングしてみた。ぽろんと弾いてみた。壁に立て掛けてみた。真新しい弦巻きが金色に光っている。うれしい。多分放っておかれたギターよりもうれしかった。
ひとは、新旧雑多な物語の寄せ集めでなんとか立っていられる。どれが「私の物語」だなんて言えそうにないし、「これが全部」と語れそうもない。
立て掛けられたお前はどうだ。たとえば新調の気分とか。
ギターを構え直して、運指の練習をする。クロマチック、ドレミ、コード、アルペジオ。もっと練習すればきっと「ギターは私の一部だ」なんて言う日が来るかもしれない。「どの口が言うの」と妻に言われるのがおちだけど。
ともあれひとはずっと部品を必要とするものだ。何より贈り物が部品なのだった。ぽろろろろろん。
この薬味寄せは
すりすりしたあとの名脇役である。
おろし金の上の生姜や山葵をどうすれば気持ちよく寄せ集めることができるのか。指先なんてもってのほか、箸にも棒にもかからない。そもそも「薬味寄せ」なんてなかなか聞かないけれど、ご家庭のおろし金とタッグを組ませてみれば一目瞭然である。
すりすりしたあと、すみずみ箒みたいに寄せ集め、ぎざぎざの爪に絡みついたものも逃したりしない。理由は竹にある。実はこの「薬味寄せ」、茶筌(ちゃせん)からこしらえた。しゃかしゃか茶を点てるあれである。茶筌は、竹の皮を三十二本、多いときは二百四十本ほど細かく割いて穂をつくる。その工程で一本でも折れてしまうと茶筌の用は足さない。失敗作はあえなく燃やされるさだめである。そこに目をつけたのがこの「薬味寄せ」だった。失敗は形を変えると生き延びる。どこか教訓めいた話だけれど、その失敗を三つ四つに割き直し、穂先をすこーし整えてみる。竹ならではの腰の強さとしなやかさ、茶筌の本質をそのまんま引き継いで、生まれなおす。形態は機能に準ずる、というけれど、生まれは茶筌、名は「薬味寄せ」とあいなったわけだ。
あると便利、これもまたほんのちっちゃな生活の部品なのだ。
ちなみに、おろし金のお掃除にも一役買います。
商品名 薬味寄せ
素材 淡竹、絹
製造 翠竹園(奈良県生駒市)
昇苑くみひも(京都府宇治市)
制作 木屋
寸法 長80mm × 幅20mm
価格 770円
2016. 9. 29
[日用品]
姫
母はずっと「姫」と呼ばれていたらしい。伯母から「あの子は姫だからね」と耳打ちされたこともある。小さいころだったからそのときの状況は思い出すことができないけれど、あれはきっと嫌味だった、蚊を払うように耳はちゃんと憶えている。父からも生前「あのひとはむかしっから姫じゃけえのお」と呟かれた。このときのことは今も憶えている。母は石みたいに炬燵で固まっていた。だれとも目を合わそうともしなかった。ま、詳しい話はよしておくけど。要は、お転婆でわがままでそれでもまわりからは大切に扱われて、持ち上げられるままいつのまにか先頭を歩いている。そのくせだれかいないと何んにも務まりそうにない。そんな母が年を取っても姫でありつづけるのは、想像に難くないことだ。ひとはそんなに変わらないし年を取ればなおさらのことである。けれど、姫もからだが弱れば、お転婆はただの婆である。家から一歩も出ないとなれば、城の上にずっと幽閉されているみたいで悲しい。下から「姫、姫!」と叫んで、たまに窓から顔を覗かせる、ちょっと安心する、という繰り返しだ。遠いとなおさら姫の声はか細く聞こえる。
この夏帰省したときに、朝、父の部屋からテレビの音が聞こえる。母は違う部屋でバラエティを見ている。「なあ、あっちテレビつけっぱなしじゃん」仏壇のあるその部屋を開ける。『題名のない音楽会』をやっていた。父が毎週欠かさず見ていた番組だ。線香の残り香を嗅ぎながら不意に、父がそこにいる、そこで聞いている、届いている、と、はっきりと分かったからびっくりした。振り返ると母はバラエティで笑っていた。
あのとき、「たのんだぞ」とかたく握り返してきた手は「姫のこと」に違いないと今になって思い返すのだ。「たのんだぞ」なんてありきたりだけど実際言うんだ、って思ったよ。父の写真の顔が姫を目で追う爺のそれに見えた。
この姫フォークは
ただならぬフォークです。あるときは黒文字のように、あるときは爪楊枝のように。けれども心地のよい重みが、口に運ぶたんびクセになる。箸が止まらなーい、ならぬフォークが止まらないのだ。
素材は真鍮。使い易い形を見つけると、それはフォークの原形、ヨーロッパの昔むかしに還っていきました。洋のようで和の面構えにもなる。小さいけれどやっぱりただものではおわらない。
姫、ヒメと 爺が呼ぶ声 秋の口
和菓子に果物、チーズやオリーブなんかにも合うあう。8センチちょっとだけど、ながーく使っていただけるその名も「姫フォーク」。くれぐれもどこに行ったか探さぬよう、目のつくところにお見知り置きを。
商品名 姫フォーク
素材 真鍮
製造 坂見工芸(東京都荒川区)
デザイン 猿山修
制作 東屋
寸法 長87mm × 奥行6mm × 高5mm
重量 5g
価格 5,500円(5本セット)
2016. 8. 8
[日用品]
萬古の人と、本
民のための民のこしらえる器、「民陶」。ふだん馴染みのない言葉の背後には萬古焼の源がある。
庶民のためのやきものは三重県四日市で産声をあげた。江戸を発露に「古萬古」、「有節萬古」を経て明治に入るとその窯業はひとつの『産業』として敷衍し地場に根付くことになる。平板なもの言いをかりるなら「フロンティア精神」がその『産業』を支えた。フロンティアに活路を見出だす理由は、四日市の周辺に京都や瀬戸、美濃、常滑など既存の窯場が犇めきあっていた必然がある。しかし陶土の調達もままならない環境の裡からどのように「萬古」然の独自性をむくむくと発展させ、その地に拘泥せず海の外にまで裾野を広げることになったのか。この本はおもに明治から昭和を跨いだ成長期における「萬古」の力と知恵、その変遷を鮮やかに開陳する。
書いたのは、内田鋼一。四日市を根城に作陶する孤高の人だ。内田はとくに『産業』期における萬古の何にも媚びない造形美に惚れる。伝統を凌駕し、あくまで生活圏内から引き出された自由な創意の虜になる。内田も四日市で築窯し独立を果たしたが、数奇な所産を遺した名もなき陶工たちの眼が自身の眼と重なり合うにつれ、現代萬古の風前の灯火に危機感を抱くようになる。四日市への恩返しにも想いを馳せながら、そして何より「萬古」を愛するがゆえに、昨年、まるで火入れのようにいきおい私財を投げ打って萬古オンリーのミュージアムをこしらえた。デザインを視座に収集し、アーカイヴするプロセスはまだ途上にあるが、萬古がそうであるように「やきものになにができるか」を問いつづけ、発信する拠点となっている。
その彼が、たとえば萬古を「民陶」に括ったといえる秦秀雄や萬古のデザインに多大な影響を与えた日根野作三ら「萬古のキーパーソン」を語り、たとえばデザイナーの皆川明や小泉誠、蒐集家の舟橋健たちとの対話を積み重ね、膨大な写真資料を携えて、アングル、サイズ、ポジションを自在に変えながら萬古の魅力の伝播を試みる。やきものをこしらえる人がアツアツの一冊をこしらえたのだ。タイトルは「知られざる萬古焼の世界」。創意工夫から生まれたオリジナリティと後人へのヒントが真摯に刻まれている。
この一冊は
三重県四日市市、萬古工業会館にある「BANKO archive design museum」の公式書籍である。イラストを交えた萬古ヒストリーや、萬古そのもののカタチや色、食の設えなどなど、眼にも愉しい一冊になっている。
作品名 「知られざる萬古焼の世界
ー創意工夫から生まれた
オリジナリティー」
著者 内田鋼一
装幀/デザイン 山口信博、細田咲恵(山口デザイン事務所)
写真 伊藤千晴
編集 藤田容子
編集協力 小坂章子
印刷/製本 大日本印刷株式会社
発行 誠文堂新光社
サイズ 247 × 185mm
ページ 240頁
価格 3,850円
2016. 5. 18
[日用品]
弟
きみのことは知りすぎているひとである。だからますますわからないことがふえつづける。きみがこれからどこへ行くのかぼくにはわからない。わからないのがたのしいときみのことを思えるようになるにはこれだけの時間が必要だったのか、積み重なった紙々をかたわらにお茶をすすっている。父さんが几帳面にたくさんの紙を抱えて断裁機にセットして刃を下ろす、あのうしろ姿も遠い記憶だ、そうだろ。きみの背中を見ながら、たまに声をかけるよ、お茶でも飲みにいこうと。もっと見えるように次の本を掲げてここにいるよと手を振ってくれ。
Leaves
立花文穂のこしらえる本はおわらない。おわりかたを知らないのか、おわらせないのかわからない。はじめかたを知らないのか、はじまりがどこなのかもわからない。そんなものつくることはなかなかできそうにない。仕様もなく仕方がないことなのだ。
彼はひとたらしである。人間も時間も空間も巻き込んだ巻物だ。巻かれることをこばんでこばんでこしらえた世界。ぺらぺらとはめくれそうにない。
作品名 Leaves 立花文穂作品集
作 立花文穂
印刷製本 シナノ書籍印刷
