さまになる
そのひとの手提げに目がいった。スカーフを結わいただけの急ごしらえなのだと知って、なおさら気にいった。
そのひとは椅子に座って、その手提げをテーブルに置いた。歩いてきた猫が不意に寝そべって、平たくなったみたいでかわいらしかった。中からメガネを取り出してかけた。用意してあった書類に目を通し、上目で私の顔をうかがう、「昨日も寝るまえに読んだのよ」と言った。「絵コンテも好きだけど、最初に書かれた文章がいつもステキね、短篇みたいで」私は、照れくさかった。「適当に言ってるわけじゃないのよ」そのひとはそう言いながら、思い出したみたいに手提げを手許に引き寄せた。「テーブルに載せたままなんてはしたなかったわよね、ごめんなさい」捕まえた手提げを隣の椅子に置きなおした。
彼女はメガネを外すと、さあ、なんでも言ってください、そんなふうに前のめりになる。私に向かった目はいつもまっすぐできらきらしていた。「しゃれてるなあ、とおもって」私は彼女の隣の椅子のほうに目を向けた。彼女はぽかんと拍子抜けしたみたいだった。「これ? 見せるほどのものじゃないけど」そのくせなんだか嬉しそうに持ち上げてみせてくれた。それから、まるでおもちゃ箱でもひっくり返すみたいに中身を取り出しはじめる。ポーチやケータイが無造作にテーブルの隅に追いやられるのを見ながら、私は恐縮した。細長い指が布地の結び目をほどいている。そして、テーブルの上に広げられたのは、どこか遠い南の島にでもいそうなカラフルな鳥の絵だった。「ずいぶん前にひとからいただいたものなの」彼女はとおくを振り返るみたいに言った。こういうのをわざわざ額装して飾る人がいるが、私にはその気持ちがわからなかった。けれど、目の前のスカーフは綺麗だとおもった。「ほら、ここね」人差し指の先をくちばしのそばに置いた。小さな裂け目だったのか赤い糸で繕ってある。「いまでもたまに首にかけてはみるのよ、でも今日はまるで風呂敷よね」そう言って首に巻いてみる。どこか懐かしそうな感じがする。それからスカーフの端をつまんで首から滑らせる、すかさず広げなおすと両手を交差させながら私に向かって表裏を確認させた。こんどは手品でもはじめるみたいだった。「まずね」裏地を見せるように三角にきちんと畳む、底辺の両端を一つずつ結んで、二つ、左右に結び目をこしらえる、飛び出したその二つの角をそれぞれ兎の耳みたいに引っ張って揃える「このくらいの長さかしら」次に全体をもういちど裏返すと鮮やかに表地が見えて袋状になる、そこに彼女は片手を入れて、底をたしかめるようにする、「こうやってこうやって」余った二つの端を一つにしっかり真結びにした。「はい、出来上がり」彼女はさくさく中身を移し替え、入れ終わるとさいごに結んだところを腕にかけた。「どう?」と彼女は言った。どう? って。折目正しく、けれど、ざっくばらん、というか。あなたみたいです、とは言えなかった。ようは、さまになる。とはいえ、簡単に「さまになる」と言っても、急につくれるものでもないんだよなあ。おそれいった私は、持っていたコンテをしずかに折り畳んだ。彼女を見ると、だれに言うでもなく「使われてなんぼなのよね」とかわいらしく笑った。
私は振り返る。今もそのひとは、さまになる役者である。
このふろしきは
ふろしきをこしらえるために布を選んだわけではなかった。たまたま触った布が気にいって、「カタチにしない」想像と、「ふろしき」という言葉の、ふたつの寸法が丁度合っただけだった。詩は、モノにあたらしく名前をつける行為だというけれど、どことなく似ているのかもしれなかった。光は風でもいいし、恋はカーテンだったりスカーフかもしれず、愛はソースでもフライパンでも、人間でも思想でもよい。手にとるわたしがそこにいるだけだ。
寒冷紗と名付けられた平織りの布地に触れるとき、その手に任せてみたい。カタチを与えないまま、まずは大きく広げるだけ広げてみる。最初はノリの効いた木綿。使って洗って使いたおしてほしい。
触れる、そのときめきにわたしはしたがおう、かしら。
商品名 ふろしき
素材 綿
製造 MAROBAYA(東京都世田谷区)
寸法 天地1,120mm × 左右1,090mm
価格 4,180円
〇 汲出し 文祥
画廊
少しだけ時間が余ったついでに、その扉を開けてみた。通りに面した大きなガラス窓の向こうに見えた一枚が気にかかって、小走りで渡るとそのまま入った。がらんとした空間には数点ほどかかっていて、どれも風景画だった。気にかかった絵はほかの絵とはちがってずいぶんと大きかった。それは見知らぬ町の遠景だった。丘の上に立ったようにひろがって見えた。灰色の空が画面の上半分を占めていて、その下にビルがひしめきあいながら消失点へと向かっていく。どのビルも素地は白く、窓はすべてが閉じられているように黒く塗り潰されており、そのくせ刷毛目が油の光沢で光っていた。そのひとつに引き寄せられた。ほかとなんら区別はなく、数多ある四角い窓はせめぎあうように羅列され、ただ塗りこめられているだけなのに、なぜかそのひとつがこの世の中心のように私を引き寄せてやまなかった。誰かがそこにいて、こちらを見ているのかもしれなかった。私は息を呑んだ。私は振り向いた。
この汲出しは
文祥シリーズのひとつである。すでに紹介した「果物鉢」を参考にしていただければ、当窯のこしらえる器の機微をすこしは分かってもらえるとおもう。本分を尽くすこと、それだけでこしらえた。それを素朴と呼ぼうが一向にかまわない。茶を汲もうが、酒を酌み交わそうが、想像が口を開く、汲み出す、口にする。
商品名 汲出し 文祥
素材 泉山陶石、白川釉石、土灰
製造 文祥窯(佐賀県伊万里市)
デザイン 猿山修
制作 東屋
寸法 径88 × 高56mm
容量 185ml
価格 3,300円
※ 入荷未定
〇 ガンジー缶切り
円環
桃の缶詰を開けた。桃にしてみれば、とつぜん頭上に裂け目が入ってくるなり光りが差し込んできた、いったいどういった心境なのだろう。開けた当人は、シロップに浸った桃を、いつからそこにいたの、と皿に移す。
本屋に行った。上から下までぎっしり詰まった書架の間にいる。本の多さに圧倒され、世の中にはだれも開けない本のほうがはるかに多いのだと悟る。書架に挟まれ、見上げたりした、書き手は缶詰になって書いたはず、にもかかわらず日の目を見ないままじっとそこにある。読み手はそこまで手が届かない。
作家は「金槌を持ったまま、男は階段を上っていた」と書き出した。それから三年が経った、作家は「金槌を持ったまま、男は階段を上っていた」と書きつけた、やっと終わった。その場合、一見、始点と終点は結びつくようにみえる、だが出会ったのは始まりにすぎない、作家はそこで、まだなにも終わってはいないことを知るにいたる、三年かけて。やり終えていないかんじにふつふつとする、遠くのほうから話し声が聞こえ、書記のようにそれらを書き留めてみる、書く手が止まらない、声の主に名前が与えられる、それは新しい物語の通路なのか、それとも登場人物は生きつづけている、金槌を持ったまま、どこかで。
パリの美術館の中庭、男と女は、ガソリンを満タンに積んだ車に乗りこんだ、それからガス欠になるまで、円を描くようにぐるぐる走りつづける。昼夜問わず、回転するのはエンジンも同じ、もはやどこから始めたのかもわからない、同じことのくりかえしは、更新されつづけていくのだ、タイヤの痕跡、オイル漏れの軌跡がそれを証明する。反復は重複ではない。ボンネットから煙を吐いている。
北海道十勝、自動車試験場のオーバルコースに行った。車の助手席に乗せてもらう。テストドライバーはぐんぐんスピードをあげた。信用するしかなかったが、怖いとも言えない、窮屈なヘルメットのせいにして止まってもらう。傾斜角の強いアスファルトの上、車は斜めに倒れながら渦を巻くように走っていた、カーブに差しかかると、目の前はアスファルトの壁、遠心力という言葉の深淵がすぐそばまでリアルに近づいてくる、信用が揺らぐ、中心からどんどん外れていく、シートベルトを握りしめた。車は不満げに徐行し、下降する、それから芝生のある側道に停車した。車を降りた、ヘルメットを脱いで息を吸い込む、迫り上がったアスファルトを登ってみる、からだが傾げてコースに立つこともままならない、傾斜をいいことに寝転がってみた。どこから始まってどこで終わるというのか、大きな円周のただなかにいることは頭では分かっていても、部分しか見えてはいない、たとえば、川の上流と下流は一望できないのといっしょだった。雲が流れている。先が見えないことはわるいことだろうか。缶詰のなかの心境。名前を呼ばれて、立ち上がったが、皿に移されるようにからだが傾いてそのまま惰性で駆け降りていた。中心には背けない。
この缶切りは
ガンジー。一に缶を切って開け、二に栓を抜き、三に蓋をこじ開ける、三つの用途を備えた。握りがよく、切れ味も抜群、使い勝手は無理強いなくスムーズである。オープナーといえば、台所の引き出しからいつだって出てきそうなもの、だから買え替えなんてあんまり考えたこともないまま、いつのまにか錆びていたり、ひょっとしたら、肝心なときにどこにやったかわからない、とか。ささやかだけど、存在感、与えてみません? だってガンジーですよ、さあみなさんごいっしょに、「ガンジー」。刃はステンレス、錆びにくい、とにかく頑丈、見るからに形態は機能に依るのみ、武骨な見た目にはわけがあるのです。そうそう、ペンキの缶を開けるのにも重宝します。
商品名 ステンガンジー缶切
ガンジー缶切100番
制作 新考社(埼玉県川口市)
寸法 ステン 幅110× 奥行75× 高30mm
100番 幅80× 奥行60× 高30mm
仕様 ステン 本体 18-0ステンレス
刃部 13CRハイカーボンステンレス
熱処理
100番 本体 鋼板、焼付塗装
刃部 13CRハイカーボンステンレス
熱処理
価格 ステン 990円
100番 495円
〇 ACTPキャニスター
イメージの詩
けっこう重いよ、と言われた。抱えたはいいが、思いも寄らない重たさにたじろいで床に戻した。吉田拓郎がカセットテープレコーダーから流れていた。彼女は引っ越すことにした。小ぶりだったし、手慣れたつもりでいた。なにが入ってるの、と聞いたら、わたしの大事なもの、と答えた。ガムテープが十字に貼られていた。それ以上は聞かなかった。イメージを試された気がした。最後の段ボール箱だった。荷台にぴったりおさまったが、なんだか全体的に荷物の少ないような気がした。女の子は吉田拓郎をぶらぶらさせて、じゃ、行くね、と言った。お兄さんが運転席でタバコを吸っていた。音楽が遠ざかっていくのに気づいたときにはもうなにも聞こえなくなっていた。
大事なものがどこにあったかなんて、ぜんぜんわかっていなかった。重たいものを持ち上げるとき、よく思い出す。
このキャニスターは
そう簡単には倒れない。こう書くと、まるで年度始めの陳腐な抱負みたいだけど、すくっと立っているそれを見ているとなんでもない佇まいもまんざらわるくはないな、とおもったりする。なんにもしていないわけではないけれど、なんにもしていないようにじっとしていて、でも妙に惹きつけられるひとってたまにいるけれど、そういうのってどうやったらなれるんだろう。あるひとは、厚みのあるひとと呼ばれ、あるひとは、重みのあるひとと呼ばれるようだけど、そういうひとって、そう簡単には出会えない。というか、大事なことほど素通りして、気づかないだけなのだ。会ったらなかを覗きたい。見えても答えはない。それはわかっている。入っているものがそもそもちがうのだ。
このキャニスターは真鍮管で出来ている。そもそも船舶の配管に使われるそれは、厚みがあって重みがある。信用できる素材ということだ。なにを入れて使うのか。いっそなにも入れないか、ブックエンドという手もあるな。いやいや、用途だけで見つくろうことからちょっと距離をとってみようよ、まずはじっと眺めてみようよ。
商品名 ACTPキャニスター
素材 真鍮丸管、真鍮板、錫(ヘアライン加工)
製造 坂見工芸(東京都荒川区)
デザイン 荒木信雄(The Archetype)
制作 東屋
寸法/重量 ACTP20 径60mm × 高100mm 重量0.8kg
ACTP21 径80mm × 高130mm 重量1.5kg
ACTP22 径100mm × 高170mm 重量2.4kg
価格 ACTP20 33,000円
ACTP21 44,000円
ACTP22 66,000円
〇 麻布十四番
日の出
太陽が昇ったとき、ポーリーンとわたしは台所にいた。かの女が皿を洗っていて、わたしがそれを拭いていた。わたしがフライパンを拭いていたとき、かの女はコーヒー茶碗を洗っていた。
「きょうは少しは気分がいいわ」とかの女はいった。
「よかった」とわたしはいった。
「ゆうべ、わたしはどんなふうに眠っていた?」
「とてもよく眠っていた」
と、話はこの先もつづく。これはリチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』(藤本和子訳)のなかの一節だ。どこか不穏で、けれど美しくて切なくて、まるでお伽話のような本。この「日の出」と題された一編もそうだけど、なんの変哲もない書きようが大好きだった。当たり前のことが、どこか当たり前ではないことのように見えてくのはいったいなぜなんだろう。むかーし女の子が貸してくれた。その女の子はベッドの端に座っていて、ふいに読みかけの本を膝に伏せてから「夢ばっかり見てないですこしは本でも読んだら」と言った。そのあと喫茶店に行って「いっぺん言ってみたかったのよね」と言った。「わたしの好きな絵描きさんの受け売り。びっくりした?」したさ。
そういう日常が、あった。「日常」ということばがいまはもっとも美しい。
この布巾は
明治の時代から百十年余、四代にわたってリネンと麻を織りつづけてきた老舗「林与」。その歴史ある機元(おりもと)が丁寧にこしらえた麻布(あさぬの)です。まずは織りあがったまんま、つまり生機(きばた。織りあげて織機から外したあとの、まだ硬いままの布生地のこと)の状態で、紙に包んでございます。開封しましたら、さきにぬるめのお湯で洗っていただき、柔らかくしてから使いはじめてみてください。おっとー、申しおくれました。商品名は「麻布十四番」。番手をそのまま名前にしてみました。「番手」とは糸の太さを示す指数のようなもの。数字が小さくなるにしたがって糸は太くなっていきます。で、この十四番は太番手のほう。その糸で、密度を高くして織りあげていきます(ちなみにこの商品、織機の古参「シャトル機」を使用するそうで、一時間に一、二メートルのゆっくりとしたペースでやわらかく仕上げていくのだとか)。話を戻しますねえ。えーと、糸を高密度で織りあげる、でした、よって吸水性がよく乾きも速い、食器を拭くにはもってこいです、と言いたかったわけで。あるいはぱあっと広げて、洗ったお皿やお茶碗なんかをそのまま置いて、水切りにもよろしいかと。ほら、乾きが遅いと布地って臭くなったりするでしょ? でもこの「麻布十四番」はなにより清潔さがモットー。安心してお使いください。そうだ、番号だけの名前ってちょっと素っ気ないかもしれませんけれど、実のところ、もっとほかの使い方、見つけていただいても構わないかと。そんな気持ちも込めて、「十四番」。使い込むうちますます柔らくなって手になじみ、それがたとえば「キッチンクロス」であろうが「台拭き」であろうが、もっといえば「手拭い」にだっていいし。大判だから包容力も太鼓判。きっとながーいおつきあいになりそうですね。さて、ステッチの色ちがいによる4種類(赤、青、生成り、白)をご用意しました。さあなんなりとお申し付けください。あ、それと。布地にちょこんと小さな輪っかを付けてあります。手っ取り早くフックなんかにひっかかけて、乾かしたりしていただいてもよろしいかと。ちょっとしたアクセント、ということで。
商品名 麻布十四番
素材 亜麻
製造 林与(滋賀県愛知郡)
制作 東屋
寸法 500mm × 700mm
(一回目の洗いで、この寸法になります)
価格 各色 2,860円
※ 発売記念キャンペーンにつき白のみ1,980円
〇 とり皿、とり鉢。
小さな食卓
ふあふあと、泳ぐ箸は行儀がわるい、と母に叱られた。ぱしんと手をはたかれて、箸が飛んだことがあった。父はなにも言わなかった。ただ黙って母の料理を食べていた。なにも言わないのがいちばんこわかった。そんな父を思い出すときまって『小さな恋のメロディ』のワンシーンが出てくる。食卓で主人公の少年が父親の広げて読んでいる新聞に裏から火をつける。燃え上がって穴があいて真っ赤な顔が向こうに見えて、それからが大騒ぎ。いちどでいいから、やってみたかった。おこられてもなんだか楽しそうだったし。小さいころ父といっしょに見に行った映画だった。ほかにもっとちがうのがあったんだろうに、それでもわたしの好きな音楽や映画はあそこらへんから影響を受けたのだと思う。そういえば、父がちゃぶ台を根こそぎひっくり返したことがあった。わたしは箸とお茶碗を両手に持ったまま、さいしょはなにが起こったかわからなかった。ごはんがお茶碗の形のまんま、ぼてっと畳の上に落ちていた。母が声を出して泣いた。母が泣いたのを見たのはそのときがはじめてだった。理由は忘れた。きっと大人の事情だ。ひざまづいてごはんをお茶碗に戻している母を見て、わたしも泣いた。あのころの食器がまだ実家にある。父の大振りなごはん茶碗もあった。当時、食卓には迷うぐらいのお皿なんて並んでもなかった。箸が泳いだのはきらいなものしかなかったからだ、きっと。小さな食卓だった。父の好物だった魚が多かった。父の魚の食べ方はそれは見事だった。骨が魚の形を保ったまんまそれもしずかーに横たわっていた。それを見て見ぬ振りをするのが好きだった。わたしは魚はきらいだ。ましてやきれいに食べ終わったこともない。そこは父に似なかった。父も母も取り立てて言うでもなかった。ようは残さなきゃよかったのだ。とり皿の部類なんてなかった。必要もなかった。あのころを思うと、「とり皿」「とり鉢」なんて聞いて、いまでもちょっと贅沢な気がする。
この皿は
「とり皿、とり鉢。」と申します。轆轤でぐるりとこさえた、まずは懐の浅ーい「とり皿」は。おひたしや漬物をちょこんとのせる銘々皿として。あるいは塩辛、つまみ、酒のあてになんぞ。ときに醤油の受けにだってちょうどよい。いっぽう懐の深ーい「とり鉢」は。鍋物のとり鉢、そりゃもちろんのこと。締めの雑炊にもうってつけ。小腹が空けばチャーハン、スープ。日課のヨーグルト、果物だってお引き受けいたします。食材が、ぱっ、と映えるようにと黒(海鼠釉)、白(柞灰釉)をご用意。「とり皿、とり鉢。」ってお声がけくださいませ。両者ともども朝昼晩問わず、いつなんどきなーんにでも駆けつけます。だって「ご馳走」ですもの、ね。
商品名 とり皿、とり鉢
素材 黒 黒土・海鼠釉
白 天草陶石・柞灰釉
製造 光春窯(長崎県波佐見町)
制作 東屋
寸法 とり皿 径120 × 高42mm
とり鉢 径120 × 高54mm
価格 とり皿 2,750円
とり鉢 2,970円
〇 山茶盆
どうしようもないわたしが歩いている
「来年からは新しい人間になり、新しい生活を送ろう」だって納得のいく句を次々詠んでみたいんだもの。あるとき種田山頭火は大好きな酒を控えてみようと思いたつ。でもだめだった。思うに、一杯やりながらそう書いたのかもしれない。日記『行乞記』である。日付は12月31日。その直後を読めば、こうもある。「ともあれつつしむことだ。ま、三合ぐらいは許されるかしらね」みたいな。そもそもつつしむってことは断つわけでもなかった。だから、1月1日、やっぱり飲んでいる。なんだかおかしい。31日の日付のなかに、好きな句がある。「雨の二階の女の一人は口笛をふく」 なんかいい。このなんかがずるい。
だれだって年のくれにでもなれば、来年からはこうしよう、こうしたい、なんて口には出さないまでもどこか前向きなことを一つや二つ思ったりするものだ。去年のくれ、わたしだってそうだった。
「おだやかに沈みゆく太陽を見送りながら、私は自然に合掌した、私の一生は終つたのだ、さうだ来年からは新らしい人間として新らしい生活を初めるのである。」(種田山頭火『行乞記』より)
「来年から」「来年になったら」とは、この四月に聴くにはどこかかなしい。来年からでいいわけがない。願った今年はちゃんとある。
この盆は
山茶盆。来客の折、茶や御菓子をもてなすときとか、ひとりふたり晩酌やコーヒーなどを愉しむときとか。住まいのなかでときを選ばず重宝する小ぶりな盆です。挽物(木材を旋盤もしくは轆轤に固定して回転させながらカンナで削っていく職人技のこと)で無垢の一枚板を削り出した肌理の美しさを、まずはご堪能ください。欅、栃、杉、松の四種類をご用意しました。どれも板目の美しさと耐久性にすぐれた素材ですので、お好みでお選びください。表面はあえて塗装はせずに無垢のまま。シミなどが残りやすくはなりますが、使っては拭いての繰り返しで、渋みをまして目にも愉しく手になじみます。
商品名 山茶盆
素材 欅、栃、杉、松
製造 但田木地工房(富山県庄川町)
制作 東屋
寸法 径240 × 高18mm
価格 各8,910円
※ 3番目の写真上から、4番目の写真右から、欅、栃、杉、松
となっております。
〇 HOOK No.2
まだここにはないなにか
なんだかひっかかることがある。だけどそれがなんなのか目に見えない。わたしの居場所はほんとうはここじゃないのに置きざりにされているかんじ。忘れられて、だれもしまってくれない三輪車みたいだ。
なにかが起こるとき、時間も場所も指定なんてされない。そうやって世界では何万回も、ことが起きている。わたしはそれらのたったひとつでも、学習したよ、なんて言えない。
どうしよう。
カーテンレールにかけっぱなしの、からのハンガーが宙ぶらりん。じっと見るとさみしくなるから、パチンと消した。わたしはベッドにもぐりこむ。
『100万回生きたねこ』をむかし読んだ。起きあがってパチンと点ける。本棚をさがす。あった。
「ねこは、はじめて なきました。夜になって、朝になって、また 夜になって、朝になって、ねこは 100万回もなきました」
どうしよう。
わたしも泣いていいのか。
「100万回生きるって、たえまなくお祈りすることといっしょだね」
「だれに?」
「だれ? なにかに、なんだろうね。だれにもわからないなにかに」
ずっとむかしに聞いた。あなたなのか、本で読んだのか。
なにに祈るのかもわからないのに、わたしの唇の先はおのずと動きはじめている。わたしは泣いているのだった。泣いていいのだ。
わたしは三輪車に乗ったまま大きな声で泣いていた。
このフックは
見てのとおりS字型のフック。定番のカタチにすこーし工夫をつけて、真鍮でこしらえました。SはSでもおなかの部分がまっすぐだからぶらぶらしません。まずは、部屋の片隅、長押やレールに引っ掛けてみてください。ほら、もっとほかのなにか、引っ掛けたくなってきます。洋服はもちろん、バッグや帽子など、台所では計量カップやミルクパン、などなど、身の回りのものをかけてかけてちょっとした整理に一役。ちなみに、東屋の「衣桁」にもピタリとハマるサイズになっています。そちらでもどうぞ。
商品名 HOOK No.2
素材 真鍮(角棒曲げ加工)
製造 坂見工芸(東京都荒川区)
デザイン 猿山修
制作 東屋
寸法 長86mm × 幅37mm × 厚3mm
重量 13.5g
耐荷重 12kg
価格 4,950円(5本セット)
〇 箸箱
そうかんたんにかたづけないでよ
あたしのはなしをあたしのことを
ことばは口に出さないとわからないことが多い。どんなに仲のよいひとにだって、そうかんたんにはとどかないとおもっておいたほうがいい。ありがとう、ごめんなさい、さよなら、またね、おはよう、おやすみ、いってきます、おかえり、いただきます、ごちそうさま。みんなみんな、ことばはいつもそとで生きていく。声になる。それでも、あとになってあのときちゃんと言っておけばよかったとか、だけどもう間に合わないんだとか、そうわかって、くるしくなって、だから胸にしまうだけじゃだめなんだと後悔して。
次なんてないのに。
なんでだろう。くまのジローを見ているとそうおもった。ジローはぬいぐるみだけど、私の目を見ている。
夫がなかなか帰ってこないので、ちがうことかんがえようとジローからはなれてキッチンを掃除しはじめる。