サイズ B5判変型(240 x 200 mm /並製本糸縢り)
ページ 320頁(オールカラー)
発行 誠文堂新光社
価格 3,850円
2016. 4. 11
[日用品]
餃子の包み方
繰り返しの所作を目前に照らし出し、注視すればするほど目が離せなくなるように。
ずっと見ているとそのことがそのことじゃないことに変わっていき、何か別のもっとほかにわけのあることに見えはじめてほしい。そもそもそのことがなぜ繰り広げられているのか、もっと言えば何がそこに閉じ込められようとしているかもわからなくなればなおさらいい。
本来そういうことじゃなかったような、あるとき、すべてはまちがっていたんじゃないか、といったようなこと、それ以前に真偽を問うこと自体が意味をなくし、目的は見失われ目的という言葉がまだ見つからなかったよき時代に戻ってふと振りかえった途端、そこに見えるものはたぶん今まで見たことのないような、それが旅、と片付けようとする言葉の旅さえもやめてしまいたい。そのときあなたは立ち止まっているはず。それこそ今まで味わったことのない感覚で、ただ単に。
たとえば自分の名前を何度も何度も書いていくと、書き順の虚構に不安は募り、名前という言葉そのものの疑いを疑い、文字がそのすがたを忘れ去って名前が付けられる以前のわたしと向き合っていることも気づかないまま、すなわちそうした瞬間が訪れることが待ち遠しいと感じ入るまではまだ序の口ではあるにしろ、わたしはわたしから離れてみたいという欲望の皮ぐらいは摘んでいる、そうでしょ。
その手であなたが遠い人に手紙を書いていたということ、その手であなたは大切な人の手を探しにかかっていたということ、その手を上げて大きく振っていたあなたがいたということ、そういったはるかむかしの遠い記憶が向こうからやってくることを待ち侘びて、いつのまにか、同じ方向に向かってみんな並んでいる。
このお酢入れは
餃子は酢だけ。醤油も辣油もいらない、と言う人がいた。
このお酢入れは長崎県波佐見でこしらえた。同じ九州の熊本天草で採れた天然陶石が素地の、磁器である。前回紹介した「醤油差し」同様に液垂れのない切れのよさが使い勝手の看板だ。「醤油差し」の頁をご参考にしていただきたい。
名は「お酢入れ」だが、云ってしまえばなんだっていい。前述の「醤油差し」で量が心許なければ、ちょっと大振りな、それこそ醤油差しにもどうぞ。
何を付けようがかまわないでしょ、とその人が言った。いちいち指図しないで、って。自由に食べたいの。叱られた。
先の「醤油差し」と対で使えばなおさら食卓を明るくしてくれる。あ、これもまた大きなお世話、かもしれないが、焼いてもみたくなるのです。
商品名 お酢入れ
素材 天草陶石、石灰釉
製造 白岳窯(長崎県波佐見町)
デザイン 猿山修
制作 東屋
寸法 幅92mm × 径65mm × 高81mm
容量 120ml
価格 2,530円
2016. 2. 29
[日用品]
はいチーズ
このごろはそんなふうに言わなくなったのかしら。どこでもかしこでも容赦なくシャッターまがいの音がするようになった。この合言葉ももはや死語なのだろう。それにしてもところかまわず万事がオーケーと誰が決めたのか、「撮るよー」の合図からはじまったあのころの『一枚』っきりがなつかしいのだった。
「ところで、あの<はいチーズ>とはいったいなんだったんだろう」と友人が言った。ようはタイミングの話である。<はい>で撮影者が投げかけて、<チーズ>で被写体が応える(復唱する、という意見も捨てがたかったけれど)、そこでシャッターを切るのは<チ>の瞬間であるはずなのに、<ズ>でカシャ、その間の悪さが口角の上がった笑顔を通り越し、口のすぼんだなんだか判然としない表情に、あ、今のはちょっと、と気に喰わないまま置いてけぼりを喰らったようなときもあったと言うのだけれど、<はいチ/カシャ>と<はいチーズ/カシャ>のちがいは出来上がってきた写真が露わにするのであって、別に楽しみにしていたわけじゃないけれど、という体でそれでもなんだかんだで気にはなって見るのだけれどけっきょく写りのせいにして、おれはそもそも写真嫌いだーなんて写真の裏に焼き増し希望の名前も書き込まないまんま、思い出なんかいらないテキな面をしてみることもあった「あったあった」まあもとはといえばまるで号令のような掛け声ひとつで笑顔をこしらえようとしていたこっちもこっちなんだけど、と友人は前置いてから「しかし写真のうまさは今もむかしも数少ないシャッターチャンスであることにかわりはないよな」とあくまで被写体には責任のないことを、とりとめもなくケータイをかざす女の子を横目に見ながらそのくせ声を張って言うのだった。
<はいチーズ>は、さりげなく差し出されるチーズに添えられた言葉で善しとしよう。「はいチーズ」そう言われて笑顔が自然と生まれればこれもまたタイミング、なのかもしれない。よって、酒もうまくなる。なーんて、友人はといえばメニューをぱらぱら開いてから「あったあった」と笑いながら店員さんを呼ぶのであった。
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2015. 12. 28
[日用品]
じゃらじゃら
ポケットに突っ込んだ小銭から、五円を取り出し、ほうり投げる。手を合わせてみて、五円でどうかしてもらおう、という魂胆がどうかしてますか、と訊ねている。もちろん神様は答えてくれない。問いは私が立て、答えも私が見つけるしかない。
しばらく着ていなかった服のポケットから小銭が見つかるときがある。そのままコインケースに入れるが、人知れず眠っていたその小銭も不意に起こされたうえ、どこか遠くへ旅立たされてしまった。
莫大なお金(こんな言葉はめったに使わないけれど書いてみる)が動くことなど、私には皆目見当がつかないが、小銭の出入りとなれば日常の目に触れざるを得ない。悲しいかな、増えることはコインケースの中だけの出来事である。
後ろに列んでいる人たちの舌打ちもなんのその、カウンターに一枚二枚と小銭を列べて買い物をする。大きなお金を出すときは、殆ど両替の類いにまかせてしようがなく、である。よって小銭は増えつづけ、じゃらじゃらと音にうなされ彼らは不眠不休で忙しない。
コインケースがパンパンになるのはみっともない、と妻によく叱られる。しかし、今のところ私の重みといえば、右ポケットのコインケースぐらいしかない。
「塵も積もれば山となる」ほんとうですか、神様。
型くずれしないコインケース、年を跨ごうが必需品である。
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2015. 10. 26
[日用品]
行の間
ある物書きのひとが、昔はまだ原稿用紙でやりとりしていたころのことをあげて、編集者の心遣いなのか執筆の依頼のたびに原稿用紙を頂戴することが多い、と書かれていた。18文字×◯行とか字数の決まったものであれば、支給されるそれはたしかに重宝するものだけれど、なぜ「紙」だけなんだろうか、という疑問を投げかけられていたように思う。
「ぺ、ペンは。物書きに必要なものといえばペンがなくては書けないではないか」とまあそんなところだろう。
今はほとんどがワープロソフトで、もはや手渡しするまでもなくメールひとつで事足りてしまう。紙はおろかペンさえもいらない時代なのである。私はいまだに手書きが主流で、勿論そのあとしゃかりきにキーボードで文字を起こし直すのだけれど、ここにかぎっていえば、字数もまちまち(字詰めも採字もないまま)、つらつら好きなだけ好きなときに、と言えば依頼主にお叱りを受けるのだった。
さて、件の物書きのひとはこうもおっしゃっている。用紙やペンだけでお茶を濁されても納得がいかない、ものを書くのは部屋であり、つまるところ快適な家だって支給してほしい。なるほどなあ、こんな私だって、願わくば書き心地のよい家でもあったらなあ、と、こうして書きながら、いや、けっきょくだらだら何も書かないで広ーいリビングかなんかで床暖房なんかついてて寝転んで好きな本でも読んでいる絵が浮かんできて、そりゃないな、と夢のまた夢である。まずは、四角紙面。400字一間の部屋をどう使おうか、なのだ。そうだなあ、たとえば行間のある部屋が好ましい。とはいえ、勝手に<解釈の鏡>を手当たり次第貼り付けて広ーく見せるみたいな、隙間に乗じて汚れた足で踏み歩く、みたいな、「あんな人たち」は願い下げである。
こんなふうに読んでほしい、と思ってみても、そんなふうに読んでしまうのかあ、が起こるのもまた文章。とってもあたりまえなことだけど、あたりまえなことほどやっかいなものはない。見える言葉に、どれだけ見えないコトバが宿るのか、なんてことを考えはじめると、真っ白な紙を目前にして何も書けなくなる。
常日ごろ、部屋数を増やすだけの陳腐さを戒めてはいても、やっぱりうなぎの寝床になりそうなので、ここら辺で片付けることにする私なのだった。
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2015. 9. 29
[日用品]
掛け替えのない人
替わることのできない人が、私にはどのくらいいるだろうか。父や、母や、友や、と書けば、その順序に戸惑い、親や、妻や、と書き直し、兄弟を付け加えれば、友は押しのけられ、もうずいぶん前からするりと衣桁から滑り落ちたタオルのようになっていた。
私のいなかには「相生」という橋があって、ちょうど真上でそのむかしに爆弾が炸裂した惨事の中心「爆心」である。七十年が経った今、それでも頑なに紐帯の役目を担いつづけ、此岸から彼岸へ、あるいは彼岸から此岸へと、ふたつをひとつに固く結びつけてくれている。帰ってくれば、いつもその橋の歩道の中間部に佇み、ドームを左手に欄干にもたれたまま、誰を待つわけでもなく中州の先の「平和」を眺め、それでも亡父かなんかが右岸の向こうからやってくる気配に身を置いたりする。
「ピースを失えばもはやパズルの体をなさない」「もう友だちは新しくいらない」「からだは堪えているのに心が追いつかない」私は足もとに落ちたタオルを拾い上げて「帰省することがせめての空白を埋めてくれる」なんて、それらはもっと以前の若々しいころの、もっともらしい科白で、あっけなく生温い風に飛ばされるだけである。
路面電車のレールは光りの線を貫いて、川面も、夏の緑も、きらきら輝いている。私はタオルを一息振るい、汗を拭き、首に掛け直して歩きだす。振りかえると妻が人を追い越しながら微笑んで私を追ってくる。
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2015. 5. 1
[日用品]
N氏の万年筆
そのひとは、背広の内ポケットから万年筆を取り出して、くるくるっと回転式のキャップを外すと、白い紙にささっと女のひとの絵を描くのだった。うつむいた横顔の、インクの線がたちまち光りの輪郭に見えはじめ、唇が動いたようにも見えた。
N氏がいなくなって、一年がたつ。N氏が私に残していったものは計り知れず、私は今でも彼の背中を追いかけて止まない。
彼が描いたコンテの何枚かが手許にある。なかでも女のひとを題材にしたそれは、ほんとうに美しい。化粧をしたひと、すっぴんのひと、夏服のひと、コートを羽織るひと、描き込むこともないままに、ブルーブラックのインクは彼女たちを凛と色のついた女のひとにする。ああ、こんなふうに颯爽と実在のひとに演じさせてみたい、こんなふうに躊躇なく映しとることができたなら、どんなにかいいだろうに。私は彼にずいぶん嫉妬したものだ。
まだ若い頃、万年筆を手に取るようになったのは紛れもなくN氏の影響である。せめても真似ができるのはそこだけなのだった。N氏のように迷いなく速やかに線を走らせることもできない。人前で描くこともはばかられ、余計な線を重ねる時間だけが過ぎていった。
N氏は、フレームを切り分けながらその内側に場面を描きつらねる。或いは、ざっと大枠で場面を捕まえるとその上からフレームを切り、寄って見せる。画の両翼には、台詞やキャプションが書き加えられ、彼のペン先から一気にストーリーが開かれる。登場人物が喋りはじめ、ピアノが鳴りはじめ、ナレーションが聞こえはじめる。
「どうだろうか、こういうの」
N氏はそう言って、私に差し出すのだった。
ずいぶんむかし、私に手紙をくれたことがあった。文面にはこう記されている。
「マイナーのなかのメジャーでいいじゃないか。君の誇れる場所である」
インクの匂いはもうしない。けれども色褪せることがない。
N氏がいなくなって、今もぽかんと穴が開いたまま、彼の絵を胸にぐっと押し当てて塞ぐのが精一杯だ。
あの万年筆は、キャップの閉じたままなのだろうか。会いたい。
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2015. 3. 30
[日用品]
こういったケースの場合
四月に近づくと、ときどき目にするのが、アパートやマンションを下見するひとたちである。今の「わたし」の生活には、どんなカタチで、どのくらいのスペースが見合うものなのか、今の「わたし」はともかく、これからの「わたし」のことでもあるから、今現在持っているものを基準にするよりも、焼くなり捨てるなり一新した「わたし」を嵌めてみるほうがよいだろう、とか、もちろん財布と相談しながら、思案のしどころである。外見を気にするひともいれば、外見よりも中身だというひともいるし、新しいほうがいいというひとや、古くても気に入ればそれでよいというひともいて、カタチもサイズも「わたし」の心地のよさの判定はひとそれぞれである。だから仮に、何びとかと同居、ともなると、ますます選択の前で足踏みを繰り返す。なにも住まいにかぎったことではなく、たとえば私たち夫婦などは、ありとあらゆる選択を前にして、つねづね途方に暮れるばかりなのだった。
散歩をしていると、目の前に車が止まって、後ろから降りてきた若い男女のふたりづれが、運転をしていたスーツのひとに促されながらそばの大きなマンションに入っていこうとするのだけれど、間取りの書いてあるらしい白い紙をひらひらさせている女の子のほうがすっと上を見上げるなり、すかさず音を立てて紙に目を落とすと、ちょこんと首を傾げて男の子の顔をまじまじ見るのである。ふたりは新婚なのかもしれないし、それより以前の、恋煩いなのかもしれない。何箇所ぐらい物色してきたのか、ひょっとしたら見過ぎて疲れてしまったのかもしれない。どこか重い足取りの、彼らがそのマンションに入っていったあと、私たちもつられて見上げてみて、いいところじゃない、なんて目を合わすのだけれど、あの女の子の顔には明らかに「外観が気に入らないし」と書いてあった。若いふたりの理想は交差しながら(ひょっとすると平行線をたどったまま探しまわっているのかもしれない)、見る前に跳ぶわけにもいかず、さて、どこで折り合いをつけるのか、これからの「わたしたち」の道のりは険しく、厄介な枝葉をぽきぽきと折りながらそれでもともに手を取り合って歩いていくしかないのである。
「生活のサイズ」を算出するのはむずかしい。けれども算段ぐらいしないわけにもいかない。身の丈だとか、標準だとか、いろいろな言葉の取り巻くなかで、心情はそれでもすこーし背伸びをしてみたくもなる。そもそも基準とか定番というものが、得てしてしっくりこないことのほうが多くなった気がする。平均値なんてもはや私の辞書から消えてしまっているし(最近、辞書そのものが見当たらないのだけれど)、ましてその基準やら定番とはいったいどの辺りで謳われているのかも見えてこない、ちりぢりの世間になってしまった。つながることが大手を振っているのは、それだけぶつぶつに千切れてしまったからである。手を振っても未だにだれも呼び戻すことができない場所もあれば、たまには手をつないで散歩する私たちがいるような、たわいのない場所だってある。
「小さいほうでいいんじゃない」
「でも、大は小をかねるっていうじゃないか」
私たちはけっきょく何も買わずに、散歩と称して家に帰っているわけだけれど、ベッドカバーを買うにはきっちりベッドのサイズから算出できることだし、この期に及んで、小さいの、大きいの、という会話は生まれてこないはずだった。だって「十年もたてば、ベッドもけっこう大きくなるものなのねえ」なんてこともない。それなのに、店のひとに、セミダブル、ダブル、クイーンとか言われて、はっとして、なんだったっけ、とかになって、それでもふたりして、こんぐらい、とか、いやもっとあったとか、両手をいっぱいに広げて往生際のわるいところをひとしきり見せて、けっきょく退散したのである。
「さすがにカタに嵌まらないわけにもいかないか、ベッドカバーは」
つづきを読む >>
2014. 8. 14
[日用品]
お月さま
満月がより大きく見えることを「スーパームーン」と呼ぶらしい。日本語ではなんというか。「名月」に括っていいのだろう。九月にまた見えるらしい。月が地球にぐんと近づいてくる。もとより名月なら仲秋になる。
ときたま、スーパーじゃないのに大きく見えることがあって、あれはどのひとにも大きく見えているのか、と思ったりすることがある。色もそうだ。赤く見えたりすると、みんな赤く見えているのか、気になる。そばにひとがいれば、同じに見えているか、たしかめてみる。「ほんとだ」と明るい声で返されると、なんだかうれしくなる。照らされて、満たされる。
満月はふいに向こうからやってくるのがいい。だいたいそんなときは心がまあるいときである。
この丸高盆は
栃の木、一枚板でこしらえた高台付きの盆である。栃は軽量であり、変形を嫌うことから、家具や建材、楽器などにも使用される質実な材である。こと年輪の織りなす板目の美しさには定評がある。
この盆は、木のかたまりをろくろで回しながら、その木に刃物を当ててまあるく削りだす「挽物」と呼ばれる技巧から生まれる。仕上げは磨きのみ。表面にはあえて塗り加工を施さず、無垢の光沢そのままにしてある。使っては拭う、拭っては使う、その繰り返しで木肌にはいっそうの色つやが与えられ、たとえ染みがついたとしても、それが年輪と交わりながら月日の深みとなって味わいを醸しだす。長持ちの尺度として、手と目でふれながら愛でる。かけがえのない道具になってゆく。