「ことばはかたづけちゃだめなんです。整理されたことばなんていりません。整理してどこにしまったかわすれてしまうような文章なんてぼくは読みませんから」「そもそ余計なものなんてないんですよあなたがたに。なにかつたえようなんておやめなさい。ことばはそとでお散歩したいのです。放ってみなさい」おもしろいこと言う先生がいた。
私たちはいつもいっしょにいてそれがあたりまえだとおもっている。わかりあえる、なんてほこりをかぶった置物だ。無力だ。わかってる。ふりかえるとジローと目があう。おまえのことじゃないよ。水がながれつづけている。スポンジをしぼって蛇口を閉める。時計を見る。
「次なんてないのに」
どうしよう。時間が止まらない。
この箸箱は
たとえば食器棚のなかで、「ここがあなたの定位置ですよ」って、かたづけるスペースをこしらえておいてあげたい。上手にかたづけてはおきたいけれど、かたづけたっきり、出番がなくなってる、なんてそれもちがうし。さっと取り出して、どうせならそのままテーブルに置いちゃえ。そーゆー収納箱、あったあった。箸が取り出し易いようにゼツミョーな角度をつけて、国産ニレの木を削り出しでこしらえたという。箸やカトラリーだけではおさまらない、鉛筆やペンを入れてデスクにだってどーぞ。
商品名 箸箱
素材 楡
※木地仕上げ(写真左)/ 胡桃油仕上げ(写真右)
製造 四十沢木材工芸(石川県輪島市)
制作 東屋
寸法 長280 × 幅63 × 高37mm
価格 木地仕上げ 5,830円 / 胡桃油仕上げ 6,160円
〇 微細霧吹き器
霧が晴れるみたいに
ずいぶんとむかしのこと、『ミスト』というゲームにはまったことがある。女の子の家にころがりこんで、そのままそこにいることがあたりまえになっていった。こうすれば二人はいつもいっしょにいられる、そのことをおたがいがわかっていた。だから二人っきりでじっと家にこもって、まるで「大丈夫」という鍵でもかけたつもりで、安心しきった二人はそこから外に出ることもなかった。あれは、なにか特別なものを見つける旅だった、たとえば野原だとか、森のなかだとか、坂道を上ったり下ったり、ただ歩きながら、手紙やメモのたぐいを見つけてゆく、それらを足がかりにして、ひたすら前に進むのだ、見知らぬ浜辺、見知らぬ丘、見知らぬ岬、岬には灯台があった、近づいてみた、そのなかの螺旋階段を上って、扉を開け、風を感じた、海を眺めた、さざ波がたっていた、昼間だった、昼間の灯台はなにも照らし出さないことを知り、いや、ただ遠くから灯台を見ただけなのかもしれないし、あれは灯台じゃなかったかもしれない、海なんてそもそもなかったかもしれない。夜な夜なそのゲームにかじりついていた。それから数日がすぎた。そしてそれはおわった。けれど、かんじんの「なにか特別なもの」がいったいなんだったのかはまったく思い出せずにいる。「ミストってミステリーの略語なんだね、だって i じゃないもの」後ろにいたはずのあの女の子の顔もぼんやりとする、振り返ってもうまく思い出せない、二人で歩いたわけじゃなかった、ゲームのなかはいつも一人だった。
「過去は霧みたいだ」
後ろにあったはずのものがいつのまにか回ってきたみたいにそこに漂っている。透かして、今を見ている、そうかもしれない。だからよりいっそう、目の前で起っていることが、現実のものだとわかってくる。不透明なのは、こころであって、それが人間である。その目はだけど、もともと澄んでいる。
「概念だけでものを語ろうとしてはならない。目の前にある実際のものやことがらをこの目で見ることからはじめる」
くもらせてはいけない。
そういえば、深いふかい霧の、まっ白い画面から、ゆっくりと霧が晴れてゆくと、そこはにびいろの埠頭で、四、五人の男女がばらばらに違う方向を向いて立っている、そんな映画のワンシーンがあったような気がするけれど、あれはもしかしたら、ゆっくりとゆっくりと霧がかかってゆき、そのうちに彼らはそのまっ白いなかに消えていって、見えなくなってしまったんじゃなかったか。 どっちだったか忘れてしまっている。そうだ、あるひとがこんなことを言っていた。歳をとっていくといろんなことを忘れていくね、だけど考えようによってはね、むかし見た映画も、むかし読んだ本も、そんなことなかったみたいに、はじめて出会うことになるんじゃないかしら、だとしたらそれはそれでたのしいよね。
あの女の子とそんなふうに出会うことなんてあるんだろうか。
あれは晩夏だった。二人でいちどだけ旅に出たことがあった。あれだけ二人でたしかめ合ったのだから、もう外出しても平気だわ、うまくやっていける、二人はそう踏んだのだ。シーズンオフのスキー場、風でリフトが揺れる下を二人で歩いて上った。どのくらい歩いたか、不意に目の前が、低い空だけになった。もう少し上った。すると平地に出た。そこにメリーゴーランドがあった。だれもいなかった。二人は足が止まった。二人は顔を見合わせることもなくじっと動かないそれを見ていた。
はじめて出会えば、それは跡形もなく消える。
この微細霧吹き器は
形態と機能の間にはどれほどの余地があって、そのどこらへんに立ちつづけているのが好ましいのか、この微細霧吹き器を見るにつけ、ものをこしらえることはなんとも不思議だとおもう。テコの原理、ピストン運動、水の加速度、エトセトラ、エトセトラ。機能がデザインを呼びこんでいる。
この微細霧吹き器は、「微細な霧がワイドに拡がる」と謳う。その理由は、ノズルの構造にある。噴霧口のネジを回して覗くと、「虫」と呼ばれる小さな部品があって、そこに螺旋状の溝が施されている。それによって繊細な霧を放つことができるのだという。
グリップは持ち易く、レバーは前述どおり、テコとピストンの作用が相まってスムーズに駆動、噴射する。本体はステンレス、ノズルは真鍮でこしらえてあるので、さびにくく、耐久性がある。これぞ定番。観葉植物の水やり、パンやお菓子づくり、はたまたアイロンがけなど、ぜひ一台、お手許に。
商品名 微細霧吹き器
素材 ステンレス、真鍮
制作 新考社(埼玉県川口市)
寸法 幅88 × 径62 × 高155mm
容量 200ml
価格 5,060円
〇 肥後守
間の因果
ー習慣と思考が刻む間にー
手と道具を持ってして「盛ることと削ること」はなににつけつかずはなれずのいわば有縁の関係ではあるものの、その間がはからずもその手の止まってしまう時間にもなってしまうことがたびたびあって、そのあわいにこそなにかがあることはわかってはいそうなものなのだが、どちらかいっぽうに傾いているような心許ない意識が立ち上がっていることに気づけばそのなにかはたちまちのうちに消えている。そのようなとき、それを壊すひとがいる。見てられないのだ。小学校を卒業するときY先生のノオトに書いてくれた言葉は「自分の顔は自分で作れ」とあってこの歳になってからじわじわと胸に喰い込んでくるけれど顔はまだこれからも変わるものなのだろうか。顔ははたして壊せるものなのだろうか。この顔は通り過ぎてきた矛盾と和解の造作である、眉間のしわを指摘されるたびにそう反駁して煙に巻いてきた。
リルケが『ロダン』のなかでこう書いている「彼は自分の道具の鈍重なあゆみを軽蔑することをしなかった」ロダンはたとえば空想という翼を持ったとしても「それを飛び越す」容易さは選ばない、「自分の道具のあゆみに並んで歩いた」という。「多様性」に惑わされることよりも「永遠性」についてその美しさについてリルケ自身がロダンを通して目を見張るのだった。ときに切り出しナイフをつかって彫と塑を行き交いするジャコメッティ、「私が進歩を感じるのは、肉づけしているナイフを、どう握っているのか、もうわからなくなっているときである。まったく途方に暮れてしまって、でもなんとかつづけることができると愚かになったときそれこそが進歩の好機なのだ」と言った。
ただ、道具に伴走す。
いつのまにか、持たされているもの。なにも道具だけじゃない。習慣は思考にまさることもある。
このナイフは
肥後守。硬い鋼を間に挟み、柔らかい軟鉄でサンドイッチしてこしらえた刃を、真鍮の鞘に収めたポケットナイフである。チキリ(尾)と呼ばれる突起部を押すことで刃を開閉できるため、直に刃面を指で触ることも少なく、さびの原因になる湿気を最小限にしてくれる。刃は両刃になっているので利き手を問わず左右どちらでも自在だ。たとえば、鉛筆を削る、紐を切る、手紙の封を切る、荷物の開梱、アウトドア(釣り糸を切る、とか)、切れ味の良さで活躍必至。自分で研ぐもよし、万能と謳うにふさわしい。
どういうときに使うのかを知り、気をつけ気をつかって使う、道具との付き合い方がある。つねに初心者であることを忘れないでおきたい。
さて、大、特大、ご用意した。それぞれ用途に応じてお求めくださいませ。
商品名 肥後守
素材 刃/青紙割込(鋼、軟鉄)
鞘/真鍮
製造 永尾かね駒製作所
寸法 大 刃 厚3mm、長80mm
鞘 長100mm
全長 180mm
特大 刃 厚3mm、長100mm
鞘 長120mm
全長 220mm
価格 大 2,420円
特大 3,080円
〇 2020 CALENDAR
365歩のエチュード
僕はいつも思っていることを思っている。間違いを起こさないために慎重に君のそばにいることを。私は魂が遠くにいこうともあなたのそばにいる。寂しいと言った君の考えは耳元で囁かれたばかりでもう僕は船に飛び乗ろうとしている。そうやって胸元で眠ってしまったあなたの夢は海へと流れ込んでいき私はそこで溺れたまま手をあなたに差し伸べることぐらいしかできない。雨が降っているよ。そうね雨が放垂れて街はびしょびしょに濡れている。フェリーの車の中で僕は前を向いているけれど、明日は後ろだね。軌跡は赤いリボンの解けたように二手に横たわっていく。車の走る音は雨音を携えて明日から昨日へと消滅する。水を運んでいる。ちゃぷちゃぷ両手のひらの上で踊っている。こぼれた涙が胸の上で波紋を広げて白いシーツに染みを作るのは君のことなのか。私なのか。あなたなのか。
困ったことに明日が来ないという噂を聞いて君は少しずつ若返っていった。僕を置いて。あなたを置き去りにして。あなたは私にこう言った。寂しいけど仕方がないね、と。それは一体いつなんだろう。いつ君や僕に明日は来なくなるんだろう、と友人に聞いた。友人は昨日を振り返り、手を振って去っていきながらこう言った。間違いがあるとしたらそれは今日だよ、わかるかい今日という日なんだ。昨日じゃない。私はそれでもあなたのそばにいる。魂が遠くにいこうとも。船は今運河をいく。川の持ち味を最大限使い、船は運河をいく。知っているかい。君の後ろにずっといる。明日が。ほら振り向いてごらんよ。それは落ちていった花びらを回収しながら背筋を伸ばしていく赤い花だ。やだ。あなたは嘘つきだ。世界の嘘をあなたが回収して生き延びる青い空だ。雲が全て撤収した頃には雨はどこにいるのだろう。雨は君の中に充満している。嘘だ。あなたは私を愛していないばかりではなく私のそばを離れない。遠くにいるくせに。旅に出てしまったくせに。
このカレンダーは
365の日々には、364の「間」がある。
その日に思いついた言葉をワンセンテンス書き付けるだけで、だんだん生まれてくるテクストだってある、と誰かに聞いたことがある。そういった、1日分の、ほんの少しの余白を持ち合わせたカレンダーが欲しいな、と思っていた。欲張らない、1日1行くらいがミソだ。予定やトゥ・ドゥを書き記すだけじゃない、だって言葉は1日おきに角を曲がる。自分でもまだわからない、まだ見ぬ明日におどろく。目的だけじゃない、かもしれない。
商品名 2020 CALENDAR
デザイン 立花文穂
制作 立花文穂プロ.
寸法 縦297 × 横100mm(二つ折り)
価格 825円
〇 コーヒーのつくり方(大坊珈琲店式)
コーヒーのこと、だけでもなさそうな
アンデルセンの童話ではないけれど、「だれもが忘れてしまわないうちに聞いておく値打ちのあるお話」というものがままあって、この本もそのうちのひとつかもしれません。『コーヒーのつくり方(大坊珈琲店式)』です。
アンデルセンには「小夜啼鳥」という有名なお話があります。そのなかに細工鳥がでてくるのですが、機械仕掛けのその鳥はせいかくに何度も同じ歌を歌う代物です。もちろん細工ものなのですからその中を開けてみれば、これはこうだ、と説明がつくものですし、ことのいっさいはすでに決まっていて、かならずその歌を歌うようにできています。いつだって変わることはありません。だから人はそれらの歌をおぼえたりもできますし、そらで歌うこともできるようになります。ただ、細工鳥には欠点があります。つまるところつくりものですからいつかはこわれてしまう。それは部品をかえるなり直せばいかようにもなりそうなものですけど、もっとやっかいなのは、ネジを巻く人がいなければその鳥はなにも歌うことはできないというわけです。では、ほんものの小夜啼鳥はどうでしょう。いったいどこを飛びまわって、いつその歌声が聞けるのか、かりに聞けたとして、はて次になにを歌いだすのか、前もってわかることなどなにもありません。あたりまえのことです。だからこそ、こよなくいとおしく、人は小夜啼鳥のゆくえを追いもとめ、その歌声のとりこになるのでしょう。お話のなかで、小夜啼鳥と細工鳥の両方の歌声を聞いた人がこう言っています。「さいくどりだってなかなかいい声で歌うし、たしかにさよなきどりと似てはいるけれど、なにかが物足りない」と。
このお話のあるじはとある国の王様です。ふいに小夜啼鳥がいなくなったあとのこと。それでもいつも決まって歌ってくれる細工鳥の歌声には満足していました。あるときその王様が病気になって寝床に伏せてしまいます。夜な夜な耳もとで聞こえる死神の声におびえるようになり、「音楽をやってくれ、太鼓でもなんでもどんどん叩いて、死神の声をかき消してくれ」と叫びます。けれど死の淵にいる王様のことを家来たちはもうあきらめてしまっている始末。そばには細工鳥のネジを巻く人もいません。歌わない小鳥はただの飾りです。そこに、はからずも小夜啼鳥がやってきます。聞こえてくるのはほんものの歌声です。するとどうでしょう、小夜啼鳥の歌声はみるみる死神の声を遠くへと追いやってしまい、王様の血の気はどんどん戻っていきます。「ああ、さよなきどりよ。ありがとう、ありがとう。おまえはなんてうつくしいのだ。それにひきかえこのつくりものときたら」王様は窓辺にあった細工鳥を捨ててしまおうとします。と、そのとき「お待ちください」小夜啼鳥がさえずりはじめます。「たとえつくりものでも、いつもあなたのためにたくさんの歌を何度も歌ってくれていたではありませんか。いつまでも大切に、おそばに置いておいてあげてください」「ではおまえは」王様は言います。「わたしは、わたしが来ようと思ったときにわたしのほうからあなたのそばにまいります。そして、わたしの歌いたいとき、わたしはわたしの歌を歌います。たとえば、ほら」
大坊さんはさいきん、いろんなところを飛びまわってコーヒーをつくってらっしゃるそうです。その大坊さんが、まだ南青山に喫茶店を持っていらっしゃったころのこと。お客さんの足が一息ついたすきまのような時間です。ある日は昼下がりでした。まるで止まり木にとまったみたいにカウンターのなかの隅っこに腰をおろし、自分のつくったコーヒーの小さなカップを手に包んで、一口二口口にしながら、ときおり空を見つめてらっしゃった。テイスティングでしょうか。その光景をたまに目にすることがありました。コーヒーをおとすすがたよりも、そのかたわらのほうに「つくるひと」という言葉が浮かんできたものです。じっと、見ていました。だってほんとうの「つくるひと」などそうめったにお目にかかることなどないのですから。同じものを同じように、いつも丁寧に、つくりのしっかりしたものをつくっているひと、そのはずです。それでも説明のつかない、なにかが物足りない、なんて思ってらっしゃるのかしら、こんなに美味しいコーヒーが目の前にあっても、です。人が、生活のことを「日々」と名付けた理由、一日一日、層が重なってゆく感じ、そういう層の土台のうえに大坊さんはちょこんと座ってらっしゃった。「なにか」を追わないわけにはいかない、つづけることの美しさとむずかしさにまぶしかったおぼえがあります。
大坊さんのつくるコーヒーにはナンバーだけがつけられています。作曲家のように。ねえ、大坊さん、「いつも」とはいったいなんなのでしょう、「ほんもの」とはいったいなんなのでしょう。大坊さんはそのことをちょっとだけ歌って聞かせてくれているようです。たとえばこんなふうに。「一滴一滴、タチッタチッと」「徐々に滴が連なるように、コロコロと」「それから細い糸のように、ツーと注ぐ」「もっとゆっくり・・・」「いそがないで・・・」かとおもえば「熱くしようが、薄くしようがオーケー、オーケー」大坊さんの日々にはもちろんかなわない、でも、マニュアルのように、おぼえることではないような、たとえば楽譜を読むように、そのことでそれぞれの演奏家の奏でる音色はちがうように。大坊さんの声に耳を傾けていると、わたしのコーヒーのつくり方をつくれそうな気がしてきます。手垢で汚れるほどにそばに置いておいてほしい、大坊勝次著『コーヒーのつくり方(大坊珈琲店式)』、ぜひ読んでみてください。
書名 コーヒーのつくり方(大坊珈琲店式)
著者 大坊勝次
英訳 マイケル・エメリック
編集 久保田夏実
造本 立花文穂
発行 東雲書林
判型 188 × 142mm
頁数 52頁(和文29頁、訳文23頁)
価格 4,000円
〇 TANKER Ⅱ
ごちそう
「ご馳走」と漢字で書くと、いつも思い出すのは夏目漱石の『それから』の冒頭である。「だれかあわただしく門前を駆けてゆく足音が」聞こえてきたとき、代助はぼんやりと俎下駄をイメージするのだけれど、夢うつつで、はて、下駄の音で目が覚めたのか、それとも夢の中で見た「空から、ぶらさがっていた」下駄が早かったか。<根拠>とか、<同時性>とか、書き出しが小説全体の不可思議さを暗示している、と言う人もいた。
ご馳走。美味しいものは美味しいうちに。おいしいからすぐ食べる、なのか、すぐ食べるからおいしい、なのか。どちらにせよ、駆ける足音がどこからともなく聞こえてくる言葉である。『それから』では、「駆けてゆく足音」は「遠のく」のだけれど、この場合「駆けてくる」「近づいてくる」の方である。ごはんの支度を急ぐ買い物帰りの、駆け足を思い浮かべるのかもしれない。
「お願いだから温かいうちに食べてよ」
僕はいつも妻にお願いされる、というか叱られている。折角こしらえてくれた彼女のご馳走を食卓の上に放ったらかしにして、他の部屋で仕事の手を止めない。あるとき、「じゃあ、タイミングを言って頂戴」と告げられた。
「うーん、あと30分後」
「オッケー」
で、「ごはんですよ」って呼ばれる。けれどけっきょく手が離れない。前まではふくれっ面でじっと待っていた彼女は、最近になってさっさと食べている。遅まきながら食卓に座り、手を合わせて戴く。
「いただきます」
手を合わせるのは「ごめんなさい」の意味も込めるのだけれど、それは言わない。あくまで「いただきます」であって、でも彼女の「ごちそうさま」とバッティングするときはさすがにバツが悪い。妻は自分の食器だけ片付けてその場から立ち去っていく。そのとき「私は宙ぶらりんである。」宙ぶらりんとはこーゆーことだろうか。
それから、僕は
「ああ動く。世の中が動く」と、しれっと食器を片付けに台所まで運ぶ。
それで? って顔をする妻と目が合う。
この盆は
たくさんの食器を一遍に運ぶ。イタリアのバールで使われている機能美を「写し」た。見てのとおり、どっぷり深さがあって、運ぶ途中にたとえば飲み残しがこぼれてもへっちゃらだ。アルミニウム製で軽い、一気に運ぶのにも負担にならない。「ヘラ絞り」と呼ばれる、一枚板から継ぎ目なくこしらえるので丈夫が信条。『タンカー』と名乗る。錨を下ろした停泊はみなが寝静まったころだけ。さあ、ご馳走を運べ、運べ。馳せる気持ちが形になったか、後片付けの効率か。岸から岸へ、況んや食事の船である。
商品名 TANKER Ⅱ
素材 アルミニウム
製造 坂見工芸(東京都荒川区)
制作 東屋
寸法 径355mm × 高48mm
重量 約400g
価格 9,900円
〇 ステム
カタカタ鳴る
序破急の破は、型どおりに物ごとは進まずに破れるから、よって展開はその名が示すとおり開いていく。散歩しているとふと、そんなことが頭をかすめた。坂道を上り切ったとき、その向こうにはなにも建物の見えない、雲が流れる空だけを見たからだろうか。つまり型にはまってもその内容をもってすれば型どおりにはならなくて、意の外へと導いてくれる。その内容とは。まずはいいと胸を張って言えることだ。自分が自分を褒めてあげられるすなわち「私」のことである。型あってしかり、型から入ってしかり、けれどもその先があることを「私」は分かろうとすること、「自分を疑えってことだよ、〇〇くん」そのひとはこうも言ったのだった。型におさまればただの型、しかし型なきものはすぐにガタが来る。うまく言うなあと思ったのだろう。グラスの水を一口飲んだ。いつもの照れかくしだ。規則を駆使して自由になる、という言葉がある。規則を無視して、自由、なんて言ってると痛い目にあう。そういうことを分からないままデザインというコトバに足を載せてふんぞり返っている人。ふと静かになった。声が途切れた。「なあ。〇〇くん」僕はそのひとを見た。そのひとは通りに目をやっている。「きみにアートをやらせてるおぼえなんてないんだよ。わかるだろ、そのぐらい」グラスが音を立てた。カタ。膝がテーブルに当たった。ガタ。俺の言うとおりにやれって、そう言えばいいのに。俺が規則だ、俺の言うとおりにやってれば間違いはないって。遠回しな言いよう、だけどけっきょく溢れ出す言葉に追いつけなくて。ほんとうのところ人と話すのが大の苦手なのだ、それを悟られまいとするのか、ときに横柄に見え、それでも言葉は選ぼうとする、でも二進も三進もいかなくなって。そんなときどこかに手とか足とかぶつけてしまう。腹が立つひとだった。〇〇くん、と言うときはだいたい怒っている。そもそもひとの目を見て話さない。だけどそのひとは、僕をいつもかわいがってくれた。時折諭す、なだめる。そして褒める。褒めるときは大阪の言葉が全開になる。照れるのだやっぱり。でも全開で褒める。こっちも照れる。不意にごはんに誘う。まったく飲まないひとなのにずっとつきあう。歌が上手かった。『ムーンダンス』を流暢な向こうの言葉で歌う。キザ、ではおさまらない、「すごいなあ」って声を漏らした。そういう場に流れてしまったとき、それでも頑なに歌わない人がいるけれど、そんなふうにそのひとも見える、だけど歌うときはしっかり歌い、でも歌ったあとは何ごともなかったかのように座る。僕がそのひとのことを大好きだったのは、そのひとが見誤って(たまにだったけれど)、失敗したとき(プレゼンとか)、そういうときちゃんと目を見て謝ってくれる。そのときだけ目が合う。それ以外の言葉は付け加えることもしない、ただ謝る。目は嘘をつかない。そのひとの目は鋭すぎるのだ。その自覚もあってなのか、懸命にもみえるように目を合わせようとしなかったのかもしれない。だんだんそのひとがかわいらしくも思ったのだった。目で、人を傷つけやしないか、そう思っていたのだろうか。
〇 四寸皿「赤丸」
取り皿
いつも行く飲み屋には大体いつもと同じ面子で、ほとんどいつもと同じような戯言を肴に、これもまたいつものように笑い合いながらほんの数時間を過ごすのだけれど、そんなときふと気付いたのは取り皿である。取り皿に、いつのまにかいろんなものがのっかっているのだ。それも僕のだけ。そうか。というのは、しゃべるほうが優先されてなかなかツマミを口に運ばない、だから頼まれた数品の料理皿にはそれぞれぽつんと一つだけ残っている。焼き餃子とか揚げ出し豆腐とか。きっと僕宛なのは分かってはいても、この期に及んで、一つだけということに手を伸ばすことが憚られる。そのうちそういうことも忘れてしまってまたしゃべっているわけだから、ほかの連中がいつのまにかそっと配給してくれるのだ。そうやって取り皿はいつのまにかいろんなものがのっかっているのだった。万事、料理がのっていた皿はやっと片付けられていくのだけど、別に皿を片付けるために取り皿があるわけではないし、連中だって片付けるためにそうしているわけでもない(ちょっとはそれもあるのかもしれないけれど)。ようはまわりに気を遣わしてしまっているのにかわりはなく、どっちみち面倒のかかるやつなのである。というわけで、手もとの取り皿には冷たくなったツマミの面々、たまに齧りついてはまたしゃべる、大して面白くない話にも笑ってくれる、片付けられるべきは僕なのかもしれない。よって取り皿は取ることもないまま、のせられて、のせられているのをいいことにしゃべりつづける。
給食も食べるのが遅かった。クラスメートの机が一斉に後ろに下げられても、逆さまの椅子の谷間で挟まれるようにして食べていた。そのうちオーナリが長箒の柄を切先さながら僕に向けて「めんどくさいやつ」ぎっ、と睨みつける。それでもかまわず埃の舞うなかで食べつづけた。「たっちんはそうやっていつもサボるんだから」学級委員のタエちゃんが言う。「違うんだよ、聞いてよだって」もぐもぐ。「ずーっとしゃべってるからよ」とミドリちゃんは振り向きもしない。黒板の上のほうを拭いている。ミドリちゃんはクラスで一番背が高い。そういえば、たしかにあのころはよくしゃべっていた。お調子者だった。もう少しあと、ある時期から、誰ともしゃべらなくなった。いろいろあったのだ。そういえばミドリちゃんは早くに結婚して双子を産んだんだ。とここでとやかくそういうことについてしゃべり始めると切りがないから止しておくけれど。飲み屋では、小学生並みにしゃべる大人になってしまった。面倒をかけているのはやっぱりかわらない。
「自分で取りなよ、ねえ」
女の子の強い声がしてハッとした。ぎっ、と向こうから僕を睨みつけている。ぼ、ぼく? 初対面、黒づくめのパンク、シド・ヴィシャスぐらいあるのか、腰が高い。僕はうろたえた。あわてて取り皿、取り皿、って探すけど、えーっと、と目を上げる。すると取り皿らしきが人から人へと回されていろんなツマミがのせられてどうやらこっちに近づいてきて「はい」だれ?「あ、ありがとうございます」僕はその取り皿を取るにいたる。「取るのは取り皿じゃねーし」って叱られはしなかったけれど女の子とまた目が合った。えーと、いったい今日はなんの新年会だっけ。知らない人たちに囲まれて僕は何をしゃべっていたんだっけ。たくさんのっかった取り皿片手に、取りあえずそばにあった唐揚げを一つ、取ってみる。のっからない。彼女は隣の子としゃべっていた。ミドリちゃんの顔を思い出した。「寝てません?」誰かが言った。
この四寸皿は
赤丸、と名付けられた古伊万里の「写し」である。熊本の天草陶石を素地とし、長崎波佐見でこしらえた。轆轤で手挽かれたのち、素焼をし、秞をかける。それから本焼き、再度轆轤の上で、すぅーっと筆を走らせ上絵三色の独楽紋を描き切る。さらに上絵焼き。特筆すべきは赤の色だ。いわゆる「明か」である。その発色はかつては鉛に頼っていたのだけど、食の安全を鑑み鉛抜きで試作を重ねて重ねて、独自の「明か」。見つけちゃった。
むかしむかし17世紀から18世紀へと遷るさなかに誕生したと言われる伊万里。当時は「今利」とか「今里」だったらしく、なるほど、「今」かあ。じゃあその伊万里の風情を2018年の「明け」にと。明かしちゃえば、回る独楽に見立ててまずはご紹介、と思った次第。どうか円滑にことが回りますように、なんて遅ればせながら新年めでたし、めでたしなのだけど、そっか、赤丸。それも急上昇、となればなおのこと縁起もよろしいようで。
商品名 赤丸
素材 天草陶石、柞灰秞、上絵具、呉須
製造 光春窯(長崎県波佐見町)
デザイン 杉本理
制作 東屋
寸法 径135 × 高28mm
重量 130g
価格 3,960円
※ 入荷未定
〇 クラシック料理バサミ
絵を前にして
何んでもかんでも手当たり次第に美術展に行っていた。若かったからどんなものでも見たいと、いや、今のうちに見ておいたほうがいいよなあ、なんて錯覚に縛りつけられていたのかもしれない。今はもうそういうこともなくなっていて、美術館から足は遠のいた。思えばあのころの「何んでもかんでも」持ち込んでくる泡みたいなご時世にまんまと足を取られていたように思う。本棚の片隅にそのころの図録が並んでいるのを見て、何んの脈絡もない背文字に、何んの感慨も浮かんでこない。マチス、ルソー、ポストモダン、ダダ、構成主義、コスタビ、フォンタナ、マグリット、横尾、ゴッホ、ヘリング、フリーダ、ボロフスキー、大観、ロンゴ、コクトー、コクトー、シーレ、靉光、シーレ、世紀末、クリムト、ピカソ、ヌーヴォー、ルノアール、デコ、ワイエス、未来派、忠良、1920年代、ロココ、フジタ、ピロスマニ、エトセトラ、エトセトラ、きりがないんだけれど。シーレなんてそういえば何度も足を運んだなあ、なんてぐらいのことは覚えていて、そのころに付き合っていた女の子の顔がうっすらと思い出されるし、『抱擁』を前にして二人でずっと立ち尽くしたことも忘れてはいないけれど、なぜか背中越しの光景としてしか思い出されないのは、二人で見に行った、という行為そのものに酔いしれていたのだ、きっと。その女の子で思い出されるのは、コクトーの交流のあった作曲家の演奏会で、若杉弘が指揮だったと思うけれど、その子は最後まで僕の横で眠っていた。で、ちょっとだけその子のことが嫌いになった。え、興味あったんじゃないの? そんなことに傷ついて、そんなことで機嫌が悪くなって、後々にそんな些細なことが別れる原因になるのだった。やっぱり若かったのだ。というより薄っぺらいなあ。くだらないことがくだらなくない理由としてまかり通ったころ。ただただ懐かしい。あの白髪の指揮者ってコクトーにどことなく似てなかった? なんて言葉をずっとずっと後になって、もう何んの関係もなくなったころに本屋でばったり会って言われたものだから、何んで今? と思ったし、その場所がよく二人で並んで背文字を物色した似たような趣味の書架の前だったのだけれど、そんなふうに並行しながら、だけど別々に時間は経っていたのだった。交わる時間と場所が根っこから間違っていたのかもしれない。
こういうこと、思い出して文章にしていると、台所に立つ妻の背中を見ながら、何かとっても悪いことをしているような気がするのだけれど、さて彼女とは一体何を見てきたんだろう、と考えれば、たしかにいろんなものを一緒に見たのだけれど、二人で見に行った、という行為そのものにもはや酔いしれることもなく、ただ横にいてくれて、同じものを見ていることが当たり前になっている。ん? 当たり前、かあ。「当たり前」って当たり前に書き付けてしまう自分はやっぱりずーっとだれかに寄りかかっちゃってんだろうなあ。と、書きながらこんな話を思い出した。男と女がベッドで最初で最後の一夜、二人の間には抜身の刃劍が横たわっていた、だとさ。君と二人でいつか、『抱擁』を見ることができたら、僕はとっても嬉しい。なーんて、「え? なに? 聞こえないんだけど」と、バッサリ、やられそうだ。
このハサミは
台所を前にして。当たり前のようにそこにありたいツール。料理バサミである。もっと言えば「食卓」に必要不可欠なミッションを万能にこなしてくれるのだ。肉や野菜、乾物など、食材を切るのはもちろん、缶詰を開ける、栓を開ける、ネジ蓋を回す、エトセトラ、エトセトラ。刃部およびハンドルともども硬度の強いステンレス素材でこしらえてあり、当たり前にそこにあるために、耐食性、切れ味の持続が持ち味だ。「クラシック」と銘が打たれているとおり、1938年から世界で愛されてきたロングセラー。手の届くところに、一挺。是非に。
さて、来る年も良いスタートを切ってくださいませ。切に。
商品名 クラシック料理バサミ
素材 刃部/ハイカーボンステンレススチール
ハンドル/ステンレス鋼(サテン仕上げ)
製造 ツヴィリング(Zwilling J.A.Henckels)
寸法 刃渡り/90mm、ハンドル/110mm
重量 149g
価格 18,700円
〇 銅器/茶匙
反復と加減
父は製本屋だった。私がまだ、いわゆる子供のころ、工場を手伝うことがままあった。丁合いを取るのがおもだったが、あまり好きではなかった。機械の音がうるさいし、機械がやっているそばからその数十倍の手作業の煩わしさがいやだった。父の手はそれでも捗っていた。同じ動作が同じ本を拵えつづける。べつに捗っていたわけではないのだ、手を動かしつづけることがあたりまえのことで、それが父の生活だった。そのころは、そういった生活にいっとき付き合わされているだけだ、そう思っていた。大した日数でもないのに、同じことを繰り返すことを強いられている、そんなふうにしか思っていなかった。どうにも煮詰まったときはトイレにしばらくこもったこともある。こうやって時間がたてば、何も見ていなかったことぐらいは分かる。父の毎日は私の毎日で、父の生活は私の生活でもあった、ということを分かろうともしていなかった。
昼休みに父はインスタントコーヒーを入れる。瓶詰めの顆粒だ。蓋を開けるとどんなに中身が減ってもあの匂いがする。あれは香りではなく、押し付ける匂いだった。糊の匂いのする工場をますます際立たせるのにうってつけだった。よく憶えているのはそのときの父の手つきだ。蓋を開け、その蓋の裏の縁に、コンコン、と瓶を傾け軽く小突くようにして二回当てる。すると瓶の中から顆粒が流れ落ち、今度はその蓋の顆粒が二つのカップの縁にコンコン、コンコン、とそれぞれ等分に分けられる。それから魔法瓶の湯を注ぐ。どこを取っても同じ加減である。私はうつむいてじっと顆粒の溶けていくのをながめる。いつも同じ、同じだから味も同じ、そうやって昼休みも同じ繰り返しだった。きまって同業のおじさんたちが入れ替わり訪ねてくる、それも同じ。父のコーヒーを必ず飲む、それも同じ。コンコンと、コンコンと飲んでいる。どう見ても暇つぶしにちがいなかったが、それも繰り返される。あるとき、そのおじさんのなかのひとりから、父の若いときの話を聞いた。父は「レギュラー」という渾名で呼ばれていたと言う。真面目でこつこつと、間違いのない男。私はそういう父がつまらないと思うのに、そのおじさんはそれこそコンコンと語ってみせるのだ。「おやじさんの仕事を見れば分かるだろ。仕事というのは出来上がりのことだ」父は奥の部屋で背を向けて、コン、コン、と紙の束を揃えていた。
父が拵えた本をたまに手に取る。これと同じものが今もそれぞれどこかにちゃんと壊れず存在しているのだ、と思っている。それが人を介して同じものではなくなりながらも等しく残っていることを思う。病気で倒れ、手が動かなくなってしまったとき、父は千切られた。徹底的に。そして決壊した。無口な父からあのときばかりは粗い粒の止めどなく流れ落ちるような音がずっと聞こえつづけていた。そして、消えた。
私は本を手に取るが、その私の手もとに、コンコン、と何かを言う。同じものを作る美しさを、遠くに思う。
この茶匙は
銅器である。銅は抗菌力があり茶器に適す。この茶匙は銅地金に錫めっきを施してある。平型と梨型。もちろん仕事は丹念である。同じ素材で茶筒もある。大か中なら、平型に限ってだが茶筒の中蓋の上に載せることができ、上蓋を閉められる寸法に設えてある。茶匙と茶葉は別々に収められ、茶葉をいためることがない。(茶筒の詳細はこちらまで。)梨型は、平型に比べて深い作りだ。茶葉に限らず、たとえばコーヒー豆や調味料など、目安のスプーンとしてもお使いいただける。平型か梨型か、匙加減でお選びいただきたい。
商品名 銅器/茶匙
素材 銅、錫めっき
製造 新光金属(新潟県燕市)
制作 東屋
寸法 平型 長70× 幅35× 高5mm
梨型 長90× 幅44× 高13mm
価格 平型 1,540円
梨型 2,640円
〇 因州和紙の便箋と封筒
手紙
ブルータスを取ろうとして左手を差し向けたら、小口にかすめて中指の爪の生えぎわを切った。うすく血がにじんだ。ブルータスお前もか、そのまま陳列棚に戻した。ブルータスお前もか、なんてそのとき思ったかどうか、それとも今思いついて書いたのだったか、ひとつたしかなことはもうブルータスなんか立ち読みもしないし買いもしないということだったし、そんなことより、ケー君の顔がかすめたのだった、それだそれ。
<お前も>の<も>というのは、そうやってほかの雑誌も読まなくなった、ということなだけだ、そんな些細なことであっさり何かをやめてしまう、そーゆーことがたびたびある。ケー君のことは<お前もか>そのものにかかっていてそこにケー君の顔が浮かんだことになる、だからといってブルータスがケー君のことではない。指を切った、何かが失せた、うん、たしかにそーゆー粗忽なやつだったのだ、ケー君お前は。ということはつねづねわたしが失せればケー君が現れるということか。たとえばコンビニの店員なんて、一リットルの水を三本買ってあいつそれを一つの袋に入れようとしていた、そこにケー君登場、でもよかったわけで、でも店員はケー君じゃない、ねえ、せめて二つに分けてよ、あたしが持てると思う?
で足もとに二袋置いた。たとえばそこから指を切って、呆然となって雑誌の棚のガラス越しの通りを見たとする、するとケー君がこっちを向いて立っていた、それでもよかったわけだ、でもいるわけもなかった、だけどいても不思議じゃなかったではないか。あるいはとなりに来てあのころみたいに「もう帰ろ」って肩を揺すってくれたってよかったじゃない。指がひりひりする。
手紙。ずっと取ってある。なかに写真が添えられていて、ともだちと三人で写っている。手紙は、ああそういうことあったね、おぼえがある、なんて言いながら読んでいる。引き出しの中に鍵があって、その鍵は前にあなたといっしょに住んでいたアパートの鍵で「これまずいんじゃない」と言ったら「そんなの、もうちがう鍵になってるよ。思い出だよ思い出」って言うから「あたしは持ってないよ、そんなの」そう言うとケー君は黙った。そのことを、あれは寂しかったな、なんて書いてあって、男はそんなふうにいつも鍵に執着して肝心の錠のことは考えてもいなかった。あのときなぜケー君の家についていったか思い出せない、あのときなぜひとの机の引き出しを開けたかも全然おぼえていない、だけど鍵は見たし触った。
写真。わたしの顔があんまり乗り気じゃない。こっちを向いてはいるけれど不機嫌といっていい。香港に行ったのだ、四人で。けいこちゃんとその彼氏とケー君とわたし。けいこちゃんの旺盛な好奇心で(多分だけど)香港になっただけだった。宿泊先のゴールデンイーグルホテルの前で撮った、だけどケー君は写っていない、ケー君が撮影したから。わたしが持っているケー君の写真はもうこれだけだ。ケー君の写真、ってだからケー君は写ってないし。でも写真のわたしはケー君を見ている。ケー君は不機嫌なわたしを今も見ているということだ。わたしは失せる、ケー君になる。なんと。ひりひりする。
こんなふうにあなたのこといくら書いたって、書かれなかったほうにあなたはいる。
手紙だけ、引き出しに仕まう。
〇 内子の和蝋燭と燭台
燭台
「記憶というには遠すぎて実感がない。遠いのではなく、奥にありすぎるのかもしれない」(保坂和志『カフカ式練習帳』より)幼年の遊びを思い出すくだりである。たしかに「記憶というのはそれを意識して引き出そうとするとこれが案外労力を使う」のだけれど、読んでいたらふと、蝋燭の火を持ってどこかに行こうとする暗闇の私の姿が見えてきた。ひらめきは電灯に喩えられるが記憶は蝋燭の灯火が似合いそうだ、なんてことも思った、はずである、だからまた読んでみたのだった。はたして前に読んだときいったい何を引き出そうとしたのか、そこまでのことでもなかったのかもしれない、立ち止まらず先に進んだのだろう、か。とある過去に火がつけばほのかにその周辺をも照らし出す。ならば歩き出してみようと思いは動くが、あるとき、引鉄が何んだったのか、もはや手には蝋燭の火だけ、一人取り残されたような、ということがよくある。
むかし、舞台をこしらえたとき。女の人が蝋燭の火をかざして男に近づいてみるのだけれど、その男は記憶だった。記憶のなかの男は彼女にもう何もしてくれない、してくれたことすら思い出させてもくれない、してくれなかったことは思い出すもなにももともとない、それでも女は男に近寄ろうとする、があまりに奥にありすぎるのだ。男は消えかかる、が消えはしない。火はいつか消える、がまたつける。自分で吹き消すこともある、がまたつける。引き出すのは男の言葉ではなかった。自分の記憶である。狂うと記憶は妄想に引火する。ということを思い出した。その周辺もぼんやり明るくなりはじめる。吹き消した。
夢は、なかなか思い出せない夢がある。目を閉じなおし、火を灯し、かざしてみても追いつかない。追いつかない、と書くのは、逃げるからか。好きだった女の人が出ていた、それは知っている。だからなおさら追いつこうとする、のは何んのためだろう。逃げるのは夢か、彼女か。ただ懐かしいからか。ぼんやりとは見える、のだけれど手が届かない、それがほんとうに彼女なのか、もわからなくなる。なのに彼女のことを思い出している。なにか大事なことを言ったような、だから彼女の声が先に思い出され、それは現実のあのときの返答のような気がするから、そうするうちにあのころのことをもっと思い出そうとしている。夢よりさらに奥である。
小さいころ、ウィーン少年合唱団のリサイタルに行った。二列目の右から三番目の男の子の顔は今でも鮮明に思い出すことができる。彼は私よりも三つ年上で、当時パンフレットで見たことも憶えている。気になったのだ。何がだろう。誰と行ったかは思い出せない。なぜ今になってウィーン少年合唱団の、あの男の子が照らし出されたか。書いている私だけ年を重ねて火をかざしている。
私は、過去の上に立っているのだ。一人である。それだけはわかる。歌は歌わない。歌い出すのは過去である。
〇 徳利
宿る
手の触れることの、おどおどしてしまうあの感覚を忘れて久しい。女の子の手のことである。目の前でしゃべることすらできなくなってしまう、だらんと下がったその手を取りたい、そう思いながら、その手の甲に隠されてしまっている手のひらの、きっと柔らかいだろう感触を想像して、ぼーっと下を向いてしまっていた。赤いミトンをした日でも、その内側の手が赤くなっているか、気になっていた。寒いね、と言って、両の手をこすりながらそこに息を吐く、文庫本みたいにすこーし開いたその手のなかにどんなお話があるのか、読みたくてもそうかんたんに見せてくれなかった。「読めない」のが、あのころの大切な物語だった。
がさつになんでもかんでも触って、音を立てて置いて、また次のものをひょいとつかんで持ち上げて、ほんとうに目はこころは見ているのかも疑わしい、と考える時間も持たせてくれないまま、またカタンと置く音がひびく。そのひとのせいではない。その「物」に、なにか力が足りないのではないかと思うことがある。その力は、なんという言葉が相応しいのか、ずっと考えている。「物語」がないのだろうか、そもそも言葉を持っていないからだろうか、気楽とは手軽とははたして力なのだろうか、とか考えている。里見弴が「『たい』を『たい』せよ」と言ったことを思い出す。互いに「触りたい」の「たい」のところに強調を忘れてしまっている、そんな気がする。
この徳利は
萩焼である。山口の大道土を主成分とする素地に石灰釉を施したものだ。と、そう簡単に要約できるものでもないが、低温でじっくり時間をかけて焼くため、焼締は弱く、その分ざっくりと柔らかい印象で重宝されてきた伝統がある。が、この「hagi」と名のつくシリーズは、従来のそれよりも焼締を強くし、徹頭徹尾「フォルムを生かす」ことに努めた。高温で、およそ1,290度にまで上がれば「萩」特有の赤味を消すおそれもあるが、軟調で土味のまま、たとえば「雨漏」と称される一見経年変化の景色として愛でられるものでも、そこからカビを生じさせてしまうただの汚れとなるのなら、十分焼き締めることで、窯変による釉美こそを保つこと、それを美しとした。
1,200度後半、それでもなお「萩」の持つ特異な釉調をこしらえる。それには、窯の中でどこに配置して焼成するのがよいか、温度管理が試される職人の技がある。あるいは、底部(畳付)にもあえて施釉する。器全体に釉を掛けて焼成するのは手間のかかる仕事だが、膳やテーブルを傷つけないよう、こころ置きなく万事に使ってもらいたい思いを込めてみる。
萩の窯元の底力が、萩の現在形を強く輪郭をもって描き切る、長くお付き合いしてほしい「hagi」シリーズの酒器である。
商品名 徳利(小、「hagi」シリーズ)
素材 萩土、石灰釉
製造 大屋窯(山口県萩市)
デザイン 猿山修
制作 東屋
寸法 径80mm × 高115mm
容量 約180ml
価格 5,940円
〇 ワインクーラー
空は青く明滅する
駅前の巨大なクリスマスツリーが解体されている。夕刻その光景を見上げながら角打ちで一杯やれば終電である。電車は急行明日すら早く来る気がしていつの間にか近所の公園を歩いていた。家に帰ると映画は点けるが見ているようで寝てしまい明るくなれば今日がある。さびしくはないかと誰かの声が聞こえて歯ブラシだけがその声を打ち消すみたいにせっせと動いている。今日は休みだと思い当たればいつの間にか近所の公園を歩いていた。公園を抜けるとヘルメットをかぶった作業員が梯子にのぼって電柱の上にいる。その光景を見上げながら取り付けられるのは監視カメラだとわかってひとたび道行きを眺めると等間隔に梯子にのぼった人がつづいている。取り付けるということはきっと何かが起こりそうな予兆を意味するし何かが起こりそうな場所にカメラを設置するのは人である。カメラを見上げながらその先のずっと向こうには空があってこっちを見下ろしている。何かを映しては消してまた映す。もう僕らじゃない何かも映しては消してまた映す。
このワインクーラーは
見てのとおり木製である。木製がゆえに熱を伝えにくい。よって氷を溶けにくくして万事酒を冷やす。そのくせ持っても手は冷やさない。
木材は木曾椹である。特段椹は水に強い。強いがただし留意を飲み込んでご使用いただきたい。まずは水を充分に吸わすこと。手始めに水を満たして置いておく。すると椹は膨らんで密になる。よって水漏れを防いでくれる。表面に水滴も付きにくくする。手間のかかる道具だが手間をかけて永くお付き合いできるすぐれものだ。水を吸ったり乾いたり。そうだ。生きている。道具も暮らしている。
タガはめったやたらに外れない。が万が一はいつでもお声をかけていただきたい。お直しさせていただきます。
商品名 ワインクーラー
素材 木曾椹、銅
製造 山一(長野県木曽郡)
制作 東屋
寸法 径186mm × 高230mm
価格 15,400円
〇 薬味寄せ
部品
誕生日の贈り物に妻からガットギターの弦巻きをもらった。壊れたまんまギターは放ったらかしになっていたのだった。さっそくドライバーで左右を外し寸法を見計らってネジ穴を開け直す。万事取り付けて、弦も張り替えた。
チューニングしてみた。ぽろんと弾いてみた。壁に立て掛けてみた。真新しい弦巻きが金色に光っている。うれしい。多分放っておかれたギターよりもうれしかった。
ひとは、新旧雑多な物語の寄せ集めでなんとか立っていられる。どれが「私の物語」だなんて言えそうにないし、「これが全部」と語れそうもない。
立て掛けられたお前はどうだ。たとえば新調の気分とか。
ギターを構え直して、運指の練習をする。クロマチック、ドレミ、コード、アルペジオ。もっと練習すればきっと「ギターは私の一部だ」なんて言う日が来るかもしれない。「どの口が言うの」と妻に言われるのがおちだけど。
ともあれひとはずっと部品を必要とするものだ。何より贈り物が部品なのだった。ぽろろろろろん。
この薬味寄せは
すりすりしたあとの名脇役である。
おろし金の上の生姜や山葵をどうすれば気持ちよく寄せ集めることができるのか。指先なんてもってのほか、箸にも棒にもかからない。そもそも「薬味寄せ」なんてなかなか聞かないけれど、ご家庭のおろし金とタッグを組ませてみれば一目瞭然である。
すりすりしたあと、すみずみ箒みたいに寄せ集め、ぎざぎざの爪に絡みついたものも逃したりしない。理由は竹にある。実はこの「薬味寄せ」、茶筌(ちゃせん)からこしらえた。しゃかしゃか茶を点てるあれである。茶筌は、竹の皮を三十二本、多いときは二百四十本ほど細かく割いて穂をつくる。その工程で一本でも折れてしまうと茶筌の用は足さない。失敗作はあえなく燃やされるさだめである。そこに目をつけたのがこの「薬味寄せ」だった。失敗は形を変えると生き延びる。どこか教訓めいた話だけれど、その失敗を三つ四つに割き直し、穂先をすこーし整えてみる。竹ならではの腰の強さとしなやかさ、茶筌の本質をそのまんま引き継いで、生まれなおす。形態は機能に準ずる、というけれど、生まれは茶筌、名は「薬味寄せ」とあいなったわけだ。