膳とはいわないまでも、「丸高」と謳うとおり、たとえば畳の上にじかに置いて、盆そのままを座卓のように使ってみたい。
商品名 丸高盆
素材 栃
製造 但田木地工房(富山県砺波市)
制作 東屋
寸法 径283mm × 高36mm
価格 22,000円
2014. 8. 6
[日用品]
手塩
「手塩にかける、というが、その手塩とは手のひらにのせた塩のことらしい。その塩にちょこっと食べ物をつけては頬ばるのだ。ずっとむかしの小粋な仕種である。よって小皿豆皿の類いは手塩皿と呼ばれ、いわば手のひらの代用である」
「へえー」と、向かいに座る男が声を上げる。
それから私は、
「おにぎり、だな」と、思い出したふうに言う。
「おにぎり? また話しが飛んだぜ」
「手許の塩にまぶされて、私は家内が握るみたいにカドのとれた人間になったらしい」
「うん、たしかにおまえはむかしよりか、丸くなった」
男は見た目も大きくうなずくなり、のこりの蕎麦を啜る。私はいち早く食べてしまった。
「年のせいもあるが、家内の手腕によるところも大きい。手塩にかけられた結果、こうやってのほほんとしていられる」
「けっきょくうまい具合に転がされてんだな」口をもぐもぐ動かしながら、男は空いたほうの手のひらをなにやら転がすように小さく動かしてみせる。
「いや、そうではない」
「じゃあ弱味でも握られてんのか」
男はこんど箸まで置いて、「こんなふうにぎゅっと」おにぎりを握る真似をしてみせるのである。
「ばか言え。うちはおまえのところとはちがって子どもがいないから、その分大事にされているだけだ」
すると男は、
「ごちそうさま」と、飲み込むより先に手を合わせてほくそ笑む。「ああうまかった」
この男とは、たまに会う。昼間から少し呑んだ。しめにそれぞれ天ざるを頼んだ。生姜を全部入れるかどうかで意見が分かれた。それから、薬味そのものに話がおよんで、その効用がなんやらと、話すうちにいつのまにか脱線していた。
「豆皿といやあ」男はかたわらの豆皿に目を向ける。「おれは金平糖だな」
こんぺいとう。久しぶりに耳にしたような気がする。
男は腕組みをして、空の豆皿を見つめながらつづける。
「受験のときにな。夜中になるとお袋のやつお茶をいれてくれるんだが、そこにかならず金平糖をつけてくれた。こいつにちょこちょこっとのせて、部屋まで持ってくる。舐めてりゃ元気になるから、ってさ。元気だからって大学に受かるわけでもないのにな」そう言うと、腕をほどいて豆皿をつまみ上げる。「こいつにきまって七つばかしだ。ラッキーセブンだと」
「そういえば、おまえのところ、そろそろ受験だよなあ」私は言う。
「そうだ。たいへんなんだぜ。というか、おれじゃないな、たいへんなのは」
男はゆっくり豆皿を置く。その手が気になったか、開いてみる。
「そうか。手のひらだったのかあ」男はじっと見ている。
私のほうからも、金平糖が見えた気がした。
この印判豆皿は
わさびに、しょうが、きざみねぎ、おおば、みょうが、それからごま、などなど、ひとつまみちょこっと、薬味は夏バテに効くという。食欲を促したり、食あたりを防いでくれたりと、枚挙に暇がないけれど、それらをのせる豆皿もまた、何枚あってもじゃまにならない。
この豆皿は、いろんな紋の摺紙を、天草陶石の生地に一枚ずつ貼り付けては染めていく、むかしながらの手仕事でこしらえた印判豆皿である。小さいけれど手間ひまかけたりっぱな用の美だ。そのつど摺りによって、ずれたり、うすかったり、またとない偶然が個性の表れとなって、ひとつとして同じものがない愛おしさがある。わたしたちの手のひらみたいなものかもしれない。
形と絵柄のちがいで、七つほどご用意した。どれも愛嬌があって、気の効く食の小道具。まずは手のひらにのせてみて、それからじっくり手をかけながらこまめに使っていただきたい。
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2014. 7. 30
[日用品]
生活の基盤 其の二
「拭く、ということ」
とあるデザイン事務所の一番偉いひとは、訪れるたびにどこかしらなにかしらを拭き拭きしているひとだった。マンションの一室をそのまま事務所にしていたので、靴は脱いで入るのだけれど、たまにそのひとは玄関でも拭き拭きしていた。その事務所は絨緞の感触が当時のわが家にとても似ていた。なのでいったん足を踏み入れると、足の裏からじわじわと親近感のようなものが伝わってくるのだった。仕事をしにきたということをつい忘れそうになって、来客用のスリッパを履けばどうにか余所ゆきの緊張感を保って臨めるはずなのだけれど、そのひとに、拭き拭きしながら「いらっしゃーい」なんて待ち受けられると、のっけから調子が狂ってしまって、他愛ない緊張感などあっさり拭き拭きされてしまうのだった。
アシスタントのひとに聞いたところによると、そのひとは来客のあるなしに関わらずいつもなにかを拭き拭きしているらしかった。「目を離したすきに拭き拭きしている」のである。私もなんどかおじゃまするうち、彼の拭き拭きを見ないことにはなにも始まらないような気がした。お茶をいただいて一息つけば(お茶もそのひとがいつも出してくれた)、さっと食器を片づけて(洗って拭き拭きしていることもあった)テーブルに戻るなり、いきおい拭き拭きする。早く打ち合わせを終わらせたいのだろうか、それとも単に打ち合わせが苦手なのか、さいしょはそんなふうにも思ってみたけれど、しばらく見ていると、そもそも彼の手は布巾を持っていることのほうが多いのだった。彼はあざやかに、机上をまっさらにする。私の差し出す試案の類いはその上で気持ちよさそうに横たわっている。そのまま眠ってもらっても困るのだけれど。
習慣が、あるとき「好き」にかわるのは、いったいどのくらいの時間が必要なのだろう。そのひとは単なるきれい好きとはちがって、折り紙つきの拭き好きなのである。少数精鋭の、そうはいっても会社である。まわりを見わたせば彼らのテリトリーだってある。こざっぱりしたひともいれば、ごちゃごちゃしていたほうが落ち着くひともいて、あくまで共有の、ほんの一部分だけ(なんだかわからないオブジェや、ぎっしり詰まった本棚の手前など、一部分とはいえ挙げればきりがないのだけれど)、彼は拭き拭きしながら、生き生きしているのである。
肝心なのは、布巾がそのひとにとっていわば大切な相棒であるということだった。拭き拭きしながら「たとえばね」なんて澄んだ目をして、何気ない思いつきもみがきがかかってアイデアに生まれ変わる瞬間をなんども見てきた。生活の中に仕事があることを、それとなくおしえられた気もする。彼の前に道はない。拭き拭きしながら彼の後ろに道はできるのだった。行ったり来たりする布巾が、彼の推進力だったのかもしれない。
そんな彼に、私ももっと拭き拭きされたかった。しばらく会っていない。
「いつかふたりだけで、なにか作ってみたいよね」
ばったり道ばたで会ったとき、そのひとが言ってくれた。なんだかぱっと明るくなった。曇ることなく今もその光景がよみがえってくる。叶ってはないけれど、そのことばを思い出すたびに、私は前を向くことができる。
のちにそのひとは、あざやかに、さっと身を引いたと聞く。拭き拭きしながらにこにこしている顔が浮かんでくる。
このふきんは
奈良県の特産でもある蚊帳の生地。それを八枚、重ね縫いしてこしらえた。よって吸水性がよい、汚れを上手にぬぐう、乾きが早く、なにより長持ちなのがよい。
使えば使うほど、スキルアップのごとく用途に暇がない。たとえば、おろしたては食材の水切りに。こしがやわらかくなれば食器拭きに。もっと馴染めば台拭きに。いよいよ窓拭き、さらには床拭きと、そうやってふきんはぞうきんへと修錬されてゆく。これはもう駄目か、なんてことはない、からからに乾かして靴みがきにどうぞ。言うなれば、何回も生きかわるふきん。どしどし使い倒していただこう。
主原料は、綿とレーヨン。土に埋めれば土に還ってゆく、なんて聞き齧れば、どうやらいいことづくめである。一家に一枚、そんなこと言わずに何枚か、使い分けるのもまた真なり。
商品名 ふきん(三枚入り)
素材 綿、レーヨン
製造 中川政七商店(奈良県奈良市)
制作 東屋
寸法 幅300mm × 長340mm
価格 1,540円
2014. 7. 25
[日用品]
汚れては洗われる
ずいぶんむかし、郊外にあるアパートは、二、三棟の同じような形をした木造二階建がどこを見るでもなしに並んでいて、棟と棟の間には決まって持ち腐れの場所がぽかんと空いていた。ところによっては、縦列に車を並べてなんとかその場所に意味を持たせようとしていたし、だれのものともわからない自転車が建物の壁に頭を向けたまま、それでもじっと跨がられるのを待っていたのだった。