あると便利、これもまたほんのちっちゃな生活の部品なのだ。
ちなみに、おろし金のお掃除にも一役買います。
商品名 薬味寄せ
素材 淡竹、絹
製造 翠竹園(奈良県生駒市)
昇苑くみひも(京都府宇治市)
制作 木屋
寸法 長80mm × 幅20mm
価格 770円
〇 姫フォーク
姫
母はずっと「姫」と呼ばれていたらしい。伯母から「あの子は姫だからね」と耳打ちされたこともある。小さいころだったからそのときの状況は思い出すことができないけれど、あれはきっと嫌味だった、蚊を払うように耳はちゃんと憶えている。父からも生前「あのひとはむかしっから姫じゃけえのお」と呟かれた。このときのことは今も憶えている。母は石みたいに炬燵で固まっていた。だれとも目を合わそうともしなかった。ま、詳しい話はよしておくけど。要は、お転婆でわがままでそれでもまわりからは大切に扱われて、持ち上げられるままいつのまにか先頭を歩いている。そのくせだれかいないと何んにも務まりそうにない。そんな母が年を取っても姫でありつづけるのは、想像に難くないことだ。ひとはそんなに変わらないし年を取ればなおさらのことである。けれど、姫もからだが弱れば、お転婆はただの婆である。家から一歩も出ないとなれば、城の上にずっと幽閉されているみたいで悲しい。下から「姫、姫!」と叫んで、たまに窓から顔を覗かせる、ちょっと安心する、という繰り返しだ。遠いとなおさら姫の声はか細く聞こえる。
この夏帰省したときに、朝、父の部屋からテレビの音が聞こえる。母は違う部屋でバラエティを見ている。「なあ、あっちテレビつけっぱなしじゃん」仏壇のあるその部屋を開ける。『題名のない音楽会』をやっていた。父が毎週欠かさず見ていた番組だ。線香の残り香を嗅ぎながら不意に、父がそこにいる、そこで聞いている、届いている、と、はっきりと分かったからびっくりした。振り返ると母はバラエティで笑っていた。
あのとき、「たのんだぞ」とかたく握り返してきた手は「姫のこと」に違いないと今になって思い返すのだ。「たのんだぞ」なんてありきたりだけど実際言うんだ、って思ったよ。父の写真の顔が姫を目で追う爺のそれに見えた。
この姫フォークは
ただならぬフォークです。あるときは黒文字のように、あるときは爪楊枝のように。けれども心地のよい重みが、口に運ぶたんびクセになる。箸が止まらなーい、ならぬフォークが止まらないのだ。
素材は真鍮。使い易い形を見つけると、それはフォークの原形、ヨーロッパの昔むかしに還っていきました。洋のようで和の面構えにもなる。小さいけれどやっぱりただものではおわらない。
姫、ヒメと 爺が呼ぶ声 秋の口
和菓子に果物、チーズやオリーブなんかにも合うあう。8センチちょっとだけど、ながーく使っていただけるその名も「姫フォーク」。くれぐれもどこに行ったか探さぬよう、目のつくところにお見知り置きを。
商品名 姫フォーク
素材 真鍮
製造 坂見工芸(東京都荒川区)
デザイン 猿山修
制作 東屋
寸法 長87mm × 奥行6mm × 高5mm
重量 5g
価格 5,500円(5本セット)
〇 知られざる萬古焼の世界
萬古の人と、本
民のための民のこしらえる器、「民陶」。ふだん馴染みのない言葉の背後には萬古焼の源がある。
庶民のためのやきものは三重県四日市で産声をあげた。江戸を発露に「古萬古」、「有節萬古」を経て明治に入るとその窯業はひとつの『産業』として敷衍し地場に根付くことになる。平板なもの言いをかりるなら「フロンティア精神」がその『産業』を支えた。フロンティアに活路を見出だす理由は、四日市の周辺に京都や瀬戸、美濃、常滑など既存の窯場が犇めきあっていた必然がある。しかし陶土の調達もままならない環境の裡からどのように「萬古」然の独自性をむくむくと発展させ、その地に拘泥せず海の外にまで裾野を広げることになったのか。この本はおもに明治から昭和を跨いだ成長期における「萬古」の力と知恵、その変遷を鮮やかに開陳する。
書いたのは、内田鋼一。四日市を根城に作陶する孤高の人だ。内田はとくに『産業』期における萬古の何にも媚びない造形美に惚れる。伝統を凌駕し、あくまで生活圏内から引き出された自由な創意の虜になる。内田も四日市で築窯し独立を果たしたが、数奇な所産を遺した名もなき陶工たちの眼が自身の眼と重なり合うにつれ、現代萬古の風前の灯火に危機感を抱くようになる。四日市への恩返しにも想いを馳せながら、そして何より「萬古」を愛するがゆえに、昨年、まるで火入れのようにいきおい私財を投げ打って萬古オンリーのミュージアムをこしらえた。デザインを視座に収集し、アーカイヴするプロセスはまだ途上にあるが、萬古がそうであるように「やきものになにができるか」を問いつづけ、発信する拠点となっている。
その彼が、たとえば萬古を「民陶」に括ったといえる秦秀雄や萬古のデザインに多大な影響を与えた日根野作三ら「萬古のキーパーソン」を語り、たとえばデザイナーの皆川明や小泉誠、蒐集家の舟橋健たちとの対話を積み重ね、膨大な写真資料を携えて、アングル、サイズ、ポジションを自在に変えながら萬古の魅力の伝播を試みる。やきものをこしらえる人がアツアツの一冊をこしらえたのだ。タイトルは「知られざる萬古焼の世界」。創意工夫から生まれたオリジナリティと後人へのヒントが真摯に刻まれている。
この一冊は
三重県四日市市、萬古工業会館にある「BANKO archive design museum」の公式書籍である。イラストを交えた萬古ヒストリーや、萬古そのもののカタチや色、食の設えなどなど、眼にも愉しい一冊になっている。
作品名 「知られざる萬古焼の世界
ー創意工夫から生まれた
オリジナリティー」
著者 内田鋼一
装幀/デザイン 山口信博、細田咲恵(山口デザイン事務所)
写真 伊藤千晴
編集 藤田容子
編集協力 小坂章子
印刷/製本 大日本印刷株式会社
発行 誠文堂新光社
サイズ 247 × 185mm
ページ 240頁
価格 3,850円
〇 Leaves 立花文穂作品集
弟
きみのことは知りすぎているひとである。だからますますわからないことがふえつづける。きみがこれからどこへ行くのかぼくにはわからない。わからないのがたのしいときみのことを思えるようになるにはこれだけの時間が必要だったのか、積み重なった紙々をかたわらにお茶をすすっている。父さんが几帳面にたくさんの紙を抱えて断裁機にセットして刃を下ろす、あのうしろ姿も遠い記憶だ、そうだろ。きみの背中を見ながら、たまに声をかけるよ、お茶でも飲みにいこうと。もっと見えるように次の本を掲げてここにいるよと手を振ってくれ。
Leaves
立花文穂のこしらえる本はおわらない。おわりかたを知らないのか、おわらせないのかわからない。はじめかたを知らないのか、はじまりがどこなのかもわからない。そんなものつくることはなかなかできそうにない。仕様もなく仕方がないことなのだ。
彼はひとたらしである。人間も時間も空間も巻き込んだ巻物だ。巻かれることをこばんでこばんでこしらえた世界。ぺらぺらとはめくれそうにない。
作品名 Leaves 立花文穂作品集
作 立花文穂
印刷製本 シナノ書籍印刷
サイズ B5判変型(240 x 200 mm /並製本糸縢り)
ページ 320頁(オールカラー)
発行 誠文堂新光社
価格 3,850円
〇 お酢入れ
餃子の包み方
繰り返しの所作を目前に照らし出し、注視すればするほど目が離せなくなるように。
ずっと見ているとそのことがそのことじゃないことに変わっていき、何か別のもっとほかにわけのあることに見えはじめてほしい。そもそもそのことがなぜ繰り広げられているのか、もっと言えば何がそこに閉じ込められようとしているかもわからなくなればなおさらいい。
本来そういうことじゃなかったような、あるとき、すべてはまちがっていたんじゃないか、といったようなこと、それ以前に真偽を問うこと自体が意味をなくし、目的は見失われ目的という言葉がまだ見つからなかったよき時代に戻ってふと振りかえった途端、そこに見えるものはたぶん今まで見たことのないような、それが旅、と片付けようとする言葉の旅さえもやめてしまいたい。そのときあなたは立ち止まっているはず。それこそ今まで味わったことのない感覚で、ただ単に。
たとえば自分の名前を何度も何度も書いていくと、書き順の虚構に不安は募り、名前という言葉そのものの疑いを疑い、文字がそのすがたを忘れ去って名前が付けられる以前のわたしと向き合っていることも気づかないまま、すなわちそうした瞬間が訪れることが待ち遠しいと感じ入るまではまだ序の口ではあるにしろ、わたしはわたしから離れてみたいという欲望の皮ぐらいは摘んでいる、そうでしょ。
その手であなたが遠い人に手紙を書いていたということ、その手であなたは大切な人の手を探しにかかっていたということ、その手を上げて大きく振っていたあなたがいたということ、そういったはるかむかしの遠い記憶が向こうからやってくることを待ち侘びて、いつのまにか、同じ方向に向かってみんな並んでいる。
このお酢入れは
餃子は酢だけ。醤油も辣油もいらない、と言う人がいた。
このお酢入れは長崎県波佐見でこしらえた。同じ九州の熊本天草で採れた天然陶石が素地の、磁器である。前回紹介した「醤油差し」同様に液垂れのない切れのよさが使い勝手の看板だ。「醤油差し」の頁をご参考にしていただきたい。
名は「お酢入れ」だが、云ってしまえばなんだっていい。前述の「醤油差し」で量が心許なければ、ちょっと大振りな、それこそ醤油差しにもどうぞ。
何を付けようがかまわないでしょ、とその人が言った。いちいち指図しないで、って。自由に食べたいの。叱られた。
先の「醤油差し」と対で使えばなおさら食卓を明るくしてくれる。あ、これもまた大きなお世話、かもしれないが、焼いてもみたくなるのです。
商品名 お酢入れ
素材 天草陶石、石灰釉
製造 白岳窯(長崎県波佐見町)
デザイン 猿山修
制作 東屋
寸法 幅92mm × 径65mm × 高81mm
容量 120ml
価格 2,530円
〇 チーズボードとチーズナイフ
はいチーズ
このごろはそんなふうに言わなくなったのかしら。どこでもかしこでも容赦なくシャッターまがいの音がするようになった。この合言葉ももはや死語なのだろう。それにしてもところかまわず万事がオーケーと誰が決めたのか、「撮るよー」の合図からはじまったあのころの『一枚』っきりがなつかしいのだった。
「ところで、あの<はいチーズ>とはいったいなんだったんだろう」と友人が言った。ようはタイミングの話である。<はい>で撮影者が投げかけて、<チーズ>で被写体が応える(復唱する、という意見も捨てがたかったけれど)、そこでシャッターを切るのは<チ>の瞬間であるはずなのに、<ズ>でカシャ、その間の悪さが口角の上がった笑顔を通り越し、口のすぼんだなんだか判然としない表情に、あ、今のはちょっと、と気に喰わないまま置いてけぼりを喰らったようなときもあったと言うのだけれど、<はいチ/カシャ>と<はいチーズ/カシャ>のちがいは出来上がってきた写真が露わにするのであって、別に楽しみにしていたわけじゃないけれど、という体でそれでもなんだかんだで気にはなって見るのだけれどけっきょく写りのせいにして、おれはそもそも写真嫌いだーなんて写真の裏に焼き増し希望の名前も書き込まないまんま、思い出なんかいらないテキな面をしてみることもあった「あったあった」まあもとはといえばまるで号令のような掛け声ひとつで笑顔をこしらえようとしていたこっちもこっちなんだけど、と友人は前置いてから「しかし写真のうまさは今もむかしも数少ないシャッターチャンスであることにかわりはないよな」とあくまで被写体には責任のないことを、とりとめもなくケータイをかざす女の子を横目に見ながらそのくせ声を張って言うのだった。
<はいチーズ>は、さりげなく差し出されるチーズに添えられた言葉で善しとしよう。「はいチーズ」そう言われて笑顔が自然と生まれればこれもまたタイミング、なのかもしれない。よって、酒もうまくなる。なーんて、友人はといえばメニューをぱらぱら開いてから「あったあった」と笑いながら店員さんを呼ぶのであった。
〇 土瓶
もうはじまってる、の?
今年はどうなるんだろうと思っているともう一月も終わりかけていて、今年はどうなるんだろうと思いながらいつのまにか桜の咲いているところを見ているんだ、きっと。そう言えばどのあたりから「来年はどうなるんだろう」と思いはじめるのか、多分夏の終わりがすぎたあたりだろうかと思いあたると、今年はどうなるんだろうと思いながら暮らすことが一年の大半と言うかほぼそれで埋まってしまうことにはたと気がついてしまって、ああ、今年をおろそかにしておきながら来年に希望を託してしまうことを、どうやら「一年」と呼ぶ、らしい。そうやってよくもまあここまで生きてこられたなあというか、生かされてきたというか、生かしてくれたというか、どのみち他力本願なのだ。
考えれば、なんでもかんでも道具に託すのになんだか似ているような気もする。お茶がおいしくいれられると聞き齧った急須で注ぐ茶は、ほらこの湯呑みで飲むとうまいじゃないかとか、いつもの米なのにその釜で炊かれるのを見れば、よくおかわりするわねえ、なんて言われる。フライパンや鍋、コーヒーメーカーなどなど何回も買いかえる人だっているって聞くし。今使っているものが今まさに使われているさなかにもかかわらず、あの新しくてもっとよさそうなの使ってみようかなあ、なんてよそ見して、ようは手許にあるものに愛情なんて注いでいないのだからそれに向かって「おいしく」だとか「上手に」だとか言ったところで当の相手は「わたしって、二番? 三番?」ちゃんと道具のほうに伝わってしまっているのではないかしら、となれば、おいしくもうまくもしてくれるわけがない。
よし、今年を台無しにはしないぞ、と考えながら、いいえ、はじまってもいません、とだれかの声がしてそらおそろしいんだけど、もっとにちにち付き合いを深めて、今年のせいなんかにはしないよ、って、自分を磨く一年でありたいとありふれたことを思うに至って、年末買ったばかりの塗り椀を拭いているのだった。これで食べた雑煮、おいしかったなあ。
でもって、目移りはじめに……。懲りないんだなあ、こればっかりは。
この土瓶は
三重の伊賀でこしらえたもの。先達の教え「土と釉は同じ山のものを使え」に倣い、伊賀の職人が、伊賀の土、伊賀の釉で、いうなれば伊賀づくし、「拘泥」の極みである(「切立湯呑」参考)。耐火度の高い良質な土を荒いままに手技で成形、釉はとろりと黒飴、もしくは澄みきりの石灰。見てのとおりフォルムは同じでも、重みと軽やかさでお選びいただきたい。かわらずおいしいお茶がはいりますよ。静ひつの急須、賑わいの土瓶。使い分ければ、これ幸い、かも。
商品名 土瓶(「伊賀の器」シリーズ )
素材 黒飴/伊賀土、黒飴釉、籐
石灰/伊賀土、石灰釉、籐
※直火にはかけられません。
製造 耕房窯(三重県伊賀市)
制作 東屋
寸法 幅150mm × 径115mm × 高175mm(弦含む)/
110mm(蓋のつまみまで)
容量 約530ml
価格 各10,120円
〇 ペローニ コインケース
じゃらじゃら
ポケットに突っ込んだ小銭から、五円を取り出し、ほうり投げる。手を合わせてみて、五円でどうかしてもらおう、という魂胆がどうかしてますか、と訊ねている。もちろん神様は答えてくれない。問いは私が立て、答えも私が見つけるしかない。
しばらく着ていなかった服のポケットから小銭が見つかるときがある。そのままコインケースに入れるが、人知れず眠っていたその小銭も不意に起こされたうえ、どこか遠くへ旅立たされてしまった。
莫大なお金(こんな言葉はめったに使わないけれど書いてみる)が動くことなど、私には皆目見当がつかないが、小銭の出入りとなれば日常の目に触れざるを得ない。悲しいかな、増えることはコインケースの中だけの出来事である。
後ろに列んでいる人たちの舌打ちもなんのその、カウンターに一枚二枚と小銭を列べて買い物をする。大きなお金を出すときは、殆ど両替の類いにまかせてしようがなく、である。よって小銭は増えつづけ、じゃらじゃらと音にうなされ彼らは不眠不休で忙しない。
コインケースがパンパンになるのはみっともない、と妻によく叱られる。しかし、今のところ私の重みといえば、右ポケットのコインケースぐらいしかない。
「塵も積もれば山となる」ほんとうですか、神様。
型くずれしないコインケース、年を跨ごうが必需品である。
〇 丸急須 後手
後ろ手に廻して
両手を後ろ手に廻してとか、手を後ろ手にしてとか言われたりすると、だいいちどこで後ろ手にさせられる必要があるのか、べつになにか悪さをされるとかそういうことではなくて本を読むたびに出てくる言葉なのだけど、後ろ手の中には「両手を後ろにまわす」と辞書を調べればそのように手を入れて書いてあるわけだから、わざわざ手を頭に付けて言う必要はないのではないかと訝しく思ったりする。なんて、おおかたどこか高いところから眼下を眺めながら後ろ手にしてそんなことをばくぜーんと考えながら立っていることがけっこうあって不意に彼女に後ろ手を掴まれてはっとして、先生みたい、とか言われたりして、さて、あれはどこだったか、清水の舞台だったか、雲仙とか、三瓶山の上だったか、そもそもその彼女がどの彼女かもわからないまま、こうやって後ろ手にして絵を見ていると、じつは絵を舐めた先に自分の記憶を見ていることが多い。『睡蓮』が睡蓮じゃないことになっているのだ。
むかし、横浜の美術館でドガの彫刻の『踊り子』を見たときに、彼女は高ーい位置につんと後ろ手にして立っていて、気づけば私を含めて三人の客が同じく後ろ手に廻して彼女のこと見上げていたから面白かったんだけど、そのときの彼女とはもちろん『踊り子』のことである。
後ろ手に廻すと胸を張る。孤独に鍵をかけて、その孤独を了解する身振りだろうか。それともつながる手の恋しさだろうか。どちらにせよおまじないをかけているのかもしれない。
〇 1:√2原稿用紙
行の間
ある物書きのひとが、昔はまだ原稿用紙でやりとりしていたころのことをあげて、編集者の心遣いなのか執筆の依頼のたびに原稿用紙を頂戴することが多い、と書かれていた。18文字×◯行とか字数の決まったものであれば、支給されるそれはたしかに重宝するものだけれど、なぜ「紙」だけなんだろうか、という疑問を投げかけられていたように思う。
「ぺ、ペンは。物書きに必要なものといえばペンがなくては書けないではないか」とまあそんなところだろう。
今はほとんどがワープロソフトで、もはや手渡しするまでもなくメールひとつで事足りてしまう。紙はおろかペンさえもいらない時代なのである。私はいまだに手書きが主流で、勿論そのあとしゃかりきにキーボードで文字を起こし直すのだけれど、ここにかぎっていえば、字数もまちまち(字詰めも採字もないまま)、つらつら好きなだけ好きなときに、と言えば依頼主にお叱りを受けるのだった。
さて、件の物書きのひとはこうもおっしゃっている。用紙やペンだけでお茶を濁されても納得がいかない、ものを書くのは部屋であり、つまるところ快適な家だって支給してほしい。なるほどなあ、こんな私だって、願わくば書き心地のよい家でもあったらなあ、と、こうして書きながら、いや、けっきょくだらだら何も書かないで広ーいリビングかなんかで床暖房なんかついてて寝転んで好きな本でも読んでいる絵が浮かんできて、そりゃないな、と夢のまた夢である。まずは、四角紙面。400字一間の部屋をどう使おうか、なのだ。そうだなあ、たとえば行間のある部屋が好ましい。とはいえ、勝手に<解釈の鏡>を手当たり次第貼り付けて広ーく見せるみたいな、隙間に乗じて汚れた足で踏み歩く、みたいな、「あんな人たち」は願い下げである。
こんなふうに読んでほしい、と思ってみても、そんなふうに読んでしまうのかあ、が起こるのもまた文章。とってもあたりまえなことだけど、あたりまえなことほどやっかいなものはない。見える言葉に、どれだけ見えないコトバが宿るのか、なんてことを考えはじめると、真っ白な紙を目前にして何も書けなくなる。
常日ごろ、部屋数を増やすだけの陳腐さを戒めてはいても、やっぱりうなぎの寝床になりそうなので、ここら辺で片付けることにする私なのだった。
〇 衣桁
掛け替えのない人
替わることのできない人が、私にはどのくらいいるだろうか。父や、母や、友や、と書けば、その順序に戸惑い、親や、妻や、と書き直し、兄弟を付け加えれば、友は押しのけられ、もうずいぶん前からするりと衣桁から滑り落ちたタオルのようになっていた。
私のいなかには「相生」という橋があって、ちょうど真上でそのむかしに爆弾が炸裂した惨事の中心「爆心」である。七十年が経った今、それでも頑なに紐帯の役目を担いつづけ、此岸から彼岸へ、あるいは彼岸から此岸へと、ふたつをひとつに固く結びつけてくれている。帰ってくれば、いつもその橋の歩道の中間部に佇み、ドームを左手に欄干にもたれたまま、誰を待つわけでもなく中州の先の「平和」を眺め、それでも亡父かなんかが右岸の向こうからやってくる気配に身を置いたりする。
「ピースを失えばもはやパズルの体をなさない」「もう友だちは新しくいらない」「からだは堪えているのに心が追いつかない」私は足もとに落ちたタオルを拾い上げて「帰省することがせめての空白を埋めてくれる」なんて、それらはもっと以前の若々しいころの、もっともらしい科白で、あっけなく生温い風に飛ばされるだけである。
路面電車のレールは光りの線を貫いて、川面も、夏の緑も、きらきら輝いている。私はタオルを一息振るい、汗を拭き、首に掛け直して歩きだす。振りかえると妻が人を追い越しながら微笑んで私を追ってくる。
〇 Kawecoの万年筆
N氏の万年筆
そのひとは、背広の内ポケットから万年筆を取り出して、くるくるっと回転式のキャップを外すと、白い紙にささっと女のひとの絵を描くのだった。うつむいた横顔の、インクの線がたちまち光りの輪郭に見えはじめ、唇が動いたようにも見えた。
N氏がいなくなって、一年がたつ。N氏が私に残していったものは計り知れず、私は今でも彼の背中を追いかけて止まない。
彼が描いたコンテの何枚かが手許にある。なかでも女のひとを題材にしたそれは、ほんとうに美しい。化粧をしたひと、すっぴんのひと、夏服のひと、コートを羽織るひと、描き込むこともないままに、ブルーブラックのインクは彼女たちを凛と色のついた女のひとにする。ああ、こんなふうに颯爽と実在のひとに演じさせてみたい、こんなふうに躊躇なく映しとることができたなら、どんなにかいいだろうに。私は彼にずいぶん嫉妬したものだ。
まだ若い頃、万年筆を手に取るようになったのは紛れもなくN氏の影響である。せめても真似ができるのはそこだけなのだった。N氏のように迷いなく速やかに線を走らせることもできない。人前で描くこともはばかられ、余計な線を重ねる時間だけが過ぎていった。
N氏は、フレームを切り分けながらその内側に場面を描きつらねる。或いは、ざっと大枠で場面を捕まえるとその上からフレームを切り、寄って見せる。画の両翼には、台詞やキャプションが書き加えられ、彼のペン先から一気にストーリーが開かれる。登場人物が喋りはじめ、ピアノが鳴りはじめ、ナレーションが聞こえはじめる。
「どうだろうか、こういうの」
N氏はそう言って、私に差し出すのだった。
ずいぶんむかし、私に手紙をくれたことがあった。文面にはこう記されている。
「マイナーのなかのメジャーでいいじゃないか。君の誇れる場所である」
インクの匂いはもうしない。けれども色褪せることがない。
N氏がいなくなって、今もぽかんと穴が開いたまま、彼の絵を胸にぐっと押し当てて塞ぐのが精一杯だ。
あの万年筆は、キャップの閉じたままなのだろうか。会いたい。
〇 バターケースとバターナイフ
こういったケースの場合
四月に近づくと、ときどき目にするのが、アパートやマンションを下見するひとたちである。今の「わたし」の生活には、どんなカタチで、どのくらいのスペースが見合うものなのか、今の「わたし」はともかく、これからの「わたし」のことでもあるから、今現在持っているものを基準にするよりも、焼くなり捨てるなり一新した「わたし」を嵌めてみるほうがよいだろう、とか、もちろん財布と相談しながら、思案のしどころである。外見を気にするひともいれば、外見よりも中身だというひともいるし、新しいほうがいいというひとや、古くても気に入ればそれでよいというひともいて、カタチもサイズも「わたし」の心地のよさの判定はひとそれぞれである。だから仮に、何びとかと同居、ともなると、ますます選択の前で足踏みを繰り返す。なにも住まいにかぎったことではなく、たとえば私たち夫婦などは、ありとあらゆる選択を前にして、つねづね途方に暮れるばかりなのだった。
散歩をしていると、目の前に車が止まって、後ろから降りてきた若い男女のふたりづれが、運転をしていたスーツのひとに促されながらそばの大きなマンションに入っていこうとするのだけれど、間取りの書いてあるらしい白い紙をひらひらさせている女の子のほうがすっと上を見上げるなり、すかさず音を立てて紙に目を落とすと、ちょこんと首を傾げて男の子の顔をまじまじ見るのである。ふたりは新婚なのかもしれないし、それより以前の、恋煩いなのかもしれない。何箇所ぐらい物色してきたのか、ひょっとしたら見過ぎて疲れてしまったのかもしれない。どこか重い足取りの、彼らがそのマンションに入っていったあと、私たちもつられて見上げてみて、いいところじゃない、なんて目を合わすのだけれど、あの女の子の顔には明らかに「外観が気に入らないし」と書いてあった。若いふたりの理想は交差しながら(ひょっとすると平行線をたどったまま探しまわっているのかもしれない)、見る前に跳ぶわけにもいかず、さて、どこで折り合いをつけるのか、これからの「わたしたち」の道のりは険しく、厄介な枝葉をぽきぽきと折りながらそれでもともに手を取り合って歩いていくしかないのである。
「生活のサイズ」を算出するのはむずかしい。けれども算段ぐらいしないわけにもいかない。身の丈だとか、標準だとか、いろいろな言葉の取り巻くなかで、心情はそれでもすこーし背伸びをしてみたくもなる。そもそも基準とか定番というものが、得てしてしっくりこないことのほうが多くなった気がする。平均値なんてもはや私の辞書から消えてしまっているし(最近、辞書そのものが見当たらないのだけれど)、ましてその基準やら定番とはいったいどの辺りで謳われているのかも見えてこない、ちりぢりの世間になってしまった。つながることが大手を振っているのは、それだけぶつぶつに千切れてしまったからである。手を振っても未だにだれも呼び戻すことができない場所もあれば、たまには手をつないで散歩する私たちがいるような、たわいのない場所だってある。
「小さいほうでいいんじゃない」
「でも、大は小をかねるっていうじゃないか」
私たちはけっきょく何も買わずに、散歩と称して家に帰っているわけだけれど、ベッドカバーを買うにはきっちりベッドのサイズから算出できることだし、この期に及んで、小さいの、大きいの、という会話は生まれてこないはずだった。だって「十年もたてば、ベッドもけっこう大きくなるものなのねえ」なんてこともない。それなのに、店のひとに、セミダブル、ダブル、クイーンとか言われて、はっとして、なんだったっけ、とかになって、それでもふたりして、こんぐらい、とか、いやもっとあったとか、両手をいっぱいに広げて往生際のわるいところをひとしきり見せて、けっきょく退散したのである。
「さすがにカタに嵌まらないわけにもいかないか、ベッドカバーは」
〇 カルヴァドス(グラスシリーズ「BAR」)
猫の恋
大学のころ、昼休みになると校舎の屋上でよく缶ビールを飲んだ。揚げ句に午後の授業もほおったまんま、ただ、柵にもたれてぼーっとしていた。Kといつもいっしょだった。Kのヒマつぶしにつきあい、あるいは私がつきあってもらうこともあった。
Kは女ともだちだった。「女ともだち」とは、考えてみればどこかへんな言葉のようだけれど、女なのか、それともともだちなのか、判然としないところが綾なのだった。今思えば、あれはともだちではなく同僚のよしみといったようなものだった。風邪をひいたらうつさないように気を使うのがともだち。だとしたら、やっぱりともだちではなかったのだ。相手が風邪をひいていてもヒマつぶしのためなら誘い出し、自分が風邪をひいていても、誘われればのこのこ出ていったからだった。
たわいのない話のなかにあって、おおかたは、私がKの未来像を聞く役回りが多かった。Kはよく、絵を描いて暮らせれば御の字だと言っていた。「うまい、へた、じゃないよね。そうだよね」缶を掴むKの爪先には、たまに油絵の具がたまっていた。黒ずんでいるときもあれば、赤みを帯びているときもあった。気兼ねがない証しみたいで、きらいじゃなかった。
ぐびぐび飲んでは缶を潰した。くしゃくしゃの音が空に跳ねかえって学校中に響きわたった。わけもなく気分がよかった。陽を浴びて、浴びるほど飲んで、ふたりで陽の落ちるのを見入ったこともあった。それからまた飲みにいくのだった。Kは、どこであろうとまったく酔わなかった。酔う、という体を見ることがなかった。「なにもない関係」という彼女の言葉が、私とKの間に、いつも並んで座っていた。ふたりの話を、別段遮るわけでもなく、ただふたりの間にじっとしていたのだった。そういう間柄を、とくにKは愉しんでいたふうでもあった。どうやらそれが、彼女にとって美大生としてのやりたいことのひとつであったのかもしれなかった。私は、「男ともだち」だったのだ。
ふたりのやることといえば、毎日のように、どこかで酒を飲んで、そうでないときは、映画を見にいくことだった。酒は、ふたりで物語を作り、映画は、作られた話をだまって見る、ただそれだけだった。酒はがぶ飲み、映画は手当たり次第、欧米も旧ソ連も、中国も日本も、西も東もいっしょくたにして、からだのなかに取り込んでいったのだった。水をたっぷりと吸い込んだスポンジのように、搾る場所がはたしてどこにあるのか、そのころはまったく見当もつかなかった。
三年の春になって、Kはぱったり大学に来なくなった。間もなくして、退学したことを噂で聞いた。Kは何も言わずに私の前から姿を消してしまったのだった。屋上に上がっても、飲み屋に行っても、映画館に行っても、私の横ではしばらく「何もない関係」という声が聞こえていた。それからだんだんその声も聞こえなくなって、私はひとりになっていた。屋上に上がることもなくなった。酒は強いのをちびちび飲むのがあたりまえになっていった。映画もひとりで梯子して、どうにか大学にも通い、かろうじて卒業もした。私は重たいスポンジのまんま、「社会人」(これもまたへんな言葉である。それまでは、社会でなく、これからが、社会なのか、といったふうに)になった。
それからさらに三年がたった。ある日、Kとばったり会った。とあるスーパーマーケットだった。Kはちいさな女の子を連れて、リンゴを吟味していた。あのころの短かった髪はロングに切り揃えられていて、爪はきらきらしていた。絵の匂いのしない、けれどもそれは紛れもなくKだった。
「こんなところで会うなんてね」と、Kは言った。
ちりぢりになったはずが、ひょんなところで、とはよくある話なのだけれど、よくある話だから、私に起こっても何ら不思議ではないことだった。
〇 すき焼き鍋
すきやき
ある夕どきに、行きつけの喫茶店にいると、場違いに騒がしい一席があって、どうやら、だれかのスマートフォンを中心に、検索でもしているのか、あるいは写真か動画でも見ているのか、いっとき静かになったと思えば、とつぜんどっと笑いが起きたりで、その不連続な波に翻弄されながら、私はといえば、ふと、「中心」ということばの綾にひっかかってしまっていたのだった。私が学生のころ、仲間が集えば、さてその中心には何があったのだろうか、とか、あるいはもっとむかし、家族の中心にはいったい何が見えていたのだろうか、とか。ぼんやり霧の向こうに目を凝らして手を伸ばしかけるうち、不意打ちのようにさらに甲高い笑いが涌き起こって、瞬く間、まっしろく、なにも見えなくなってしまったのである。わかることといえば、あのころスマートフォンなんてなかったし、と溜息まじりに突いて出てきただけだった。
ロラン・バルトの、日本を訪れたときの著作にこんな文章がある。たしかに街に中心はあるけれども、たとえば西欧でいう大聖堂や教会のような、ひとびとが集まっていく「特別な場所」とはちがって、日本のそれはとりわけ移動するための「駅」にあり、ひとびとの行き来する地点においてそれを「中心」と呼ぶにはあまりに移ろいやすく、「精神的には空虚」である。あるいは、ここ東京にも中心はあるものの、もはや傍らから「見えないものを目に見えるようにしたかたち」であって、やっぱり空虚なのである、と。たとえば、料理にも中心がない、という。日本人にとって食べることは、フランス料理のように食事の出される順序に縛られることもなく、「いわば思いつきのままに」、箸で「この色を選びとったりあの色を選びとったりする」。さらに、すき焼きを例に挙げてこうつづけている。「すきやきは、作るのにも、食べるのにも、そしていわゆる「語り合う」のにも、果てしなく長い時間のかかる料理であるが、(略)煮えるはしから食べられてなくなってしまうので、それゆえ繰り返されるという性質を持っているからである。すきやきには、始まりをしめすものしかない(略)。ひとたび「始まる」と、もはや時間も場所も、はっきりとしなくなってしまう。中心のないものとなってしまう。」(ロラン・バルト著作集7「記号の国」石川美子訳 みすず書房、より抜粋)
話題の中心、ということばがあるけれど、かいま見るかぎり、かれらは、素材をただ回し見て、「話」の中心がないのかもしれぬ。つねづね「始まり」だけのようである。ひょっとすると、煮えていてもそのまま放置するのかもしれない。
「めし、どうする?」
「銀座にでも行く?」
かれらは終始声高らかに店をあとにする、それから知らぬうち、あの「円い中心」を迂回するのだろう。
テーブルの中心で、灰皿が燻っている。
〇 自在鉤
自在の鉤
小沼丹さんのエッセイに、建て増しした書斎の片隅に炉でも切ってみようか、という話があった。そのなかに「自在鉤」が出てくる。拵えかけの炉に、ちょうどよさそうな自在鉤を道行きの古道具屋で見つけたが、連れの友人に先を越されて買われてしまう。ところが、あとからその友人宅を訪れた際、件の自在鉤は別段使われている様子もなく、端のほうへと追いやられている。友人云く、ながめているだけでいい、のだそうだ。だが、小沼さんはどうしても欲しい。そこはそれ、言葉巧みに友人を説き解し、まんまと自分のものにしてしまうのだった。モノはあるべきところにあってこそ、何よりそれが自然の姿である、そんなようなくだりにおぼえがある。
向田邦子さんも、他人の万年筆を気に入れば、「ちょうだい」の一言で、するりとその人の懐に入るなり、ちゃっかり自分のお気に入りにしていたそうだ。川端康成さんの駆け引きにいたっては飄々としている。欲しいと思うモノは、まず借りる。そのまま自分の家に持ち帰って、あとは言うまでもない。
じわりじわりと自分の手許にまでたぐり寄せる、それともその場ですかさず懐に入れてしまう。どのみち相手の出方次第ということか。「自在鉤」ではないが、引っ掛ける寸法はいくらでもあるわけだ。
所有者であるはずの相手からすれば、どうやら当人らに共通する「言葉の魔術」に引っ掛かってしまうらしい。口車に乗せられて、さも元来から当人のモノであったかのような錯覚におちいるのだろうか。相手にとって当人が気のおけるニンゲンであれば、「いいよ」なんてつい言ってしまうのはなんとなくわかる。懐が深いのか、浅いのか、さてどっちだろう。当人の、モノを見る目がきらきらしているのをひとたびかいま見ると、その目に吸い込まれるようにして快諾のほうへと導かれてしまう。モノに対する得も知れぬ熱量に浮かされて、ほだされるのかもしれない。それは当人らの性分と品性、眼力、にかかっている。もっとも当人そのものに惚れてしまっていては、もはや諦めるしかほかない。所有していたそのこと自体をあたかも賞賛されたような気分に向かわされて、恍惚としてしまう。いわば眩暈に近い。いずれにしろ、そこにはモノの外にきちんとした気持ちの交換があってこそである。そもそもモノは積み重なった記憶である。たとえ新しいモノであっても、綿々と語り継がれるであろう運命を背負っていると予感するなら、それもまた記憶の装置である。そのモノを挟んで、ニンゲンとニンゲンは交感する。そこに互いの支障も遺恨も残されない。その「間」でモノは現前に光って見える。
さて、私は誰かから、まんまと自分のものにしたというモノが手許にあるか、と考えてもみたが、どうも思い当たるものも、見当たるものもない。「ちょうだい」なんて言った試しもない。「貸して」と言われれば、それが渋々であろうと貸してしまう性分だが、そのまま返ってこなかったものはおよそ見当がつく。思い出せば未練がましくなるが、これもまた性分である。どうやら私は先に述べた主たちの、向こう岸に立っているようである。となれば、私は作る側にはいないのではないかと、はっとするのだった。いやはや「自在鉤」から、なんとも思いもよらぬモノが引っかかってしまった。
ちなみに、小沼さんの炉は、さいしょはその前でひとり酒も飲んだし、たまに友人と挟んで酌み交わしもしたが、のちに炉は塞がったまましばらく、自在鉤はその頭上で宙ぶらりんであった、らしい。
〇 丸高盆
お月さま
満月がより大きく見えることを「スーパームーン」と呼ぶらしい。日本語ではなんというか。「名月」に括っていいのだろう。九月にまた見えるらしい。月が地球にぐんと近づいてくる。もとより名月なら仲秋になる。
ときたま、スーパーじゃないのに大きく見えることがあって、あれはどのひとにも大きく見えているのか、と思ったりすることがある。色もそうだ。赤く見えたりすると、みんな赤く見えているのか、気になる。そばにひとがいれば、同じに見えているか、たしかめてみる。「ほんとだ」と明るい声で返されると、なんだかうれしくなる。照らされて、満たされる。
満月はふいに向こうからやってくるのがいい。だいたいそんなときは心がまあるいときである。
この丸高盆は
栃の木、一枚板でこしらえた高台付きの盆である。栃は軽量であり、変形を嫌うことから、家具や建材、楽器などにも使用される質実な材である。こと年輪の織りなす板目の美しさには定評がある。
この盆は、木のかたまりをろくろで回しながら、その木に刃物を当ててまあるく削りだす「挽物」と呼ばれる技巧から生まれる。仕上げは磨きのみ。表面にはあえて塗り加工を施さず、無垢の光沢そのままにしてある。使っては拭う、拭っては使う、その繰り返しで木肌にはいっそうの色つやが与えられ、たとえ染みがついたとしても、それが年輪と交わりながら月日の深みとなって味わいを醸しだす。長持ちの尺度として、手と目でふれながら愛でる。かけがえのない道具になってゆく。
膳とはいわないまでも、「丸高」と謳うとおり、たとえば畳の上にじかに置いて、盆そのままを座卓のように使ってみたい。
商品名 丸高盆
素材 栃
製造 但田木地工房(富山県砺波市)
制作 東屋
寸法 径283mm × 高36mm
価格 22,000円
〇 印判豆皿
手塩
「手塩にかける、というが、その手塩とは手のひらにのせた塩のことらしい。その塩にちょこっと食べ物をつけては頬ばるのだ。ずっとむかしの小粋な仕種である。よって小皿豆皿の類いは手塩皿と呼ばれ、いわば手のひらの代用である」
「へえー」と、向かいに座る男が声を上げる。
それから私は、
「おにぎり、だな」と、思い出したふうに言う。
「おにぎり? また話しが飛んだぜ」
「手許の塩にまぶされて、私は家内が握るみたいにカドのとれた人間になったらしい」
「うん、たしかにおまえはむかしよりか、丸くなった」
男は見た目も大きくうなずくなり、のこりの蕎麦を啜る。私はいち早く食べてしまった。
「年のせいもあるが、家内の手腕によるところも大きい。手塩にかけられた結果、こうやってのほほんとしていられる」
「けっきょくうまい具合に転がされてんだな」口をもぐもぐ動かしながら、男は空いたほうの手のひらをなにやら転がすように小さく動かしてみせる。
「いや、そうではない」
「じゃあ弱味でも握られてんのか」
男はこんど箸まで置いて、「こんなふうにぎゅっと」おにぎりを握る真似をしてみせるのである。
「ばか言え。うちはおまえのところとはちがって子どもがいないから、その分大事にされているだけだ」
すると男は、
「ごちそうさま」と、飲み込むより先に手を合わせてほくそ笑む。「ああうまかった」
この男とは、たまに会う。昼間から少し呑んだ。しめにそれぞれ天ざるを頼んだ。生姜を全部入れるかどうかで意見が分かれた。それから、薬味そのものに話がおよんで、その効用がなんやらと、話すうちにいつのまにか脱線していた。
「豆皿といやあ」男はかたわらの豆皿に目を向ける。「おれは金平糖だな」
こんぺいとう。久しぶりに耳にしたような気がする。
男は腕組みをして、空の豆皿を見つめながらつづける。
「受験のときにな。夜中になるとお袋のやつお茶をいれてくれるんだが、そこにかならず金平糖をつけてくれた。こいつにちょこちょこっとのせて、部屋まで持ってくる。舐めてりゃ元気になるから、ってさ。元気だからって大学に受かるわけでもないのにな」そう言うと、腕をほどいて豆皿をつまみ上げる。「こいつにきまって七つばかしだ。ラッキーセブンだと」
「そういえば、おまえのところ、そろそろ受験だよなあ」私は言う。
「そうだ。たいへんなんだぜ。というか、おれじゃないな、たいへんなのは」
男はゆっくり豆皿を置く。その手が気になったか、開いてみる。
「そうか。手のひらだったのかあ」男はじっと見ている。
私のほうからも、金平糖が見えた気がした。
この印判豆皿は
わさびに、しょうが、きざみねぎ、おおば、みょうが、それからごま、などなど、ひとつまみちょこっと、薬味は夏バテに効くという。食欲を促したり、食あたりを防いでくれたりと、枚挙に暇がないけれど、それらをのせる豆皿もまた、何枚あってもじゃまにならない。
この豆皿は、いろんな紋の摺紙を、天草陶石の生地に一枚ずつ貼り付けては染めていく、むかしながらの手仕事でこしらえた印判豆皿である。小さいけれど手間ひまかけたりっぱな用の美だ。そのつど摺りによって、ずれたり、うすかったり、またとない偶然が個性の表れとなって、ひとつとして同じものがない愛おしさがある。わたしたちの手のひらみたいなものかもしれない。
形と絵柄のちがいで、七つほどご用意した。どれも愛嬌があって、気の効く食の小道具。まずは手のひらにのせてみて、それからじっくり手をかけながらこまめに使っていただきたい。
〇 ふきん
生活の基盤 其の二
「拭く、ということ」
とあるデザイン事務所の一番偉いひとは、訪れるたびにどこかしらなにかしらを拭き拭きしているひとだった。マンションの一室をそのまま事務所にしていたので、靴は脱いで入るのだけれど、たまにそのひとは玄関でも拭き拭きしていた。その事務所は絨緞の感触が当時のわが家にとても似ていた。なのでいったん足を踏み入れると、足の裏からじわじわと親近感のようなものが伝わってくるのだった。仕事をしにきたということをつい忘れそうになって、来客用のスリッパを履けばどうにか余所ゆきの緊張感を保って臨めるはずなのだけれど、そのひとに、拭き拭きしながら「いらっしゃーい」なんて待ち受けられると、のっけから調子が狂ってしまって、他愛ない緊張感などあっさり拭き拭きされてしまうのだった。
アシスタントのひとに聞いたところによると、そのひとは来客のあるなしに関わらずいつもなにかを拭き拭きしているらしかった。「目を離したすきに拭き拭きしている」のである。私もなんどかおじゃまするうち、彼の拭き拭きを見ないことにはなにも始まらないような気がした。お茶をいただいて一息つけば(お茶もそのひとがいつも出してくれた)、さっと食器を片づけて(洗って拭き拭きしていることもあった)テーブルに戻るなり、いきおい拭き拭きする。早く打ち合わせを終わらせたいのだろうか、それとも単に打ち合わせが苦手なのか、さいしょはそんなふうにも思ってみたけれど、しばらく見ていると、そもそも彼の手は布巾を持っていることのほうが多いのだった。彼はあざやかに、机上をまっさらにする。私の差し出す試案の類いはその上で気持ちよさそうに横たわっている。そのまま眠ってもらっても困るのだけれど。
習慣が、あるとき「好き」にかわるのは、いったいどのくらいの時間が必要なのだろう。そのひとは単なるきれい好きとはちがって、折り紙つきの拭き好きなのである。少数精鋭の、そうはいっても会社である。まわりを見わたせば彼らのテリトリーだってある。こざっぱりしたひともいれば、ごちゃごちゃしていたほうが落ち着くひともいて、あくまで共有の、ほんの一部分だけ(なんだかわからないオブジェや、ぎっしり詰まった本棚の手前など、一部分とはいえ挙げればきりがないのだけれど)、彼は拭き拭きしながら、生き生きしているのである。
肝心なのは、布巾がそのひとにとっていわば大切な相棒であるということだった。拭き拭きしながら「たとえばね」なんて澄んだ目をして、何気ない思いつきもみがきがかかってアイデアに生まれ変わる瞬間をなんども見てきた。生活の中に仕事があることを、それとなくおしえられた気もする。彼の前に道はない。拭き拭きしながら彼の後ろに道はできるのだった。行ったり来たりする布巾が、彼の推進力だったのかもしれない。
そんな彼に、私ももっと拭き拭きされたかった。しばらく会っていない。
「いつかふたりだけで、なにか作ってみたいよね」
ばったり道ばたで会ったとき、そのひとが言ってくれた。なんだかぱっと明るくなった。曇ることなく今もその光景がよみがえってくる。叶ってはないけれど、そのことばを思い出すたびに、私は前を向くことができる。
のちにそのひとは、あざやかに、さっと身を引いたと聞く。拭き拭きしながらにこにこしている顔が浮かんでくる。
このふきんは
奈良県の特産でもある蚊帳の生地。それを八枚、重ね縫いしてこしらえた。よって吸水性がよい、汚れを上手にぬぐう、乾きが早く、なにより長持ちなのがよい。
使えば使うほど、スキルアップのごとく用途に暇がない。たとえば、おろしたては食材の水切りに。こしがやわらかくなれば食器拭きに。もっと馴染めば台拭きに。いよいよ窓拭き、さらには床拭きと、そうやってふきんはぞうきんへと修錬されてゆく。これはもう駄目か、なんてことはない、からからに乾かして靴みがきにどうぞ。言うなれば、何回も生きかわるふきん。どしどし使い倒していただこう。
主原料は、綿とレーヨン。土に埋めれば土に還ってゆく、なんて聞き齧れば、どうやらいいことづくめである。一家に一枚、そんなこと言わずに何枚か、使い分けるのもまた真なり。
商品名 ふきん(三枚入り)
素材 綿、レーヨン
製造 中川政七商店(奈良県奈良市)
制作 東屋
寸法 幅300mm × 長340mm
価格 1,540円
〇 束子
汚れては洗われる
ずいぶんむかし、郊外にあるアパートは、二、三棟の同じような形をした木造二階建がどこを見るでもなしに並んでいて、棟と棟の間には決まって持ち腐れの場所がぽかんと空いていた。ところによっては、縦列に車を並べてなんとかその場所に意味を持たせようとしていたし、だれのものともわからない自転車が建物の壁に頭を向けたまま、それでもじっと跨がられるのを待っていたのだった。
私が東京に出てきて住みついたアパートもまた、なにものかもわからない人々が、等間隔を守りながら、どこを見るでもなしに並んでいた。そのアパートも例外ではなく、棟と棟に挟まった裏手は、やっぱりぽかんと空いていた。ベランダはなく、洗濯物が向き合うかたちで垂れ下がり、おざなりに雑草が生えたり枯れたりするぐらいで、ただ、他とちがうのは、飯盒炊爨を思い出させるような、キャンプ場さながらの洗い場が中央に設けてあることだった。青い塩化ビニールの海鼠板の屋根がかけてはあるが、ところどころ留め金は外れたまんま、穴が開き、雨よけも日よけも体をなしてはいなかった。それでも夏になると、私はよくそこでスニーカーを洗った。たまに頭も洗ったし、足も冷やしたし、風呂なしの身にとって、行水には恰好の場でもあった。むかしは人の出入りもそれなりにあったはずだが、だれとも会うことはなかった。もはやだれも見向きもしない、空白の場所だった。流しの裏表には、三つずつ蛇口はあったものの、バルブが嵌まっているのはひとつだけだった。その蛇口に、柄のついた束子がいつも引っ掛けてあった。いつも、というよりも、そもそも私しか知らないことなのかもしれなかった。柄には白いビニールテープが巻きつけてあって、マジックでタブチと書いてあった。消えかかっていたから、タグチかもしれなかった。私はなんとなくタグチのほうがしっくりきた。タグチはどこかへ引っ越して、このタグチだけが忘れられ捨てられたのだと思った。私は捨てられたタグチでスニーカーを洗った。束子も洗えば汚れはおちるのだった。