私が東京に出てきて住みついたアパートもまた、なにものかもわからない人々が、等間隔を守りながら、どこを見るでもなしに並んでいた。そのアパートも例外ではなく、棟と棟に挟まった裏手は、やっぱりぽかんと空いていた。ベランダはなく、洗濯物が向き合うかたちで垂れ下がり、おざなりに雑草が生えたり枯れたりするぐらいで、ただ、他とちがうのは、飯盒炊爨を思い出させるような、キャンプ場さながらの洗い場が中央に設けてあることだった。青い塩化ビニールの海鼠板の屋根がかけてはあるが、ところどころ留め金は外れたまんま、穴が開き、雨よけも日よけも体をなしてはいなかった。それでも夏になると、私はよくそこでスニーカーを洗った。たまに頭も洗ったし、足も冷やしたし、風呂なしの身にとって、行水には恰好の場でもあった。むかしは人の出入りもそれなりにあったはずだが、だれとも会うことはなかった。もはやだれも見向きもしない、空白の場所だった。流しの裏表には、三つずつ蛇口はあったものの、バルブが嵌まっているのはひとつだけだった。その蛇口に、柄のついた束子がいつも引っ掛けてあった。いつも、というよりも、そもそも私しか知らないことなのかもしれなかった。柄には白いビニールテープが巻きつけてあって、マジックでタブチと書いてあった。消えかかっていたから、タグチかもしれなかった。私はなんとなくタグチのほうがしっくりきた。タグチはどこかへ引っ越して、このタグチだけが忘れられ捨てられたのだと思った。私は捨てられたタグチでスニーカーを洗った。束子も洗えば汚れはおちるのだった。
コンバースは、ローカットでライトグレーの布地だった。それだけは月にいちど、必ず洗うようにしていた。東京に出てくる前、予備校で好きだった女の子が履いていた。東京に出てきて、それと同じものを買ったのだった。彼女は東京に出てこられなかった。彼女のコンバースは、いなかから一歩も出ることができなかったのだ。親が許してはくれなかった。彼女の細長い足には洗いざらしのコンバースがとても似合っていた。私が東京で洗っては履いた。彼女のことを忘れたくなかったのかもしれなかった。擦り切れるまで履いて、履きつぶすまで歩いた。それからいつのまにか消えてなくなってしまった。
1982年の夏。私はいつものようにコンバースと一掴みのスパークを握って洗い場に行った。コンクリートが白く乾いていた。蛇口を捻ると茶色い水が出た。しばらく流すと透明に変わった。コンクリートが水を吸い込んで黒ずんでいった。空の青より、海鼠板の青が、私の夏だった。その昼間も、タグチでコンバースを洗い、泡立たないのは、私もおんなじだった。
「ねえ、あんた」
コンバースにタグチをしつこく突っ込んでいると、女の声が聞こえた。屋根の端を見上げると、その向こうに女が二階の窓に腰掛けてこっちを見ていた。
「ねえあんた、それ」
私はタグチを持ったまま、女の顔を見た。四十過ぎの細面のひとだった。
「それ」
タグチのことだった。
「勝手にボロボロにされる身にもなってみなよ」
女は首の汗を手のひらでぬぐった。額は手首でぬぐった。それから腰でふいた。キャミソールだった。鎖骨の汗が光っていた。これがタグチか。タグチは水商売だと思った。蛇口の水がいきおい音を立てて重吹きを上げていた。
「きぶんわるい」
タグチは吐き捨てるようにそう言って、部屋の闇に消えた。
私は水を含んだタグチを何度も振り下ろした。何か別なものがそこらじゅう飛び散ったような気がした。汗をかいていた。顔を洗った。蛇口を閉めた。タグチをそこに引っ掛けた。コンバースを掴んだ。きれいになっていない気がした。空白が塗りつぶされたかんじだった。
敷地の外に出たかった。出て、振りかえったら、タグチがじっとこっちを見ていた。コンバースを見ていた。なぜかそんな気がした。タグチはもう、タグチではなくなってしまっていたのだ、そう思った。
「汚れたら洗えばいい」
つい最近、だれかに言われて、そう簡単には片付かないこともあるんじゃないか、と言い返してみた。そのときふと、思い出したのである。
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2014. 2. 18
[日用品]
カップアンドソーサー
カップとソーサーの間には「安堵」がある。私のワープロがそう変換してきた。「アンド」なんてはじめて打ったかもしれぬ。不意に「安堵」が私の前に表れたのだった。頻繁に用いるコトバなのか、そう考えれば、常日頃の求めすぎる性格が表沙汰にされたみたいで、なんだか気恥ずかしくなったのだった。
ときにカップは持ち上げられる。よってカップはソーサーから距離を置くことになる。たまにソーサーを置き去りにする。あわよくば遠い旅に出たっきり戻らないことだってある。それでもカップは、ふとした弾みに、ソーサーの手のひらへと帰っていく。
「ふしぎだ。」
ソーサーは女性名詞でカップは男性名詞かな、そう思ったりして、私はカップをソーサーに戻すのだった。「アンド」とは、おしなべて「安堵」な関係である。あながち間違いでもあるまい。私は、誰かの手のひらでまんまと転がされている身上を、ぽかーんとソーサーの上に浮かべていた。
カップアンドソーサー、アーンド私。何者にも咎められない三角関係を、お仕事そっちのけでふわふわと愉しむ昼下がりの私であった。
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2014. 1. 27
[日用品]
経年
私はいったい何を見てきたのか。この目でじっと見てきたもののことである。そんな問いかけが頭の中で駈けまわっていた。まっ先に思い当たるのは、親のすがたにちがいなかった。ずっと背中だけを見てきたのだった。今は、振りかえって探すしかなくなった。
お茶を飲み干したあとも、湯呑みを持ったまま気づけば底のほうをじっと見ていた。あるひとが、海を見ていると時間がたつのも忘れてしまうのは「あれは跳ねかえって自分を見ているからだ」と言ったのを思い出した。「じっと」時間をかけ、「見ている」が「見ようとしている」に、深度が変化するのだ。何を見るにせよ、私はそこに「私」という何んだか釈然としないものを見ようとしている。裏をかえせば、釈然としないからますます見ることになって、そこにえんえんと時間が注がれる。私は、溢れかえったそれにはっとして、湯呑みを置いたのだった。時の流れは輪郭もなく無情である。
「絵でも見に行く?」
細君の、誕生日が近い話になって、私は目の前のそのひとを見ている。出会ってからかれこれ三十年たつのね、と言われたとき、まじまじ二人は顔を見合わせるのだった。
海の前に立ってみたくなる。絵の前に立ってみたくなる。鏡の前に立ってみたくなる。あなたの前に立ってみたくなる。
いつのまにか今年が始まっている。「私とは、君だ」なんてランボーめいた言葉を、私もいつか思ったりするんだろうか。「ぢっと手を見る」私である。
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2013. 8. 19
[日用品]
檸檬
昼間、古本屋で檸檬を買った。あると思っていたのになかったからだった。女が持ち出したにちがいなかった。あのとき抱えて逃げたのだった。投げつけられてもしかたがなかったのに。
持ち帰ったのは陽に灼けた檸檬だ。いろんなひとが握ってきた檸檬だ。あればそれでよかった。気が済むともっと遠くへ行きたくなった。それから外に出た。振りかえってみた。大きな音がしたような気になっていた。走って逃げていた。
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2013. 5. 16
[日用品]
生活の基盤 其の一
「はらう、ということ」
埃をはらうということは、敬意をはらうことである。と言ったのはだれだったか。
例えば、書き物をして、鉛筆の消しかすをささっ、とはらっているのは、やっと書きあがった安堵の吐息をおとしながら、その机の上で思考を重ねることができたことへのせめてもの敬意をはらうことである。あるいは、食事をしたあとの、パン屑をしゃしゃしゃっ、とはらうのもまた、楽しく過ごせた食卓への敬意をはらっていることになるのだろう。
わたしたちの生活は、大なり小なり、自らが選んだ場所、いいや、使わせてもらっているその地に、なにかしらいろんなもの、ことがら、を堆積させたその上に立っていて、それがあたかも自分の背の伸びたふうに装っているのだけれども、あるときその山を降りねばならないときには、よけいなものはいっさい取り除いて立ち去るべきだし、それがその地への敬意をはらうということになる。だとすれば、振り返ってその目が見るものは、もはや目には見えない架空を見上げるようなものであって、ただ途方に暮れながらなんとこの身の小さきことかと知るよすがとなるようだ。
さて、そこがまさしく、生活の基盤である。その盤上はことあるごと澄み切っていたほうがたいへん好ましい。またそれを、わたしたちは「大切」と言う。
このお手掃きは、
小さなほうきとちり取りのセットである。ほうきは、パキンと名のる植物繊維、別名メキシカンファイバーでできている。パキン製のブラシ類は、その腰の強さから優れたブラッシング効果があるとされ、このほうきもまた、潔い掃き心地である。ちり取りは、ちいさな塵も埃も取り損なうことのないよう、秋田杉の柾目で隙間なくさしあわせてこしらえた、江戸指物である。