コンバースは、ローカットでライトグレーの布地だった。それだけは月にいちど、必ず洗うようにしていた。東京に出てくる前、予備校で好きだった女の子が履いていた。東京に出てきて、それと同じものを買ったのだった。彼女は東京に出てこられなかった。彼女のコンバースは、いなかから一歩も出ることができなかったのだ。親が許してはくれなかった。彼女の細長い足には洗いざらしのコンバースがとても似合っていた。私が東京で洗っては履いた。彼女のことを忘れたくなかったのかもしれなかった。擦り切れるまで履いて、履きつぶすまで歩いた。それからいつのまにか消えてなくなってしまった。
1982年の夏。私はいつものようにコンバースと一掴みのスパークを握って洗い場に行った。コンクリートが白く乾いていた。蛇口を捻ると茶色い水が出た。しばらく流すと透明に変わった。コンクリートが水を吸い込んで黒ずんでいった。空の青より、海鼠板の青が、私の夏だった。その昼間も、タグチでコンバースを洗い、泡立たないのは、私もおんなじだった。
「ねえ、あんた」
コンバースにタグチをしつこく突っ込んでいると、女の声が聞こえた。屋根の端を見上げると、その向こうに女が二階の窓に腰掛けてこっちを見ていた。
「ねえあんた、それ」
私はタグチを持ったまま、女の顔を見た。四十過ぎの細面のひとだった。
「それ」
タグチのことだった。
「勝手にボロボロにされる身にもなってみなよ」
女は首の汗を手のひらでぬぐった。額は手首でぬぐった。それから腰でふいた。キャミソールだった。鎖骨の汗が光っていた。これがタグチか。タグチは水商売だと思った。蛇口の水がいきおい音を立てて重吹きを上げていた。
「きぶんわるい」
タグチは吐き捨てるようにそう言って、部屋の闇に消えた。
私は水を含んだタグチを何度も振り下ろした。何か別なものがそこらじゅう飛び散ったような気がした。汗をかいていた。顔を洗った。蛇口を閉めた。タグチをそこに引っ掛けた。コンバースを掴んだ。きれいになっていない気がした。空白が塗りつぶされたかんじだった。
敷地の外に出たかった。出て、振りかえったら、タグチがじっとこっちを見ていた。コンバースを見ていた。なぜかそんな気がした。タグチはもう、タグチではなくなってしまっていたのだ、そう思った。
「汚れたら洗えばいい」
つい最近、だれかに言われて、そう簡単には片付かないこともあるんじゃないか、と言い返してみた。そのときふと、思い出したのである。
〇 TIME&STYLEのビールグラス「YAE」
血とビール
小学校の高学年だった。母方の親戚の家から、夕飯の御呼ばれに与ったことがある。父はビールを片手に、母に小分けしてもらった刺身を食べていた。伯父は長々と小難しそうな話をその父に向かってしゃべっていた。私はオレンジジュースを少しずつ、飲んでいた。大皿に盛られたお寿司が、てかてかと光っていた。
真夏の暑いさなか、近くまでバスに揺られ、丘の上まで歩いて行ったのだった。めずらしく母が先頭に立って、折れ曲がった坂道をどんどんと登って行った。母だけが大きな包みを持っていた。風のない、一日だった。
私は父の隣に座っていた。母はその向こう側にいた。大きな畳敷きの客間だった。母と伯母は台所と客間を行ったり来たりしていた。絣の着物を着た伯父の母が、にこにこしながら「ひでくん、足を崩していいんだよ」と枯れそうな声で言った。
従兄弟の次男坊は、五つばかり年上だった。その次男坊に連れられて、二階にある彼の部屋に行った。ぴかぴかの廊下に、つるつるの階段。私は階段のある家にほれぼれした。何もかもが新しかった。建てたばっかりの家だった。従兄は部屋に入るなりレコードをかけた。ステレオセットを自慢したかったのだった。キッスの「地獄からの使者」が大音響で流れはじめた。壁にはそこら中、キッスのポスターが貼ってあった。白黒の顔に赤い舌。私は従兄を見ながらこう思った。このおにいさんは見ないうちに頭がおかしくなったのだと。大きくなることがこわくなった。ポスターの四隅がいたるところで金色にかがやいていた。目がちかちかした。画鋲までもが新しかったのだった。
一階に下りると、父も伯父もみんな赤ら顔だった。父の横に戻ると、ふと、母の手が向こうから伸びてきたのがわかった。だれにも見つからぬよう、父の足もとをぴしりと叩いたのだった。すると父の突き出た立て膝が、しずかに沈んで消えた。それから母は囁いた。
「やめてちょうだい、こんなところで」
「なにがじゃ」と父は下を向いて言い返した。けれども足は胡坐に直していた。私も慌てて正座した。母は何事もなかったように歓談に融け込んでいた。母もじゅうぶんに赤ら顔だった。
鮮明に覚えているものだ。酒宴の席で、気づけば私も立て膝を突いている。その上にジョッキを置き、人の話を聞いている。今だに母は、血は汚いものだ、と言うけれど、どうやら、血は水よりも、酒よりも濃い、ということなのだろう。私は突いた立て膝をしずかに沈め、それから胡坐に組み直す。いや、この際正座までもっていこう。ズボンから雫が浸みて膝小僧が濡れている。膝小僧を何度もさすり、すり寄るようにして宴席の雑談に融け込んでいくのだ。
あの日、家に帰ったら、母は不機嫌そうに父にこう言ったのだった。
「お里が知れるわ」
なぜだか母がちょっとだけきらいになった。
父は、といえばいつもより高く立て膝を突き、迎え酒をやっていた。それから
「家でも建てるか」
ぱたぱた団扇をあおぎながら、父は言った。
母は急にげらげら笑い出した。
そういう父が、私はちょっとだけ好きだった。
このビールグラスは
”TIME&STYLE”発のビールグラスである。本場イングランドのパイントグラスをヒントに、薄吹きのシンプルなカタチにこだわった。イングランドでは、1パイント=570ml ぴったりの大きさが定番だが、ここはニッポン、缶ビール1本=350ml まるまる注げるサイズにスケールダウンした。ふくらみの部分は、一、強度を増し、二、持ち易く、三、スタッキングができる。二重、三重の、工夫のシンボルである。家族団欒は勿論のこと、なんでもいい、ちょっとしたパーティにだって重宝する。
で、この際だから、「YAE(八重)」と名付けてみた。今夏の食卓に、どうぞ御見知り置きを。
商品名 TIME&STYLEのビールグラス「YAE」
素材 硝子
デザイン 猿山修
制作 TIME&STYLE
寸法 径80mm × 高133mm
容量 約480ml
価格 3,080円
〇 小鉢六角高台
スラッシュ
あれから三年になる。三年というのは「区切り」という言葉がともなって似合うらしい。
私のところから隣町にある大型スーパーの大きなネオン看板が見える。今年の仕事始めから、煌々とその灯りがふたたび赤く光りはじめた。
あの日にふっと消えた。それが三年目にぱっと点いた。何か問いかけのようだと思った。答えがひらめいて点いたのではない。それはただの記号である。
昨日/今日/明日/私は/夜/ベランダにて/振りかえれば/食卓が/見える。
この小鉢六角高台は
伊賀小鉢のラインナップである。縁起のよい亀甲六角の高台、その上にちょこんと酢の物和え物香の物、「向付(むこうづけ)」として配すれば、膳の景色をますます色づけてくれるはずだ。
東青山が扱う「伊賀の器」シリーズは、精製していない自然の土を作り手がじかに捏ねて、「たたら」「ろくろ」「型うち」という手法を用いながらひとつひとつ丁寧にこしらえてある。既成の型で成形しているものとはちがい、荒々しい土のまんま、その素朴な風合いには定評のあるところだ(伊賀土に関しては本頁、「切立湯呑」を参考にしていただきたい)。さらに目を愉しませてくれるのが「釉薬」である。その絶妙な肌合いと艶は、この「伊賀の器」シリーズにおいて十種類もの肌展開をしており、今回の「小鉢六角高台」もまた、伊賀で採れる灰や長石を原料に「志野」「石灰」「黒飴」「呉須縁」「松灰」と銘打って五種類ほど揃えた。
まず「志野」は、かの桃山から伝わる温かみのある志野釉を藁灰で再現したものである。「石灰」は、焼成によって無色透明なガラス質になるため素地の土そのものの趣を見せてくれる。「黒飴」は、伊賀に古くから伝わる透明な漆黒を映し出す鉄釉のことである。「呉須縁」は鉄絵で、伊賀で採れる<龍石>なる天然の鉄絵具と<呉須>を使って絵付けをした。さいごに「松灰」、これは、登り窯の燃料となる赤松の灰だけを使って、その灰が融けてしまうまで高温を保つと、澄んだ緑色に発色し、生地も硬質に焼き締められる。
といった具合に粒揃いの個性が並ぶが、さて、色とりどりの肌をとりそろえ、御宅の食卓を彩ってみるのもいかがか。たまには小鉢で一品足してみるのもいい。
商品名 小鉢六角高台(「伊賀の器」シリーズ)
素材 伊賀土(石灰釉/黒飴釉等)
製造 耕房窯(三重県伊賀市)
デザイン 渡邊かをる
制作 東屋
寸法 径99mm × 高70mm
価格 志野/石灰/黒飴 3,080円
呉須縁/松灰 3,630円
〇 カップアンドソーサー
カップアンドソーサー
カップとソーサーの間には「安堵」がある。私のワープロがそう変換してきた。「アンド」なんてはじめて打ったかもしれぬ。不意に「安堵」が私の前に表れたのだった。頻繁に用いるコトバなのか、そう考えれば、常日頃の求めすぎる性格が表沙汰にされたみたいで、なんだか気恥ずかしくなったのだった。
ときにカップは持ち上げられる。よってカップはソーサーから距離を置くことになる。たまにソーサーを置き去りにする。あわよくば遠い旅に出たっきり戻らないことだってある。それでもカップは、ふとした弾みに、ソーサーの手のひらへと帰っていく。
「ふしぎだ。」
ソーサーは女性名詞でカップは男性名詞かな、そう思ったりして、私はカップをソーサーに戻すのだった。「アンド」とは、おしなべて「安堵」な関係である。あながち間違いでもあるまい。私は、誰かの手のひらでまんまと転がされている身上を、ぽかーんとソーサーの上に浮かべていた。
カップアンドソーサー、アーンド私。何者にも咎められない三角関係を、お仕事そっちのけでふわふわと愉しむ昼下がりの私であった。
〇 銅器/茶筒
経年
私はいったい何を見てきたのか。この目でじっと見てきたもののことである。そんな問いかけが頭の中で駈けまわっていた。まっ先に思い当たるのは、親のすがたにちがいなかった。ずっと背中だけを見てきたのだった。今は、振りかえって探すしかなくなった。
お茶を飲み干したあとも、湯呑みを持ったまま気づけば底のほうをじっと見ていた。あるひとが、海を見ていると時間がたつのも忘れてしまうのは「あれは跳ねかえって自分を見ているからだ」と言ったのを思い出した。「じっと」時間をかけ、「見ている」が「見ようとしている」に、深度が変化するのだ。何を見るにせよ、私はそこに「私」という何んだか釈然としないものを見ようとしている。裏をかえせば、釈然としないからますます見ることになって、そこにえんえんと時間が注がれる。私は、溢れかえったそれにはっとして、湯呑みを置いたのだった。時の流れは輪郭もなく無情である。
「絵でも見に行く?」
細君の、誕生日が近い話になって、私は目の前のそのひとを見ている。出会ってからかれこれ三十年たつのね、と言われたとき、まじまじ二人は顔を見合わせるのだった。
海の前に立ってみたくなる。絵の前に立ってみたくなる。鏡の前に立ってみたくなる。あなたの前に立ってみたくなる。
いつのまにか今年が始まっている。「私とは、君だ」なんてランボーめいた言葉を、私もいつか思ったりするんだろうか。「ぢっと手を見る」私である。
〇 おひつ
飯の寄りどころ
妻が台所で炊きたての米をおひつに移しかえている。米は湯気を上げて、踠きながらも愉しげに妻の操るしゃもじから転げ落ちる。妻はその上から、まるで米の歓声を塞ぐみたいに軽ーく布巾を被せて、ぱたんと蓋を閉める。それから、傍ら牛蒡のきんぴらを小鉢に盛りつけはじめる。私はテレビを消して食卓につく、
「じゃ、いただきましょ」と妻の合図にしたがう。
私たちの夕餉は、いつも通りに手を合わせてはじまる。
米はこんど、おひつから飯茶碗によそわれる。そのころ米は、汗がひいたみたいにやけに落ち着き払って艶っぽい。噛めば歯ごたえがいい、香りもたつ。もしも米に運動があるとすれば、どうやらクライマックスは釜からおひつへと納まるところのようである。
今時分、おおかたのふるまいでは、おひつの動作はなくてよい。けれども、なくてもよい動作こそが米の潜在能力を余さず引き出しているらしい。寄り道のようで、それが本筋であることのほうが私たちの生活にはたくさんあったはずだ。私たちはそれを、「加味」を超越した、「醍醐味」、と言ってきたのではなかろうか。
明くる日の朝、おひつの冷や飯は、ほくほくの焼き鮭と味噌汁に塩梅がよい。少々行儀がわるいが、二膳目は味噌汁に投入してさくさく搔き込んで、合掌した。
このおひつは
およそ樹齢100年、木曽の地に育った椹(さわら)という材の、「柾目」を使って拵えている。水気をよく吸い、そのくせ耐水性に秀でたこの材ならでは、炊きたての米を適度な水分に保ってくれて、米に歯ごたえを与え、旨みと甘み、ふくよかな香りを引き出してくれる。
「いちど、おひつにうつしかえる」
昔ながらの「手心」を、ぜひ食卓に。
商品名 おひつ
素材 木曽椹(きそさわら)、銅
製造 山一(長野県木曽郡)
制作 東屋
寸法 二合 径180mm × 高125mm
三合 径205mm × 高140mm
五合 径235mm × 高160mm
価格 二合 14,300円
三合 17,930円
五合 21,340円
※ 側板に溝を彫り銅タガを締める仕様に変更しました。
〇 水沢姥口
ぼくらが沸く日
七年後、きっとぼくらはスポーツの力に沸いているはずだ。さらに七年たてば、磁力の道がさっそうとひらけ、薬玉の割れるあざやかな絵がえがかれる。その日まで、東奔西走、仕事に精をだすひともいれば、待つことによろこびを見いだすひともいる。自分の歳に七年、あるいは十四年を加算してみるだけで、すでにからだの中でなにかが沸きおこって、見切り発車のひともいるにちがいない。
胸をはって日本が沸いたと言えるのはいつだったか。「一九六四、東京」はニ歳だった、ぼくがかろうじておぼえているのは、大阪の万博だ。父と「動く歩道」をなんどもとおった、アメリカ館の月の石を一目見るのに何時間も待った、けれども見わたせばぼくの目にはなにもかもが「未来」に映った。おとなだってみーんな目がかがやいていたんだ。
そういえば、バブルは「沸いた」と言っただろうか。泡は沸かない、吹きこぼれて弾ける気泡にすぎない。それならいったいなにが沸騰したのだろう。欲の坩堝、欲深さだろうか。欲は、人に手ちがいを指摘しない。手ちがいがいちばんあぶないのに。あれから、人は手ちがいに鈍感になった。欲深さと便利が比例しはじめた。想像力は蒸発しはじめた。わすれてはならない、「自然」に手ちがいなんて、ない。
どうすれば、日本は心底から沸くことができるだろう。そうだこの七年をまず、ぼくらは東へ西へ目を注ぎ、関心を向けつづける生活を大切にする。その先にやっと手の届く、触れればほどよい未来がある。
〇 ジューサー
〇 お手掃き
生活の基盤 其の一
「はらう、ということ」
埃をはらうということは、敬意をはらうことである。と言ったのはだれだったか。
例えば、書き物をして、鉛筆の消しかすをささっ、とはらっているのは、やっと書きあがった安堵の吐息をおとしながら、その机の上で思考を重ねることができたことへのせめてもの敬意をはらうことである。あるいは、食事をしたあとの、パン屑をしゃしゃしゃっ、とはらうのもまた、楽しく過ごせた食卓への敬意をはらっていることになるのだろう。
わたしたちの生活は、大なり小なり、自らが選んだ場所、いいや、使わせてもらっているその地に、なにかしらいろんなもの、ことがら、を堆積させたその上に立っていて、それがあたかも自分の背の伸びたふうに装っているのだけれども、あるときその山を降りねばならないときには、よけいなものはいっさい取り除いて立ち去るべきだし、それがその地への敬意をはらうということになる。だとすれば、振り返ってその目が見るものは、もはや目には見えない架空を見上げるようなものであって、ただ途方に暮れながらなんとこの身の小さきことかと知るよすがとなるようだ。
さて、そこがまさしく、生活の基盤である。その盤上はことあるごと澄み切っていたほうがたいへん好ましい。またそれを、わたしたちは「大切」と言う。
このお手掃きは、
小さなほうきとちり取りのセットである。ほうきは、パキンと名のる植物繊維、別名メキシカンファイバーでできている。パキン製のブラシ類は、その腰の強さから優れたブラッシング効果があるとされ、このほうきもまた、潔い掃き心地である。ちり取りは、ちいさな塵も埃も取り損なうことのないよう、秋田杉の柾目で隙間なくさしあわせてこしらえた、江戸指物である。
ちり取りの手許に開けたまあるい穴にほうきのひもを通せば、壁に引っ掛けることもできるので、手の届くところにぜひ、このコンビを待機させておいていただきたい。ますます重宝するはずである。
商品名 お手掃き
素材 ちり取り/杉、箒/パキン
製造 ちり取り/井上木芸(東京都荒川区)
箒/高田耕造商店(和歌山県海南市)
/昇苑くみひも(京都府宇治市)
制作 東屋
寸法 ちり取り/幅127mm × 奥行114mm × 高33mm
箒/幅90mm × 長125mm × 厚18mm
価格 13,200円
※ 箒の紐が新たな仕様になりました。(写真と異なります)
〇 茶箱
春
きのう、わたしはそのひとにめっきり叱られた。
「あんた、そんなこと言ったって、だれも使わないものがずうっとここにあったってしょうがないでしょ。だいいちそんなに大事なものだったなんて、今はじめて聞くわよ。そんなに大事なものならあんたがかたづけておけばよかったんじゃないの?自分のわるいのを棚に上げて、それでなんであたしがいけないことになるの。あたしはおそうじをして、おかたづけしただけ。いらなくなったものは捨てる、だってそうでしょ」
「••••••」
「なによ。言いたいことがあるんなら言ってごらんなさいよ、ほら」
と、そのひとは、「言ってごらん」と言えども必ずと言っていいぐらいにわたしには何も言わせない。むかしからそれがこのひとの体である。けれどもわたしはそのひとに似て、口では負けていない。いや、負けてはいなかったはずなのだった。だからいつも平行線でけっきょく姉が割って入って、引き剝がすようにわたしをとなりの部屋に押し込めるのである。そうだった。
「あのね」と、わたしは言った。
「なによ。いいから言ってごらんなさいよ、ほら」
「棚に上げてあったのはわたしではなく、プリントゴッコ」
「だからなによ」
「棚に上げてあったのはわたしのプリントゴッコで、わたしじゃない、って言ったの。プリントゴッコだってわたしがあそこに上げたわけじゃない」
わたしは簞笥の上を見やる。
「なによそれ」
「あそこにあるなぁ、っていっつも見てた」
「うそおっしゃい」
で、わたしはまた黙ってしまう。あるとき寝転がって天井を見ている端っこにちらっと見つけたことがあっただけだ。中学?高校?わすれた。
「それだけ?」
「それだけ」
「おわり?」と、これもこのひとの体である。終わらせないのだ。
「じゃあ、もうひとつだけ言わせて」わたしはなぜか胸を張っている。「プリントゴッコは、大事なものでした」
「なによそれ」
「過去形」
「だからなによそれ」
「••••••」
「とにかく、ゴッコだろうとゴッホだろうと、ほったらかしにしてたものは捨てられちゃうの。そうでしょ、そういうふうに世の中はできてるでしょ。久しぶりに戻ってきたと思ったら目の色変えて、あれどうした?って、いったいなんなのよ。急に思い出したみたいに、プリントゴッコ、プリントゴッコ、って。だって持っていかなかったじゃない。ここにずうっとあるっていうことは置いてったっていうことじゃないの?置いてったっていうことはもういらないっていうことなんじゃないの?だいいちもうとっくのむかしっからないのよ。あんたのしらないうちにもうないの。わかる?しらないうちに消えてなくなるもんなんて世の中にはたっくさんあるの。げんに気づいてなかったじゃない。ここにいないひとが、とやかく言わないでちょうだい」
「••••••」
「じっと見たってないものはないのよ」
「••••••」
「ねえ、聞いてるの?美紀!」
「••••••」
「なに、泣いてんの」
わたしは、母の声が好きだ。今そこには天井と挟まれた隙間だけがぽっかりと空いていて、母の声がそこにすうっと納まっていくようで、だけどそこってそうなってたっけ、と思わず引き込まれそうになる。母が言わんとする、わたしはたしかに知らず知らずのうち取捨選択をしてきたのだった。
〇 切立湯呑
かたづけをする、ということ
ずいぶんむかし、ある女のひとに湯呑みをあげたことがある。たしか、コーヒーよりも、紅茶よりも、あったかい緑茶が好きだ、と聞いたことがあって、湯呑みをあげたのだった。あげるきっかけはどうだったか、誕生日だったかもしれない、いいものをみつけたからかもしれない、なによりなにかをあげたいと思ったことだけはたしかだった。小振りで、筒の形がよかった、女のひとの手にもおさまりやすそうだ、自分も同じものを買ってみる、そうやってひとつ、あげてみた。しばらくたって、ふたつの湯呑みが揃うことになった。そのひとといっしょに暮らしはじめたからだった。
ある日、彼女はその片方をこわしてしまう。洗っていると手を滑らせたのだ。こわれたのは彼女のほうだった。貫入の入り具合が好きだった。そこに合わせて割れていた。「直してね」と彼女は言った。捨てることを惜しまないひとがそう言ったから、意外だったように思う。私は「そうだね」と答えたっきり、またしばらくたった。
棚の上の段ボール箱のなかに、見覚えのあるハンカチに巻かれたまま、それはあった。ひろげると、思ったよりもばらばらになっていて、手が止まってしまった。捨てようか、とも思ってもみる。けれど、手が向かない。どうやら春は、そういったものまで蠢くらしい。それでも桜が咲くころに、引っ越しをしたり、かたづけをするのだけれど、ものはただ移動を繰り返すばかりで、上っ面だけが模様をかえる。ものごとそうかんたんにかたづけることなんてできない、私はそういうひとである、と、そこだけすんなり「そういうひと」でかたづけてしまう。ハンカチの埃をはらって、包んでまたおさめた。多分前にも同じことをやったかもしれない。
あんなに、ばらばらになってたんだなあ。花びらの散る近所の桜並木を散歩しながら、その女のひとのことを思い出してみるのだけれど、捨てることを惜しまないひとだったなあ、と、行き着けば、なんだか可笑しくなるのだった。
この湯呑みは
三重県の伊賀土でこしらえた湯呑みである。伊賀は、太古の昔琵琶湖の湖底にあったため、今はプランクトンや朽ちた植物など多様な有機物を含んだ土壌のうえにある。そのことから、高温焼成にも耐えうる頑丈な陶器づくりに適した良土に恵まれている。この湯呑みは、「土と釉は同じ山のものを使え」という先人の教えにならい、当地の職人が、当地の土を轆轤でひき、当地の山の木を燃やした灰や岩山が風化してできる長石を原料とする釉を駆使、いわば伊賀焼の継承からさまざまな表情を展開しつづける「土もの」の極みである。
熱くなりすぎず、冷めにくい。土のあたたかみがしっくりと掌になじむ。
この湯呑みで、ぜひに一服。
商品名 切立湯呑(「伊賀の器」シリーズ)
素材 伊賀土(石灰釉/黒飴釉)
製造 耕房窯(三重県伊賀市)
デザイン 渡邊かをる
制作 東屋
寸法 大 径81mm × 高91mm
小 径70mm × 高76mm
価格 大 3,960円
小 3,520円
〇 醤油差し
だらだらしない。
こゝろがけが、きもちいい。