ちり取りの手許に開けたまあるい穴にほうきのひもを通せば、壁に引っ掛けることもできるので、手の届くところにぜひ、このコンビを待機させておいていただきたい。ますます重宝するはずである。
商品名 お手掃き
素材 ちり取り/杉、箒/パキン
製造 ちり取り/井上木芸(東京都荒川区)
箒/高田耕造商店(和歌山県海南市)
/昇苑くみひも(京都府宇治市)
制作 東屋
寸法 ちり取り/幅127mm × 奥行114mm × 高33mm
箒/幅90mm × 長125mm × 厚18mm
価格 13,200円
※ 箒の紐が新たな仕様になりました。(写真と異なります)
2013. 4. 5
[日用品]
春
きのう、わたしはそのひとにめっきり叱られた。
「あんた、そんなこと言ったって、だれも使わないものがずうっとここにあったってしょうがないでしょ。だいいちそんなに大事なものだったなんて、今はじめて聞くわよ。そんなに大事なものならあんたがかたづけておけばよかったんじゃないの?自分のわるいのを棚に上げて、それでなんであたしがいけないことになるの。あたしはおそうじをして、おかたづけしただけ。いらなくなったものは捨てる、だってそうでしょ」
「••••••」
「なによ。言いたいことがあるんなら言ってごらんなさいよ、ほら」
と、そのひとは、「言ってごらん」と言えども必ずと言っていいぐらいにわたしには何も言わせない。むかしからそれがこのひとの体である。けれどもわたしはそのひとに似て、口では負けていない。いや、負けてはいなかったはずなのだった。だからいつも平行線でけっきょく姉が割って入って、引き剝がすようにわたしをとなりの部屋に押し込めるのである。そうだった。
「あのね」と、わたしは言った。
「なによ。いいから言ってごらんなさいよ、ほら」
「棚に上げてあったのはわたしではなく、プリントゴッコ」
「だからなによ」
「棚に上げてあったのはわたしのプリントゴッコで、わたしじゃない、って言ったの。プリントゴッコだってわたしがあそこに上げたわけじゃない」
わたしは簞笥の上を見やる。
「なによそれ」
「あそこにあるなぁ、っていっつも見てた」
「うそおっしゃい」
で、わたしはまた黙ってしまう。あるとき寝転がって天井を見ている端っこにちらっと見つけたことがあっただけだ。中学?高校?わすれた。
「それだけ?」
「それだけ」
「おわり?」と、これもこのひとの体である。終わらせないのだ。
「じゃあ、もうひとつだけ言わせて」わたしはなぜか胸を張っている。「プリントゴッコは、大事なものでした」
「なによそれ」
「過去形」
「だからなによそれ」
「••••••」
「とにかく、ゴッコだろうとゴッホだろうと、ほったらかしにしてたものは捨てられちゃうの。そうでしょ、そういうふうに世の中はできてるでしょ。久しぶりに戻ってきたと思ったら目の色変えて、あれどうした?って、いったいなんなのよ。急に思い出したみたいに、プリントゴッコ、プリントゴッコ、って。だって持っていかなかったじゃない。ここにずうっとあるっていうことは置いてったっていうことじゃないの?置いてったっていうことはもういらないっていうことなんじゃないの?だいいちもうとっくのむかしっからないのよ。あんたのしらないうちにもうないの。わかる?しらないうちに消えてなくなるもんなんて世の中にはたっくさんあるの。げんに気づいてなかったじゃない。ここにいないひとが、とやかく言わないでちょうだい」
「••••••」
「じっと見たってないものはないのよ」
「••••••」
「ねえ、聞いてるの?美紀!」
「••••••」
「なに、泣いてんの」
わたしは、母の声が好きだ。今そこには天井と挟まれた隙間だけがぽっかりと空いていて、母の声がそこにすうっと納まっていくようで、だけどそこってそうなってたっけ、と思わず引き込まれそうになる。母が言わんとする、わたしはたしかに知らず知らずのうち取捨選択をしてきたのだった。
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2012. 4. 17
[日用品]
かたづけをする、ということ
ずいぶんむかし、ある女のひとに湯呑みをあげたことがある。たしか、コーヒーよりも、紅茶よりも、あったかい緑茶が好きだ、と聞いたことがあって、湯呑みをあげたのだった。あげるきっかけはどうだったか、誕生日だったかもしれない、いいものをみつけたからかもしれない、なによりなにかをあげたいと思ったことだけはたしかだった。小振りで、筒の形がよかった、女のひとの手にもおさまりやすそうだ、自分も同じものを買ってみる、そうやってひとつ、あげてみた。しばらくたって、ふたつの湯呑みが揃うことになった。そのひとといっしょに暮らしはじめたからだった。
ある日、彼女はその片方をこわしてしまう。洗っていると手を滑らせたのだ。こわれたのは彼女のほうだった。貫入の入り具合が好きだった。そこに合わせて割れていた。「直してね」と彼女は言った。捨てることを惜しまないひとがそう言ったから、意外だったように思う。私は「そうだね」と答えたっきり、またしばらくたった。
棚の上の段ボール箱のなかに、見覚えのあるハンカチに巻かれたまま、それはあった。ひろげると、思ったよりもばらばらになっていて、手が止まってしまった。捨てようか、とも思ってもみる。けれど、手が向かない。どうやら春は、そういったものまで蠢くらしい。それでも桜が咲くころに、引っ越しをしたり、かたづけをするのだけれど、ものはただ移動を繰り返すばかりで、上っ面だけが模様をかえる。ものごとそうかんたんにかたづけることなんてできない、私はそういうひとである、と、そこだけすんなり「そういうひと」でかたづけてしまう。ハンカチの埃をはらって、包んでまたおさめた。多分前にも同じことをやったかもしれない。
あんなに、ばらばらになってたんだなあ。花びらの散る近所の桜並木を散歩しながら、その女のひとのことを思い出してみるのだけれど、捨てることを惜しまないひとだったなあ、と、行き着けば、なんだか可笑しくなるのだった。
この湯呑みは
三重県の伊賀土でこしらえた湯呑みである。伊賀は、太古の昔琵琶湖の湖底にあったため、今はプランクトンや朽ちた植物など多様な有機物を含んだ土壌のうえにある。そのことから、高温焼成にも耐えうる頑丈な陶器づくりに適した良土に恵まれている。この湯呑みは、「土と釉は同じ山のものを使え」という先人の教えにならい、当地の職人が、当地の土を轆轤でひき、当地の山の木を燃やした灰や岩山が風化してできる長石を原料とする釉を駆使、いわば伊賀焼の継承からさまざまな表情を展開しつづける「土もの」の極みである。
熱くなりすぎず、冷めにくい。土のあたたかみがしっくりと掌になじむ。
この湯呑みで、ぜひに一服。
商品名 切立湯呑(「伊賀の器」シリーズ)
素材 伊賀土(石灰釉/黒飴釉)
製造 耕房窯(三重県伊賀市)
デザイン 渡邊かをる
制作 東屋
寸法 大 径81mm × 高91mm
小 径70mm × 高76mm
価格 大 3,960円
小 3,520円
2012. 3. 31
[日用品]
だらだらしない。
こゝろがけが、きもちいい。
ごらんのとおり、わたくし「醤油差し」と申します。と、名乗ればきっと「あっ、そうそう、そう言われればたしかに」とおっしゃってくれるはず。ならば多くは語らずとも、といきたいところですが、わたくし「新顔」にはちがいありませんので、ここはあらためまして、ちょこっ、とだけ、ごあいさつを。どうも、はじめまして。
なーんて、お辞儀でもすれば、やっぱりこの口もとに目がいきます?はずかしながら、たしかにおちょぼな注ぎ口、ですよね。たとえばほら、よく言うじゃないですか。ほんのすこーし傾けただけなのに、どぼっと出ちゃったとか。だらだら垂れたりして、しまりがわるいとか。「醤油差し」の分際でストレス溜めてどうする、ですよね。なにも、聞き捨てならないコトバに口をとんがらせて下向いちゃったわけじゃないんです。口はつつしみ、つつましく、下向きのこのカタチこそが、ひたむきさの表れだっただけのこと。だってわたくし、「醤油入れ」にあらず、あくまで「醤油差し」にございます。ちょこっ、とお辞儀がてら、おしょうゆを差すことがわたくしの役目。必要な分だけ差して戻せば、おしょうゆはひょいっ、とひっこんでくれて、口のまわりを汚しません。まして、いらぬ面倒などかけさせない。だらしのない格好はお見せしたくありませんので。「醤油差し」に大事なのは、こゝろがけひとつ。だらだらしない、切れがいい。これぞ「醤油差し」の誇りにございます。
ところでわたくし、けっこう小柄なほうでして、いうなれば控え目。「食卓に、必要な分だけ」を信条にしております。「おしょうゆ取ってー」と、声がかかってはじめてお目にかかるていど。べつにいいんですよ、フルネームで呼んでいただかなくても。中身あってのわたくし、図体ばかりが大きいと、中のおしょうゆを無駄に酸化させてしまいかねない。それじゃー、身も蓋もあったもんじゃないでしょ。このくらいがどうやらちょうどいいようです。ときには、あっちにこっちに、移動もします。なおさら、手わたしやすく持ちやすく。ちょこっ、と食卓の上にでも控えさせていただければ、この上ないシアワセにございます。
とはいえ、「ちょこっ、と」の分際にだって、「ずーっ、と」みなさんといっしょにいたい気持ちはあふれんばかりにございます。なにも、べたべたするつもりはもーとーございませんが、ただ、いつの日か、「定番」と呼んでいただければそのとき、多くは語らずとも、つかずはなれず、まっ、わたくしのこゝろがけしだいですか、ね。
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2012. 3. 6
[日用品]
本を作るということ
弟から、家のことを題材にして本を作ってみる、と聞いたとき、ああ、お前のほうがとうさんの背中にぐんぐんちかづいていくのだな、そう思ってふと、私は遠くにいるような気がした。
私がまだ小さかったころ、父に、「ぼくがもし小説とか書くようになったら本にしてね」と言ったことがある。そのことを急に思い出したのは、父が倒れたときだった。父がなんと答えたかは覚えていないけれど、病室で眠っている父の手を握ってみたときそのことを思い出したのだった。すっかり忘れていたことばなのに、それ以来、紙に書かれて貼られたみたいに、ちがう方向を向いていた私の目の前でひらひらめくれあがっている。
父は製本屋を廃業した。工場も手放した。彼が愛してやまなかった、本を作るということが、彼の手からぱらぱらと滑り落ちて、風に飛んでいった。
二十のとき、上京する私に父はこう言った。「夢ばっかり追っかけて、のたれ死ぬんじゃないぞ。原稿用紙は食えないんだからな」あのとき父は断裁機で紙を切っていた。背中を向けたまま、大きな紙の束を切り分けていた。
父は紙を食って生きてきたのだ、そうおもう。
私の弟であり、美術家でもある文穂が、父の工場のなくなってゆく過程を見つめながら、散っていく紙の記憶を捕まえた。束になったそれらの紙片を自らが製本、私は小さな文を寄せた。立花文穂の最新作品集「風下」。本を作るということが、頁を開くと匂ってくる。
この本は
作品名 風下
作 立花文穂
タイトルと文 立花英久
製本 立花製本(広島県広島市)
印刷 中本本店/佐々木活字店
発行 DNP文化振興財団/広島 球体編
協力 バーナーブロス
仕様 200×245mm、糸かがり綴じ104頁、
カバー付、貼込図版有
価格 4,400円(初版限定350部)
2012. 2. 18
[日用品]
瓜田不納履、
李下不正冠。
やっぱり僕なんか、一重ではなくて、二重のほうが、好みだなあ。と、これ、なにもひとの顔のことを指して言っているのではない。節目節目の、清く正しく過ぎさりしほど、ことさらまっすぐ伸びて潔いはずである。さて、これは竹のおはなし。なかでも真竹である。真竹は、節が二重なのである。よーく見ると、ひと節にふたつの段があるのがわかる。その分、節と節との間がながーく育って、繊維が細かく、しなって折れない、カッコウの材となる。たとえば、この靴べら。長さは760ミリ。そのくせ節は頭とおなかだけ。すっきりと見栄えがよい。瓜田で履を納れず、ではないけれど、かがまなくても軽々使えるよう、その寸法取りの、まあ絶妙なことよ。履き易く、足腰に合わせてくれるしなやかさにも脱帽。李下に冠を正さず、背筋はぴーんと伸ばしてお出かけ、といきたいものである。
この靴べらは
肌理が細かく、艶っぽい。使い込めばさらに落ち着き払った飴色に変貌する。無垢のまんま、表面を晒しただけの真竹でこしらえたこの靴べら、玄関先で、ながーいお付き合いを、ぜひひとつ。(お断り。ところどころに小さなキズやシミが見られますが、これらは竹林で風雨に晒されながら、竹どうしがぶつかったりこすれたりして、それでもすくすく育った証しです。自然が生んだ「景色」として愉しんでいただければ幸いです。)
商品名 靴べら
素材 真竹
製造 竹清堂(東京都杉並区)
制作 東屋
寸法 760mm
※ 販売終了、仕様が新しくなりました。お尋ねください。
2012. 2. 12
[日用品]
明かりを灯す、ということ
お店に入って、あ、いいな、と、ものを指して思うのは、たとえばそれを家に持ち帰るところからはじまって、思い描いたところに置いてみる、あるいは使っている「わたし」のことを想像してみることにより、じつは「わたし」の内側が、その瞬間、ぱっ、と明るくなっていることに気がつくことである。気に入る、ということは、たしかにそのものがほのかに明かりを灯す光源のようなものになっていて、「わたし」を照らしはじめ、訴えかけてくるものだけれど、ほんとうにそのものを持ち帰った場合には、そのものがじっさい家のなかを照らすのではなく、どうやら「わたし」のなかが照らされて、からだはシェードのように「わたし」自身が光りとなって家を明るく照らしているのだった。なにも買い物や、ものにかぎったことではなく、目には見えないもの、たとえばコトバだってそうだ。「こころから」おもうということ、「こころから」言うということ、などなど、これこそが、ひとがひとを照らしだす明かりであり、こころが光源なのである。
妻はときどき、テーブルにまずはコースターを敷いて、それから飲みものを置きにくることがある。さほど水回りを気にしなくていいことから買ったテーブルなので、じかに置いていい。だからそれは、たまーにおこるハプニングのようなものだ。そのテーブルが瞬く間、そこにスポットライトが当たったかのように浮かびあがってくる。つぎにそれがコップの水であっても、その日にかぎっては、世界でいちばんの水であるかのように、きらきらしはじめる。なにより、妻のその振る舞いに光りは宿っている。ほかに照らし出したい何かが妻のうちにあることは明白ではあるけれども、たとえば何かいいことでもあったのか、それとも聞いてほしい話でもあるのか、それより、ただの気まぐれなのかもしれない、そんなことぐらいしか思いつかない私は、ふと気がつけば、しらずしらずに照らされており、魔法にでもかかったみたいに私のなかから晴れ間が広がっていくのだった。
今に思えば、私はたしかにそういった場合、どこかきげんがわるかったり、こころここにあらずだったりで、つまり、彼女にしてやられている、というか……、こころから、感謝している。
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2012. 1. 13
[日用品]
味の外の味、ということ
古いことばに「味の外の味」というのがある、とどこかで読んだことがある。盛りつけられた料理の味わいは、その外側にあるふんいきや、うつわの表情、うつくしさをも「味わう」ことではじめて料理を「味わう」ものである、ということらしい。けれども、たんにすてきなうつわをそろえ、ふんいきづくりにいそしむ、ということではないはずだ。わたしたちには「一家団欒」がある。それだけで「味の外の味」はじゅうぶん事足りる。家族で囲む、家族でつまむ、家族ひとりひとりがそのささやかな幸せを噛みしめることを願って、食卓はゆたかな景色を生んでくれる。
この木箸は
たとえば二本で一対の箸のように、誰かがいてくれるから、団欒、つまりはいつも満面、まあるくなれる。
さてこの箸は、輪島の塗りものの芯になる木地を作りつづけてきた「木のスペシャリスト」四十沢(あいざわ)さんに拵えてもらった。木地そのまま、木肌そのまま、いわゆる「スッピン」の木箸だ。そのかたちは四角四面の面持ちよりも、ほんのすこし丸みを持たせてもらったことで、指先と口もとの当たりのここちよさが自慢である。いくつもの工程を繰り返しながら一本ずつ丹念に磨きこまれたなめらかなみかけと、うらはらに、食べものをすべらせずしっかりやさしくつかまえてくれる、正真正銘芯の通った木箸。
四十沢さんが引き出す木の素肌の力、いちど手に取って、味わってみてください。
商品名 木箸
素材 写真左から欅(けやき)、黒檀(こくたん)、
鉄刀木(たがやさん)
製造 四十沢木材工芸(石川県輪島市)
制作 東屋
寸法 長235mm × 幅7mm
価格 黒檀 2,970円
※ 欅、鉄刀木は廃番のため現在、取扱しておりません。
2012. 1. 9
[日用品]
あけまして
2012年、のっけから突然ではございますが、
問題です。この箱をそおっとあけまして、さて何が入っているのでしょうか。
正解は、こちら >>
2011. 12. 1
[日用品]
上手に炊く、ということ
上手に炊けた、と私たちは最近言ったことがあるだろうか。たとえば「上手に炊けたね」と、言ってあげたことがあるだろうか。
「電気ごはん」に身を任せていると、いまや使わないコトバ、なのかもしれない。
受け身でごはんをいただくことから、すこーし距離を置いてみる、それからほんのちょっとでいいから「手間」をかけてみよう。米を研ぎ、水加減は刻印された目盛りに頼らない、炊くのは、「飯炊釜」、そう、ガス台のうえだ。ぜーんぶ自分の腹づもりで進行してゆく炊事の原点。「米を炊く」という行為をいっそこの手に取り戻してみよう、というおはなし。くわしくはこちら、虎の巻「米を研ぐ、炊く、蒸らす」まで。