ごらんのとおり、わたくし「醤油差し」と申します。と、名乗ればきっと「あっ、そうそう、そう言われればたしかに」とおっしゃってくれるはず。ならば多くは語らずとも、といきたいところですが、わたくし「新顔」にはちがいありませんので、ここはあらためまして、ちょこっ、とだけ、ごあいさつを。どうも、はじめまして。
なーんて、お辞儀でもすれば、やっぱりこの口もとに目がいきます?はずかしながら、たしかにおちょぼな注ぎ口、ですよね。たとえばほら、よく言うじゃないですか。ほんのすこーし傾けただけなのに、どぼっと出ちゃったとか。だらだら垂れたりして、しまりがわるいとか。「醤油差し」の分際でストレス溜めてどうする、ですよね。なにも、聞き捨てならないコトバに口をとんがらせて下向いちゃったわけじゃないんです。口はつつしみ、つつましく、下向きのこのカタチこそが、ひたむきさの表れだっただけのこと。だってわたくし、「醤油入れ」にあらず、あくまで「醤油差し」にございます。ちょこっ、とお辞儀がてら、おしょうゆを差すことがわたくしの役目。必要な分だけ差して戻せば、おしょうゆはひょいっ、とひっこんでくれて、口のまわりを汚しません。まして、いらぬ面倒などかけさせない。だらしのない格好はお見せしたくありませんので。「醤油差し」に大事なのは、こゝろがけひとつ。だらだらしない、切れがいい。これぞ「醤油差し」の誇りにございます。
ところでわたくし、けっこう小柄なほうでして、いうなれば控え目。「食卓に、必要な分だけ」を信条にしております。「おしょうゆ取ってー」と、声がかかってはじめてお目にかかるていど。べつにいいんですよ、フルネームで呼んでいただかなくても。中身あってのわたくし、図体ばかりが大きいと、中のおしょうゆを無駄に酸化させてしまいかねない。それじゃー、身も蓋もあったもんじゃないでしょ。このくらいがどうやらちょうどいいようです。ときには、あっちにこっちに、移動もします。なおさら、手わたしやすく持ちやすく。ちょこっ、と食卓の上にでも控えさせていただければ、この上ないシアワセにございます。
とはいえ、「ちょこっ、と」の分際にだって、「ずーっ、と」みなさんといっしょにいたい気持ちはあふれんばかりにございます。なにも、べたべたするつもりはもーとーございませんが、ただ、いつの日か、「定番」と呼んでいただければそのとき、多くは語らずとも、つかずはなれず、まっ、わたくしのこゝろがけしだいですか、ね。
〇 ティシューの匣
カフン・カフン・カフン
ティシューを一葉抜いて、彼女は両手で鼻を強くつまむと一息にかんだ。そのなまぬるい音とはうらはらに、風は乾いた空気を考えもなく部屋のなかに押し込んでくる。そうか、もう春なのだ、と私は思った。
「カフン、カフン」と彼女は言う。カフンという言葉がティシューといっしょに丸められ、くずかごに捨てられていく。
外に出ると、白いマスクのひとたちを頻繁に見かけるようになった。あなたはそのひとたちの辛さを一生わかってあげられないのね、と彼女はこの季節になると言うのだった。彼女もマスクをしている。だから聞き取りにくい。私は「えっ?」と聞きかえすが、ほんとうに聞き取りにくいときと、わざとのときもある。
彼女と散歩に出かけたときだった。だいたいが静かな住宅地だ。表札を見ては珍名さんを探し、住居の趣を勝手に判定して廻る。ある民家の垣根から、梅が咲きほころんでいるのを見かけた。彼女はマスクをあごのほうまでずらして、薄紅に色づいた花弁に鼻を近づけて、息を吸い込んだ。
「いい匂い」と彼女は言った。
「ねえ、カフンは大丈夫なの?」と私が問うと、
「ほらやっぱりなんにもわかってないのよ」と、彼女はマスクを定位置に戻した。「目に見えないものにわたしたちは苦しんでるの!」
彼女の言う「わたしたち」に、私は入っていない。ワレワレは、とかいう異星のひとを思いだして、
「えっ?」と問いかえしてみる。まるで言葉が通じなかったみたいに。
「もういい!」と彼女は言う、が、くしゃみで的を外したみたいになった。それでもかまわず彼女は闊歩する。先を行く後ろ姿が、私の目にはまぶしいくらい、見えている。
このティシューペーパー・ケースは
樹齢二百年以上の木曾檜の上材から、さらに貴重な柾目を選りすぐってこしらえました。檜は木肌が白く、艶があり、美材の代表格のように持ち上げられますが、本来は「際立たない」美しさこそが檜の持ち味。目立たず、置き場所を選ばない、なおかつ、無垢そのままの指物なので、檜ならではの清々しい香気も愉しむことができます。
ひとにも場所にも落ち着きのよい、ティシューペーパー・ケース。
商品名 ティシューの匣
素材 木曽檜
製造 山一(長野県木曽郡)
制作 東屋
寸法 幅257mm × 奥行132mm × 高85mm
価格 9,900円
〇 お盆
何を載せて、何処に運ぶか、ということ
日常の中にあって、ふと目に附いては、はっとすること、といえば私にとってなによりも本棚に列んだ背文字、だろう。目に附く、というか、本の声が不意に耳に届いて立ち止まってしまうのである。たとえば、「絵とは何か」「ふたたび絵とは何か」「みたび絵とは何か」と、過去に読んだっきりしまわれていた棚の隅からこうも立てつづけに投げかけられては、なにも絵に限らず、はたと自分の今していること自体に「何?何?それはどういうこと?」と疑いを持ちかけられ、ひいては私がそこにいる理由までも問われたか、のように私のほうがぺらぺら繰られている気分である。背文字というからには、彼らは私に背を向けている。けれど、彼らはお隣同士、あるいはご近所同士で、常にひそひそ話しをしているのである。それをあるとき私が気附いてしまうだけなのだけれど。
「視るとは何か」「見るまえに跳べ」「春は馬車に乗って」「回転木馬はとまらない」「ダンス・ダンス・ダンス(上)」「ダンス・ダンス・ダンス(下)」エトセトラ、エトセトラ。私はいてもたってもいられなくなり、なかでも声高な者に手を伸ばし、肩を叩くようにしてこちらを向かせ、いつのまにか腰を下ろしてその者の腹を探るに至る。するとたまに、日常の壁に小さな穴が開くのが見えて、そこからほんのすこしだけれど外が見えるときだってある。
あたりまえにあることが、折に触れて、あたりまえではないことになるのが日々の暮らしである。特別なことをしようとしていなくても、あるとき「日常」という名の棚にしまわれたものや、ことを、ふと掬い上げて掌に載せてみると、気附けばそこには「光り」が載っていることが多い。であるなら、何処にそれを運ぶかはいたって明瞭である。
日々は、その「光り」をもってしても「暮れる」。水を掬って運んでも指の間からこぼれゆくようである。けれど、その「光り」をもって「暮らす」のだ、とすれば、背を向けてばかりもいられないな、と思う。「光り」が届くより先に、「光り」は届けるものでありたい。
この盆は
盆は、掌の延長である。掌と同じように、盆で「運ぶ」のもまた、「大事」の表れである。
この盆は、「へら絞り」でこしらえた。「へら絞り」とは、こしらえたいものの型(かた)を動力で回転させながら、「へら」と呼ばれる道具で素材(ここでは真鍮である)をその型に押しつけて変形、成形させてゆく加工のことである。素材のやわらかさ、あるいは固さを見極めながら、微妙な力の入れ具合でカタチを起こすが、その研ぎすまされた感覚を体得した職人だけが「逸品」に「絞る」ことができる。のちに銀メッキが施され、仕上げは「ヘアライン」である。ひとつひとつ、目の細かいやすりで磨き上げ、表情を曇らせることで鏡面仕上げよりもやや酸化を遅らせる手はずのほうを選んだ。理由はひとつ。たとえば掌は、ひとやものに接するごとに、顔のように表情を浮かべ、あるいは皺を刻むが、この盆もまた、使い込めば銀は燻され飴色にかわり、ますます味のある表情をこしらえてくれるのである。
作り手から使い手に、その手はさらにつぎの手へ。先がたのしみな「顔の見える」盆である。
商品名 お盆
素材 真鍮、銀めっき
製造 坂見工芸(東京都荒川区)
デザイン 猿山修
制作 東屋
寸法 径290mm × 高20mm
価格 25,960円
※ 写真は、左から右へ「経年変化」のようすです。
〇 「風下」立花文穂
本を作るということ
弟から、家のことを題材にして本を作ってみる、と聞いたとき、ああ、お前のほうがとうさんの背中にぐんぐんちかづいていくのだな、そう思ってふと、私は遠くにいるような気がした。
私がまだ小さかったころ、父に、「ぼくがもし小説とか書くようになったら本にしてね」と言ったことがある。そのことを急に思い出したのは、父が倒れたときだった。父がなんと答えたかは覚えていないけれど、病室で眠っている父の手を握ってみたときそのことを思い出したのだった。すっかり忘れていたことばなのに、それ以来、紙に書かれて貼られたみたいに、ちがう方向を向いていた私の目の前でひらひらめくれあがっている。
父は製本屋を廃業した。工場も手放した。彼が愛してやまなかった、本を作るということが、彼の手からぱらぱらと滑り落ちて、風に飛んでいった。
二十のとき、上京する私に父はこう言った。「夢ばっかり追っかけて、のたれ死ぬんじゃないぞ。原稿用紙は食えないんだからな」あのとき父は断裁機で紙を切っていた。背中を向けたまま、大きな紙の束を切り分けていた。
父は紙を食って生きてきたのだ、そうおもう。
私の弟であり、美術家でもある文穂が、父の工場のなくなってゆく過程を見つめながら、散っていく紙の記憶を捕まえた。束になったそれらの紙片を自らが製本、私は小さな文を寄せた。立花文穂の最新作品集「風下」。本を作るということが、頁を開くと匂ってくる。
この本は
作品名 風下
作 立花文穂
タイトルと文 立花英久
製本 立花製本(広島県広島市)
印刷 中本本店/佐々木活字店
発行 DNP文化振興財団/広島 球体編
協力 バーナーブロス
仕様 200×245mm、糸かがり綴じ104頁、
カバー付、貼込図版有
価格 4,400円(初版限定350部)
〇 靴べら
瓜田不納履、
李下不正冠。
やっぱり僕なんか、一重ではなくて、二重のほうが、好みだなあ。と、これ、なにもひとの顔のことを指して言っているのではない。節目節目の、清く正しく過ぎさりしほど、ことさらまっすぐ伸びて潔いはずである。さて、これは竹のおはなし。なかでも真竹である。真竹は、節が二重なのである。よーく見ると、ひと節にふたつの段があるのがわかる。その分、節と節との間がながーく育って、繊維が細かく、しなって折れない、カッコウの材となる。たとえば、この靴べら。長さは760ミリ。そのくせ節は頭とおなかだけ。すっきりと見栄えがよい。瓜田で履を納れず、ではないけれど、かがまなくても軽々使えるよう、その寸法取りの、まあ絶妙なことよ。履き易く、足腰に合わせてくれるしなやかさにも脱帽。李下に冠を正さず、背筋はぴーんと伸ばしてお出かけ、といきたいものである。
この靴べらは
肌理が細かく、艶っぽい。使い込めばさらに落ち着き払った飴色に変貌する。無垢のまんま、表面を晒しただけの真竹でこしらえたこの靴べら、玄関先で、ながーいお付き合いを、ぜひひとつ。(お断り。ところどころに小さなキズやシミが見られますが、これらは竹林で風雨に晒されながら、竹どうしがぶつかったりこすれたりして、それでもすくすく育った証しです。自然が生んだ「景色」として愉しんでいただければ幸いです。)
商品名 靴べら
素材 真竹
製造 竹清堂(東京都杉並区)
制作 東屋
寸法 760mm
※ 販売終了、仕様が新しくなりました。お尋ねください。
〇 トスカーナのレース
明かりを灯す、ということ
お店に入って、あ、いいな、と、ものを指して思うのは、たとえばそれを家に持ち帰るところからはじまって、思い描いたところに置いてみる、あるいは使っている「わたし」のことを想像してみることにより、じつは「わたし」の内側が、その瞬間、ぱっ、と明るくなっていることに気がつくことである。気に入る、ということは、たしかにそのものがほのかに明かりを灯す光源のようなものになっていて、「わたし」を照らしはじめ、訴えかけてくるものだけれど、ほんとうにそのものを持ち帰った場合には、そのものがじっさい家のなかを照らすのではなく、どうやら「わたし」のなかが照らされて、からだはシェードのように「わたし」自身が光りとなって家を明るく照らしているのだった。なにも買い物や、ものにかぎったことではなく、目には見えないもの、たとえばコトバだってそうだ。「こころから」おもうということ、「こころから」言うということ、などなど、これこそが、ひとがひとを照らしだす明かりであり、こころが光源なのである。
妻はときどき、テーブルにまずはコースターを敷いて、それから飲みものを置きにくることがある。さほど水回りを気にしなくていいことから買ったテーブルなので、じかに置いていい。だからそれは、たまーにおこるハプニングのようなものだ。そのテーブルが瞬く間、そこにスポットライトが当たったかのように浮かびあがってくる。つぎにそれがコップの水であっても、その日にかぎっては、世界でいちばんの水であるかのように、きらきらしはじめる。なにより、妻のその振る舞いに光りは宿っている。ほかに照らし出したい何かが妻のうちにあることは明白ではあるけれども、たとえば何かいいことでもあったのか、それとも聞いてほしい話でもあるのか、それより、ただの気まぐれなのかもしれない、そんなことぐらいしか思いつかない私は、ふと気がつけば、しらずしらずに照らされており、魔法にでもかかったみたいに私のなかから晴れ間が広がっていくのだった。
今に思えば、私はたしかにそういった場合、どこかきげんがわるかったり、こころここにあらずだったりで、つまり、彼女にしてやられている、というか……、こころから、感謝している。
〇 裁縫箱
〇 踏み台
高いところにあるもの
まだ小さかったころ、父の背中に乗ってビスケットの缶を箪笥の上から取ったことがある。まんなかに穴のあいたビスケットの写真が印刷された、覚えのある缶だったので、私は父にビスケットが欲しいから取ってくれと頼んだのだった。けれども、自分で取ってみろと言われて、かんがえたあげくに箪笥のひきだしをあけ、はしごみたいによじ上ろうとしたのだけれど、あぶなげだったか、見かねた父は四つん這いになってくれ、けっきょく私は父を踏み台にしたものの、それでも手が届かないからしまいには泣いたのだった。となれば、箪笥の上からビスケットの缶を取ったわけではないことになる。それでもその缶の中身は今でもおぼえているのだ。開けると色とりどりの糸がしまってあったのだから。
と、そんな小さかったころの話を事細かにおぼえているか、といえば、おぼえているわけがない。天井に近いところにビスケットの缶がおさめてあったことも、たしかにあの中に母が洋裁で使っていた糸が入っていたことも、父の背中を踏み台にした足の裏の感触も、どれもきちんと記憶のうちにある。だから、それらをつなげてみると、またたくこんな話が思い浮かんだ、というわけだけれど、それでもあったか、なかったかが、作り話のはずなのになぜかあやふやになりはじめる。なるほど記憶の断片というやつは、あらゆるところから不意に磁石みたいに私のほうへところころ近づいてきて、かちゃっ、かちゃっ、と引っ付くようにできているのだろうか。それこそそれらをビスケットの空き缶かなんかにしまっておいて、忘れたときのために箪笥の上にでもおさめておけばよいのかもしれないけれど、それもまた、大なり小なりきっと記憶の断片と化す、そうにちがいないのだ。
それにしても私は、父を踏み台にして、それでも足らずに背伸びまでして手を伸ばしたという、たしかに記憶の糸口はつかんではいるものの、はたしていったい何をこの手につかんだのか、いっこうに思い出せないのだった。
この踏み台は
「四方転び」という構造をもった踏み台です。「四方転び」とは、四本の脚をすえ広がりに張り出させることで、安定し、重さにも耐えうる、それからなんといっても倒れにくい、まさに踏み台としては理にかなったかたちのこと。
樹齢二百年以上の、木目の詰まった貴重な木曾檜を無垢のまんまでこしらえたので、手入れをしながらご愛用いただければ、永ーく高ーいところにまで手が届く、これぞ踏み台のカガミ、かもしれません。
そもそも四方転びの踏み台は、棟梁が施主に、落成祝いとして贈るものだとききます。「すえ広がり」の置き土産なんて、「家」のお守りみたいで、こころにくい演出。しかも棟梁がこしらえるのではなく、大工としてはまだ半人前にもみたない、本番にはまったく出番のなかった弟子に、あえてその複雑な構造の「四方転び」をこしらえさせ、その初仕事を施主への贈りものとする、師弟のあいだの厳しくもこころやさしい教育の一環でもあったのです。
木曾檜の香り、頑なな構え、ぬくもりのある由来を足場にして、すえ永くお使いいただける、それがこの踏み台です。
商品名 踏み台
素材 木曾檜
製造 橋渡弘幸(長野県下伊那郡)
山一(長野県木曽郡)
デザイン 猿山修
制作 東屋
寸法 幅400mm × 奥行320mm × 高450mm
耐荷重 130kg
価格 49,500円
〇 木箸
味の外の味、ということ
古いことばに「味の外の味」というのがある、とどこかで読んだことがある。盛りつけられた料理の味わいは、その外側にあるふんいきや、うつわの表情、うつくしさをも「味わう」ことではじめて料理を「味わう」ものである、ということらしい。けれども、たんにすてきなうつわをそろえ、ふんいきづくりにいそしむ、ということではないはずだ。わたしたちには「一家団欒」がある。それだけで「味の外の味」はじゅうぶん事足りる。家族で囲む、家族でつまむ、家族ひとりひとりがそのささやかな幸せを噛みしめることを願って、食卓はゆたかな景色を生んでくれる。
この木箸は
たとえば二本で一対の箸のように、誰かがいてくれるから、団欒、つまりはいつも満面、まあるくなれる。
さてこの箸は、輪島の塗りものの芯になる木地を作りつづけてきた「木のスペシャリスト」四十沢(あいざわ)さんに拵えてもらった。木地そのまま、木肌そのまま、いわゆる「スッピン」の木箸だ。そのかたちは四角四面の面持ちよりも、ほんのすこし丸みを持たせてもらったことで、指先と口もとの当たりのここちよさが自慢である。いくつもの工程を繰り返しながら一本ずつ丹念に磨きこまれたなめらかなみかけと、うらはらに、食べものをすべらせずしっかりやさしくつかまえてくれる、正真正銘芯の通った木箸。
四十沢さんが引き出す木の素肌の力、いちど手に取って、味わってみてください。
商品名 木箸
素材 写真左から欅(けやき)、黒檀(こくたん)、
鉄刀木(たがやさん)
製造 四十沢木材工芸(石川県輪島市)
制作 東屋
寸法 長235mm × 幅7mm
価格 黒檀 2,970円
※ 欅、鉄刀木は廃番のため現在、取扱しておりません。
〇 銅之薬缶
早くお家に帰ろう
冬至が過ぎた。いよいよ師走は佳境である。少しだけ町も賑わいを取り戻し、敢えて活気を心がける気配にまぎれながらも、わたしたちは、ほっ、と白い息を吐くのだった。「早くお家に帰ろうよ」バスの子供たちが、大きなランドセルをぶつけあって、腰の高さで会話を弾ませている。隣のおばさんの、手にぶら下がっているのは、食材の詰まった大きな袋だ。
そうだ、早くお家に帰ろう。
たとえば、ご馳走ということば。母が食材を買って駆け戻ってくる様子から、きっと今日もごちそうなんだ、なんて絵を思い描いてみる。だけど、師走とは。忙しなさの往来なんかより、冷たい風もなんのその、早くお家に帰りたいからついつい駆け出してしまう景色のほうが似合ってそうだ。
さて、わが細君はどうか。ただいま、の声がする。がさがさっ、と玄関が色めきだつ。台所に駆け込んでくる。で、まずは薬缶に火をかける。しばらく火にみとれている。彼女にとってたいせつな時間だ。それから我に返る。料理の本を開く。沸いた湯で茶を入れてくれる。私といえばふーふーしながら湯呑みを傾ける。買い物袋からにょきっと飛び出た長ねぎを見ながら今日の献立に目星をつける。薬缶は。ゆらりゆらりと湯気を上げて、私といっしょ、彼女の邪魔にならないように、しばらくは、じっとしている。
いつものことがあいらしい。
だから早くお家に帰る。
この薬缶は
薬缶は「銅」に限る、と誰かに教わったことがある。この薬缶も、「銅」でできている。「銅」は、強く逞しく、熱伝導にも秀でている。「銅」は、抗、除菌作用が具わっている。「銅」は、塩素を分解して取り除いてくれる。だからカラダにやさしくて、おいしい湯を立ててくれる。
銅の薬缶は長持ちだ。大事に使えば「一生もの」になる。おろしたてのぴっかぴかが、年季が入ると飴色になる。日常を繰りながら豊かな顔立ちになるのである。だからいとおしく使いつづける。育てる、といったほうがいいかもしれない。さすれば台所の顔である。かがやきの変化を楽しむ、そういう薬缶もいい。
「銅之薬缶」。さいしょはなんだってまぶしいものだ。
商品名 銅之薬缶
素材 銅(内面/ニッケルメッキ)
デザイン 渡邊かをる
製造 新光金属(新潟県燕市)
制作 東屋
寸法 幅200mm × 径175mm × 高240mm(把手含
む)/150mm(蓋のつまみまで)
容量 2,18ℓ(満水時)
価格 19,800円
※ つるが倒れ切らないよう留め具がつきました。
〇 米櫃
保管する、ということ
子供のころからずっと使っている国語辞書によれば、「保管」とは、(他人の)物をあずかって、いためたりなくしたりしないように保っておくこと、だそうだ。「保存」は。そのままの状態を保つようにして、とっておくこと、らしい。お米の場合、どうだろう。(自然の)物をさずかって、いためたりなくしたりしないように保っておく、どうやら「保管」が似合いそうだ。
まっしろで、きらきらしたお米の粒片。さらさらと米櫃のなかに積もってゆく。そんな様子を見ていると、なんだか、ほっ、と白い息を吐くみたいに、安心したのか「しばらくねむるね」ってしんしん聞こえてくる。きちんと箱におさめてみると、「大切にする」というあたりまえの言葉が、ますますかがやきはじめる。
としを越そう。
大切なものは、大切なまま。
日のあたらない場所の、箱のかげかたちをながめていると、いつのまにかふりかえっていた。日なたに向かって、前を向こうとおもう。
この米櫃は
大切なものを、大切にそのままおさめておきたい。たとえば箱でもこしらえて、大切にとっておきたい。人の知恵がえらんだのは、「桐」という自然の恵みでした。
桐は、タンニン、セサミン、パウロニン、といった成分が含まれていて、防腐、防虫の効果があります。桐は、繊維のしくみが多孔質であるため、湿温の調整にすぐれています。桐は、何より軽量であることから、保管箱として重宝されてきた歴史があります。この米櫃ももちろん、桐の箱。毎日いただくお米を、やさしく、丁寧に、保管しておけばさらにおいしいごはんがいただけそうです。
この米櫃は、間口を広くとり、密閉性にすぐれた引き戸をしつらいました。お米の出し入れに面倒がかからず、引き戸自体が上ぶたとして取り外せるので内側のお手入れにも手間がかかりません。「指物」の密な作りが、しっかりと外気を遮断してくれ、お米を保管するにはうってつけの、これぞ「米櫃」、です。
商品名 米櫃
素材 桐
製造 松田桐箱(埼玉県春日部市)
制作 東屋
寸法 5キロ 幅240mm × 奥行300mm × 高180mm
10キロ 幅240mm × 奥行300mm × 高270mm
価格 5キロ 9,350円
10キロ 12,100円
〇 2012 CALENDAR
日付ける、ということ
来年がやってくる。否が応でもせまりくるのである。
今年の私は、カレンダーを振り返るたび、気持ちの整理がつかないままに日々が通り過ぎた、そう思わざるをえないのだった。向かうべき地点の定まらないまま、うろつく心をなんとかしずめながら、けれど締めくくりぐらいは、きゅっ、と結んで、抽き出しにおさめたい。たとえば、やってくる年に早々と印を付けてみる。何かがやってくるのを待つのではなく、私から迎えにいこう。私は思いつくかぎりの日にまるを付けてみた。すると、
生きねばならない、と感づいたのだった。
このカレンダーは
すこし立ち止まって「みる」のもいい。持って出かけて「みる」のもいい。延ばせば短冊みたいに、手折れば文庫ほどの。
書いて「みる」カレンダー、2012。
商品名 2012 CALENDAR
デザイン 立花文穂
制作 立花文穂プロ.