この飯炊釜は
伊賀土で拵えた飯炊釜。三重県の伊賀の土は、耐火度が高いことから土鍋を拵えるのに最も適した土、といわれています。この飯炊釜もしかり、長年土鍋を拵えてきた陶工の手で、程よい土の締まり具合を計らいながら肉厚にしてもらい、上手にお米が炊けるよう、まさに飯炊きのための釜に仕上げてもらいました。この飯炊釜は、内と外、ふたつの蓋によって圧力をととのえ、吹きこぼれがありません。この飯炊釜は、釜自らが最適な温度変化をおこなってくれるので、火加減の調整がいりません。この飯炊釜は、肉厚のつくりから熱容量が高く、火を消したあとでも「蒸らす」に必要な温度をしっかり保ってくれます。この飯炊釜は、通気性がよく、蒸らしながらもよけいな水分を適度に逃がしてくれます。上げればきりがないほどに、この飯炊釜は、炊飯の極意そのもの。電気では「体感」できない、米を炊く、という行為を、もういちど台所の中心に。
商品名 飯炊釜
(二合、三合、五合を取り揃えました)
素材 伊賀土
製造 耕房窯(三重県伊賀市)
制作 東屋
寸法 二合 幅260mm × 径215mm × 高160mm
三合 幅280mm × 径240mm × 高180mm
五合 幅310mm × 径260mm × 高190mm
価格 二合 13,200円
三合 19,800円
五合 25,850円
2011. 9. 21
[日用品]
あのときは、
そんなに好きじゃなかっただけだ
私は今までほとんどといっていいほどマグカップというものを使ったことがなかった。まず「マグ」というコトバにピンとこないのだった。いったい「マグ」とは何なのだろう。むかし、好きだった女の子のアパートにはじめて行ったとき、目の前に出されたのがその「マグ」だった。何が入っていたのか覚えてもいないのだけれど、奇妙なキャラクターが私に向かってファイティングポーズをしていたのだった。多分景品なのかもしれぬ、だけど容れ物として何でもありの、そのポリシーのなさにヒトもタガがユルんでしまって、ひいては家の持ちものにも、ましてやアナタにだってそれほどこだわってはいないのだ、と彼女から宣言されたみたいだった。緑色のカラダをしたそいつをじっと見つめながら、私は戦う気持ちにもなれないまま、「マグ」もその恋もみるみるうちに冷めていったのだった。それからどこに行っても「マグ」は、私の不意を突いて平然と現れるようになった。頻繁に見かけたのはアイラブNYのあの赤いハートマークである。ジ・アメリカ、何を入れてもオッケー、来るもの拒まずの、そのオープンな顔かたちが、いつしか横柄にも見えはじめた。手軽なふりをして、そのくせ私の片手では足りないシロモノ。たまに映画のなかの屈強なオトコがうがいなんかに使っていたりすると、ああ、つまりは合理主義なのだ、と「アメリカン」なるコトバまでが鼻につきはじめ、コーヒーをナミナミ入れるといかんせん胃がもたれてしまうわけで、なるほど、それで「アメリカン」かあ、とヘンに納得したりして……。けれども、私はアメリカンなものがきらいなわけではないのだった(たとえばアメリカンニューシネマとか、じつにいい)。そうなると「マグ」は単なる食わずぎらいなのかもしれないな、と思うに任せることもできぬまま、前を向いてまっすぐ生きてきたのだった。それこそ映画スターだったら、片手にそれを持ち、シーツにくるまった気怠いオンナの肢体を眺めながらタバコなんかくゆらせたりもできただろうし、あるときは一枚の毛布にふたり仲よくくるまったりして、手にはそれぞれ包み込むようにそれを持って、古びたアパートメントの屋上かなんかで朝日が昇るのをひたすら眺めることだってできたのだった(なぜみんなくるまるのだろう)。だけどそれを日本人がいくら真似をしたってサマにはならない。「マグ」、と呼ぶヒトがいれば、まるで因縁でもつけるような尖った目を向ける私こそ、いったい何なのだろう。寿司屋に行けばたまに「アガリ」というヒトがいたりして、「お茶くださーい」でいいじゃない、と思いながらも、手には魚偏の文字が踊るでっかい湯呑みを私もみーんな持っているわけで、なーんだ、耳をつければ「マグ」じゃん、とはならないのだった。
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2011. 5. 28
[日用品]
容器
「水はグラスで味が変わるの」と、彼女は言った。その女の子はホテルにあったグラスに水を注ぐと、勇んで飲み干してみせた。「家に転がっているコップとはわけが違うんだから」と、もうひとつグラスに水を注いで、「はい」と私にわたすのだった。あれはどこのホテルだったか。部屋にある「グラス」なんて、どこも大差ないはずだった。
水を入れたコップに、「スキ」と書いた紙切れを裏っかえしに貼っておくと(つまり水に見せてあげるのだ)、見違えたようにおいしくなる。「キライ」と書けば、まずくなる。グラスの中の水を覗きながら、そんな話を思い出したのだった。ひとはほめられるとうれしい。笑みもこぼれるし、とにかく悪い気はしない。水七割でできた人間がそうなのだから、あながち否定は出来ないような気もした。
「だから植木鉢に水をやるときにだってとっておきのグラスを使うのよ」女の子は言った。「よろこんでいるのがわかるの。だからいーっぱいあげるの」
女の子はよっぽどその植物が大事なのだった。
「なにを育ててるの?」私は質問した。
教えてはくれなかった。
根が生えて、蔓を伸ばして、女の子に巻きつきはじめた。絡み合い、がんじがらめにして、そういった絵が浮かんだ。やがてそれらはオトコの足や手や指になっていくのだった。
「あげすぎると根が腐っちゃうよ」私は忠告した。
噂では、女の子は外国に行ってしまった。植木鉢もいっしょだったのだろうか。それとも本当に腐らせてしまったのかもしれない。
あのとき女の子は、もう一度水を汲むのだった。「乾燥してるでしょ。だからこうやって、お部屋にも水を撒いてあげるといいの」彼女は人差し指と中指を使ってグラスの中から水を上手にかき出すのだった。カーペットはシミのようにまだらになるが、あっという間に消えていった。私は持っていた水を一気に飲み干した。
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2011. 1. 11
[日用品]
カレンダーのこと
ある哲学者がこんなことを言っていた。「他者の存在は私の自由を束縛してくるものだ。しかしその自由を支えてくれているのも、その他者にほかならない」
とおいむかし、机の前に分厚い学習参考書があって、その背文字にはでかでかと『自由自在』と書いてあった。私はその名前に圧倒され、何度となく金縛りにあったものだ。「自由」どころか本を掴むこともなく、沼に沈む夢ばかり見ていた。だからいまだに、「自由」とか、「自在」とか言われると、いたたまれない気持ちになるのはそのせいかもしれない。今、目の前に「自由」が差し出されたとしても、私はやっぱり呆然と立ち尽くしたまま何から手をつけていいかわからなくなるのだろう。まして「自在」などという腕もそう簡単に身に付くものでもない。そんなことはわかりすぎるぐらいわかっている。私はそもそも「自由」というものが、私の手に負えないぐらい大きいものだと思いこんでいる節がある。これがいけないらしい。妻はそれを「期待しすぎなのよ」と笑う。
ここに、宛名のない封筒がある。封を切ると、カレンダーがふたつに折り畳まれていた。最初はそのまま切手を貼ってトモダチに送ろうと思った。だけど送られた側は「わたしの一年を束縛でもする気?」なーんて言いはしないだろうけれど、結局自分で開けてしまった。
私はなるべく紙とペンでモノを書くが、その紙というのがチラシの裏である。いつでもポケットに突っ込んでおけるよう、チラシを四つ切にして使う。まっさらな大きな紙を前にするとやっぱりどきどきするし、はなから何も期待できそうにないその程度が私にはちょうどいいのだった。ゆく年の書き散らかしたチラシの山のてっぺんにそのカレンダーを載せてみる。ぴったり大きさがいっしょだった。
今の時代、カレンダーを「自己管理」に使うかどうかはさておいて、何かの折りにつけ、気づけば目を向けている、縛られたくないくせに時計といっしょ、それがカレンダーだろう。あれ?今日は何曜日だっけ、締め切りまであと何日だっけ、はたまたそこに「大安」なんて書かれていれば、ほっ、とすればよろしい。
しかし、このカレンダー。カレンダーがカレンダーじゃなくなっていることをどうやら望んでいるようだ。私は眺めているうち、そんなような気がしてきたのだった。
「カレンダー」という名前も、メモ帳みたいな大きさも、これは私の「自由」を束縛する。しかしその「自由」を支えてくれるモノ、なのかもしれない。
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