寸法 縦 297mm × 横 100mm
※ 販売終了いたしました。
〇 飯炊釜
上手に炊く、ということ
上手に炊けた、と私たちは最近言ったことがあるだろうか。たとえば「上手に炊けたね」と、言ってあげたことがあるだろうか。
「電気ごはん」に身を任せていると、いまや使わないコトバ、なのかもしれない。
受け身でごはんをいただくことから、すこーし距離を置いてみる、それからほんのちょっとでいいから「手間」をかけてみよう。米を研ぎ、水加減は刻印された目盛りに頼らない、炊くのは、「飯炊釜」、そう、ガス台のうえだ。ぜーんぶ自分の腹づもりで進行してゆく炊事の原点。「米を炊く」という行為をいっそこの手に取り戻してみよう、というおはなし。くわしくはこちら、虎の巻「米を研ぐ、炊く、蒸らす」まで。
この飯炊釜は
伊賀土で拵えた飯炊釜。三重県の伊賀の土は、耐火度が高いことから土鍋を拵えるのに最も適した土、といわれています。この飯炊釜もしかり、長年土鍋を拵えてきた陶工の手で、程よい土の締まり具合を計らいながら肉厚にしてもらい、上手にお米が炊けるよう、まさに飯炊きのための釜に仕上げてもらいました。この飯炊釜は、内と外、ふたつの蓋によって圧力をととのえ、吹きこぼれがありません。この飯炊釜は、釜自らが最適な温度変化をおこなってくれるので、火加減の調整がいりません。この飯炊釜は、肉厚のつくりから熱容量が高く、火を消したあとでも「蒸らす」に必要な温度をしっかり保ってくれます。この飯炊釜は、通気性がよく、蒸らしながらもよけいな水分を適度に逃がしてくれます。上げればきりがないほどに、この飯炊釜は、炊飯の極意そのもの。電気では「体感」できない、米を炊く、という行為を、もういちど台所の中心に。
商品名 飯炊釜
(二合、三合、五合を取り揃えました)
素材 伊賀土
製造 耕房窯(三重県伊賀市)
制作 東屋
寸法 二合 幅260mm × 径215mm × 高160mm
三合 幅280mm × 径240mm × 高180mm
五合 幅310mm × 径260mm × 高190mm
価格 二合 13,200円
三合 19,800円
五合 25,850円
〇 ACTP03_机
妻の
つくえのつかいかた
妻は私とひと悶着あると、ひとしきりたって紙と鉛筆を引き出しから出し、机に向かうと背中を向ける。いつものことだ、と思いながらも、たとえば言い足りぬコトバは飲み込んだまま、なぜそうも冷静になって背中を向けていられるのか、こちらのほうの気がおさまらなくなる。彼女はどうやらさほど気にやんでいる様子でもない。私のほうが言い足りぬコトバでカラダは破裂せんばかりである。正せば、そこは私の机、いうなれば私の陣地、本丸である。腑に落ちない。それがまた癪にさわる。しかし、声を出そうにもなぜか胸に詰まって堪えるのは、彼女の背中を見るにつけ、私の背中のほうが異変をきたすからだった。
平時、妻に尋ねてみたことがあった。いったい何を書いているのだ。すると彼女はこう答えた。わたしのほんらいいちばんやりたいことを箇条書きにしてランクをつける、そうすると不思議に気がおさまっていく、らしい。いつも上位にあがるのはなんと「歌手」、とのことだった。カ、カシュ?「歌手」、と文字にすると、その字面といっしょにココロまで弾む、いやなこともとたんに吹っ飛んでしまう、机からはにょきにょきマイクが出てきて、彼女の背後にはビッグバンド、君は大好きなニーナシモンばりに、となれば、私はずーっともっと後ろのほう、裏方なのだな、きっと。彼女を照らすデスクライトがなんだかまぶしく見えてきた。目がくらみ、彼女の胸の内などさらにわからなくなる。けれどもわかっていることもある。そこはそもそも私のステージなのだ。「あら、最近ぜんぜんつかってないじゃない」と妻の台詞が聞こえてきそうで、またかきむしられる気分になる。
さかのぼって、今回の諍いの発端はいったい何だったのだろうか。妻は今や見えない客に向かって歌っているのかもしれぬ。つまらない強がりで、ほんとうに彼女が歌手にでもなったら、私はどうなるのだろう。いよいよ、裏方でもよいからここに置いてくれ、とスパンコールのドレスの裾にしがみついたりするのだろうか。その机、本、鉛筆だってノートだって、どうぞ自由に使うがいい、ぜーんぶ君のものだ。鉛筆が、からからん、と鳴った。それでも聞いてみたい、私の格付けは、いったいどこらへん、いや、何番ですか。
たまに男があたふたしてどうすればよいかわからないことになったとき、夜空を見上げたって私の星なんて見えやしない。そんな真っ暗なさなか、ふと男は女のほうを見つめる。するとほら、その目のなかに星がきらめいているのだった。とある作家に聞いたことがある。その女こそが、「妻」というものらしい。遠のいていく彼女の背中を想像すると、私の背筋は、ぞっ、とするのだった。
〇 煎茶 薩摩
すべからく
寄る辺のない日々を、
ラジオから「グリーンティファーム」という曲が流れていた。ジャズピアニストの上原ひろみさんが故郷の静岡を想ってこしらえたものを矢野顕子さんが歌っている。「ありがとう、ありがとう、ほんとうにありがとう」。一秒で足りるほどの「ありがとう」、そのひとことが、耳のありかを忘れてしまうほど、まるで贈りものをじかに手わたされたような感触を肌で感じて、私はふるえてしまったのだった。
夏が果てて、ベランダからゆきあいの空を眺めていると肌寒くなって、いつのまにか町かげにはぽつりぽつりと明かりが灯っていた。私もカーテンを閉めて部屋のデンキをつけてみる。町が揺れ、風に揺れ、ひとはなにかに、だれかにしがみつくも、なのに自然は許してくれないみたいだった。ならば自然は、だれに憤り何に怒っているのか、そんなことを顧みながら、そういったことを顧みている自分をふりかえってみると、いつ降りかかってきてもおかしくはないすぐ側に、だれもがいるのだ、と背筋を伸ばさないわけにはいかないのだった。それでも私たちは自然に寄り添い、どうにか折り合いをつけながら、誠実に過ごすしかない。
自然の恵みに感謝する、たとえば広告に謳うこともたびたびあるけれど、なにもできない私たちにかわってその自然とたたかいながら食べ物を与えてくれるひとたちの献身に手を合わせることを怠れば、口が曲がる、とは親からよく言われたことだった。私など想像もつかないような難題や、あるいは危険をも踏み越えて、自然という畏れに向き合う背中にしょっているのは誇りにほかならない。ひとは、ひとの力をはるかに超えた自然の一部である、ささやかだけれどそれでも生きたい。わきまえる、ということを、彼らに教わってきたはずである。山の仕事も、海の仕事も、山があり海があってのことだけれど、都市の仕事とは、その山や海の仕事に支えられているのだった。遠くにクレーンが立ち並び、常夜灯が点滅するまちづくりの途中をみつめていると、「元気でいられることの奇跡に身を正そう」そう省みるのである。
〇 マグカップ
あのときは、
そんなに好きじゃなかっただけだ
私は今までほとんどといっていいほどマグカップというものを使ったことがなかった。まず「マグ」というコトバにピンとこないのだった。いったい「マグ」とは何なのだろう。むかし、好きだった女の子のアパートにはじめて行ったとき、目の前に出されたのがその「マグ」だった。何が入っていたのか覚えてもいないのだけれど、奇妙なキャラクターが私に向かってファイティングポーズをしていたのだった。多分景品なのかもしれぬ、だけど容れ物として何でもありの、そのポリシーのなさにヒトもタガがユルんでしまって、ひいては家の持ちものにも、ましてやアナタにだってそれほどこだわってはいないのだ、と彼女から宣言されたみたいだった。緑色のカラダをしたそいつをじっと見つめながら、私は戦う気持ちにもなれないまま、「マグ」もその恋もみるみるうちに冷めていったのだった。それからどこに行っても「マグ」は、私の不意を突いて平然と現れるようになった。頻繁に見かけたのはアイラブNYのあの赤いハートマークである。ジ・アメリカ、何を入れてもオッケー、来るもの拒まずの、そのオープンな顔かたちが、いつしか横柄にも見えはじめた。手軽なふりをして、そのくせ私の片手では足りないシロモノ。たまに映画のなかの屈強なオトコがうがいなんかに使っていたりすると、ああ、つまりは合理主義なのだ、と「アメリカン」なるコトバまでが鼻につきはじめ、コーヒーをナミナミ入れるといかんせん胃がもたれてしまうわけで、なるほど、それで「アメリカン」かあ、とヘンに納得したりして……。けれども、私はアメリカンなものがきらいなわけではないのだった(たとえばアメリカンニューシネマとか、じつにいい)。そうなると「マグ」は単なる食わずぎらいなのかもしれないな、と思うに任せることもできぬまま、前を向いてまっすぐ生きてきたのだった。それこそ映画スターだったら、片手にそれを持ち、シーツにくるまった気怠いオンナの肢体を眺めながらタバコなんかくゆらせたりもできただろうし、あるときは一枚の毛布にふたり仲よくくるまったりして、手にはそれぞれ包み込むようにそれを持って、古びたアパートメントの屋上かなんかで朝日が昇るのをひたすら眺めることだってできたのだった(なぜみんなくるまるのだろう)。だけどそれを日本人がいくら真似をしたってサマにはならない。「マグ」、と呼ぶヒトがいれば、まるで因縁でもつけるような尖った目を向ける私こそ、いったい何なのだろう。寿司屋に行けばたまに「アガリ」というヒトがいたりして、「お茶くださーい」でいいじゃない、と思いながらも、手には魚偏の文字が踊るでっかい湯呑みを私もみーんな持っているわけで、なーんだ、耳をつければ「マグ」じゃん、とはならないのだった。
〇 蚊遣り
蚊遣りのために
其の一、りんねしゃの「菊花せんこう」。おもに北海道の除虫菊を使い、アロマ効果のある薄荷を配合しています。白樺(あるいは桧)の木粉や除虫草など、植物由来の原料だけで作った「蚊遣り線香」です。よく耳にする「蚊取り線香」とは違って、「蚊遣り」と謳うのは、殺虫効果の化学成分をいっさい使わなかったことに理由があります。あくまでも「除虫」、わるい虫は寄せつけない、その分、匂いがつんとしない、目がしばしばしない、よってカラダにやさしくしてあげられる。りんねしゃの自然素材だけにこだわってきたモノ作りのなせるワザなのです。
「菊花せんこう」は、暮らしのすぐそばで安心して使っていただける、すぐれもの線香です。
其の二、東屋の「蚊遣り」。わざわざ金具の足をつけて線香を宙に浮かせるなんて……。香炉のように灰の上に直接置いて使ってください。一巻き(およそ6時間くらい)使い終わっても、灰はそのまま、次の線香を上乗せして使えます。倒れる心配もなく、手間もかからない、三重県は伊賀の「蚊遣り」です。
「蚊遣り」をご用命の方には、「菊花せんこう」二つと、灰を一袋、おつけいたします。角鉢に付録の灰を入れていただき、線香に火をつければあとはそのまま灰の上に寝かせて置いてください。
この夏だから、
窓をいっぱいに開けてみる、
風を入れてみる、
蚊遣りを焚いてみる。
商品名 菊花せんこう
製造 りんねしゃ
容量 30巻
価格 1,320円
商品名 蚊遣り
素材 伊賀土、石灰釉
製造 耕房窯(三重県伊賀市)
制作 東屋
寸法 幅・奥行150mm × 高63mm
価格 8,800円
(りんねしゃ「菊花せんこう」2巻、灰 約250g付き)
〇 SKRUF Bellman
容器
「水はグラスで味が変わるの」と、彼女は言った。その女の子はホテルにあったグラスに水を注ぐと、勇んで飲み干してみせた。「家に転がっているコップとはわけが違うんだから」と、もうひとつグラスに水を注いで、「はい」と私にわたすのだった。あれはどこのホテルだったか。部屋にある「グラス」なんて、どこも大差ないはずだった。
水を入れたコップに、「スキ」と書いた紙切れを裏っかえしに貼っておくと(つまり水に見せてあげるのだ)、見違えたようにおいしくなる。「キライ」と書けば、まずくなる。グラスの中の水を覗きながら、そんな話を思い出したのだった。ひとはほめられるとうれしい。笑みもこぼれるし、とにかく悪い気はしない。水七割でできた人間がそうなのだから、あながち否定は出来ないような気もした。
「だから植木鉢に水をやるときにだってとっておきのグラスを使うのよ」女の子は言った。「よろこんでいるのがわかるの。だからいーっぱいあげるの」
女の子はよっぽどその植物が大事なのだった。
「なにを育ててるの?」私は質問した。
教えてはくれなかった。
根が生えて、蔓を伸ばして、女の子に巻きつきはじめた。絡み合い、がんじがらめにして、そういった絵が浮かんだ。やがてそれらはオトコの足や手や指になっていくのだった。
「あげすぎると根が腐っちゃうよ」私は忠告した。
噂では、女の子は外国に行ってしまった。植木鉢もいっしょだったのだろうか。それとも本当に腐らせてしまったのかもしれない。
あのとき女の子は、もう一度水を汲むのだった。「乾燥してるでしょ。だからこうやって、お部屋にも水を撒いてあげるといいの」彼女は人差し指と中指を使ってグラスの中から水を上手にかき出すのだった。カーペットはシミのようにまだらになるが、あっという間に消えていった。私は持っていた水を一気に飲み干した。
〇 オリーブのまな板
大切にすることの先にあるもの
正直言ってさいしょは、「不様」だな、そう思った。年輪が歪んでフシもあるし、形もカバンみたいだ。
「それは、オリィーヴの木で作られています」女のひとが言った。すると「オリィーヴ」だけとつぜん私のなかにぽちゃん、と落ちてきたのだった。おりぃーゔおりぃーゔ、と、波紋が広がって、それから「不様」はあれよあれよと「親密」という形容詞にとってかわるのだった。オリィーヴ。女のひとのまねをして言ってみたくなった。
「オリィーヴかあ。へえ」
「不格好ですが、ものはいいんです」
見入ってしまったのは女のひとの「オリィーヴ。」に反応したにすぎない。なのに「オリィーヴかあ。いいかもなあ」とまで口に出す始末だった。
イタリアのトスカーナで作られた、オリーブウッドのチョッピングボードのことである。たくさんの実を生み、その役目を全うしたのちいよいよ枯れてしまった木を使ってこしらえた。だけど、板材を切り出せるぐらいの太さともなれば、けっこうでかいのではないか。
「オリィーヴってそんなに大きくなるの?」
「はい、百年はかるく」
「へえ」
考えてみれば、イタリアでどれだけオリーブが大切なものか、想像に難くない。いたりあといえばおりぃーゔ、おりぃーゔといえばいたりあだ。木の一本一本が政府に登録され、つまり「国」が管理する。実をつけつづける間はたとえ所有者であっても勝手に伐採もできない。と、まあ、オリーブがイタリアでどれだけ重要なものか、女のひとが教えてくれたのだけど。私の中で「オリーブ」といえは、細長くスレンダーなイメージしかなかったのだった。
そういえばむかし、「重要文化財」に指定された古民家を取材して回ったことがある。たしかあれは、「重文」でありながら今も「住まい」としてちゃんと使われているところを見ていこう、そういった企画だった。そのうちの一軒、とあるワイン工場のそばに「藁葺きの家」があって、
「たとえ持ち主でも、無闇にタテツケひとつ直すこともできないのよね」
と、「絵になる」と踏んでいた企画の身勝手な方針とは裏腹の、第一声を聞く羽目になった。
「エアコンつけるにもお伺い立てなきゃいけないんだから」
がたがたっ、とすきま風の鳴る窓を、主は恨めしそうに振り返る。が、「しょーがないから、建てちゃったわよお。だってじぶんちなのに気を使うのもへんでしょ」と、主の視線を辿るとそこには新しい家が建っていた。
〇 花茶碗
〇 丸急須 横手
急須の力
母がお茶を入れるときの段取りはこうだ。茶筒の蓋に目測でとんとん、と茶葉を載せ、そのまま急須にざっ、と音を立てて放り込む。次に魔法瓶でじょーっ、とお湯を注いで、すかさず蓋をかちゃん、と閉める。食器棚からがちゃがちゃ、と湯呑みをふたつ取り出して、テーブルにかたん、と置くと、思いついたように急須を掴んで並んだ湯呑みの上を行ったり来たりさせて分け注ぐ。傾けた注ぎ口からお茶がしたたって、テーブルの上にはみるみるうちに水たまりができている。それでも母はお構いなし。ひとつ私のほうへ差し出すと「で、今日は学校どうだった」と切り出すのだ。聞いてなどいない。口が言っているだけだ。そばにある布巾で水たまりを拭きはじめる、急須のお尻を拭ってやる、自分は味わう間もなくさっさと仕事場にひっこっんでしまう。高校を卒業するまでは、おおかたそんな「お茶の時間」が繰り返された。母は洋裁をなりわいにしていたから、お茶を注ぐ手にはいつも腕時計みたいにゴムバンドの針山を巻いていた。私はそこに刺さった待ち針の数を数える。ちくちくちくちく、ちくちく、と。
ひとりで東京に出てきてからお茶は飲まなくなった。自分で入れるなんて考えもおよばなかった。どことも知れぬ茶葉と、どことも知れぬ急須の類いの、いつもとかわらぬあの「お茶」が好きだった。となりからは、裁ち鋏を滑らせながら布地をしゅーっ、と切る音や、ミシンをばたばた踏む音が聞こえた。置きざりの湯呑みに茶柱が立っているのをみつけて、じわっ、ときたこともあった。
あるときわが家の急須が変わっていることに気がついて、妻の人差し指が蓋のつまみを押さえているのを見ながら「おい、いつ買ったんだ」と聞いた。お茶がしずかに私の湯呑みに注がれていき「おい、いつ買ったんだ」とまた聞いた。お茶がしずかに妻の湯呑みに注がれていき、並んだ湯呑みの上を行ったり来たりさせるのを見ながら、私はあのころのことを思い出したのだ。妻はひとつ私のほうへ差し出すと「いつもよりおいしいよ」と言った。湯呑みを両手で包んだまま、私の顔をじっと見守っている。テーブルの上には水たまりひとつない。きれいなものだ。すると、ちくちくちくちく、ちくちく、と不意に胸が痛みはじめた。
〇 プジョー社コーヒーミル「G1」
そばにある日用品が語りかけること ―1―
かみ砕いてひとに伝える。私はどうやらそれが下手らしい。思ったままコトバを投げかけて、そのストレートなものの言いようが相手を黙らせるのだ。
ストライクがなおさらひとを傷つける。まっすぐのサインは私の見まちがいだと言われる。あげくにはただの暴投呼ばわり、私のコトバはてんてんと転がったまま、もはや拾うものもいなくなる。相手はどんどん遠ざかっていき、それでもあきらめない私は肩を痛める。若いころは、それでもいいと思った。直球のなにがわるい、かみ砕くことはへりくだることのように思えてならなかった。感情のおもむくままひとに伝える、それのどこがいけないのだ。思ったことを言う、それのなにがいけないのだ。と、そこで手が止まった。
「コトバヲエラベ」
ぐるぐるハンドルを回しながら、どこからともなく声が聞こえた。手は時計回りに進むが、私は遡って自分を見つめていた。
店で選んだ豆が私の手もとで砕かれて、さらさらになる。ミルの振動が香りを伴って、私をゆさぶる。
私は「ミルの時間」が好きになりはじめた。そうだ、もっと「ミルの時間」を作ろう。その分コーヒーの杯は重なっていくが、かみ砕いていく人生の到来だ。ちょっとおそいか。
〇 丸灰皿 鋳鉄
鋳鉄の灰皿のこと
タバコは、この世の中、とかく分がわるい。と、書きはじめる。さて困った。私は生粋のアイエン家だし。いやいや気にすることはない、タバコのどこが……、と、自分に言い聞かせるが、それも犬の遠吠えにしか聞こえないのだろう。私の銘柄は、エコー。跳ね返ってくる言葉は、昨今ますます辛辣である。
タバコを持つことは、もはや世間を逆さまに歩かねばならない。野良の犬のように舌を出して、灰皿の在処を探す。まんざら大げさでもないようだ。禁じられた遊びのように隠れて吸おうにも、その隠れ場所がなくなってゆく。せめて家で、が、妻に「しっ、しっ」、ベランダの方へと追いやられる。いくらなんでも冬の日は仕事場に退散するけれど、立ち上がる煙を見るにつけ、これはいったいどこに向かうのだろう、ドアの隙間をつたって居間のほうへと目が向けば、どうにも後ろめたい気がつきまとう。
先日、それでも灰皿を買った。犬が自ら餌の皿を買うようなものだ。鉄製である。火に近いものだから鋳物の灰皿などめずらしくもないが、これは形が気に入った。こじんまりとまとまったふりをして、掴めばずしりと重い。すると、あることに気がついた。いや、気がついてしまった。持ち上げるたび、ああ、私は今からタバコを吸うのだな、とひとつクッションを置くようになった。重しの体でクッションでもあるまいに、だけどこのワンクッション、「ずしり」が実にくせ者なのだった。「吸うのか?ほんとうに吸うのだな?」と、津を問うように自問する羽目になる。どこか覚悟めいたものまで芽生えてくる。そうは言っても結局のところ、吸う。が、そのひんやりとした鉄の感触と量感が、「なにげに」吸っている、なんてことをもう二度とさせてはくれなくなってしまった。ひいては「また吸ってしまった」と、ある種ジクジたる念が煙より先に立ちのぼって、ため息混じりになる始末だ。これじゃまるで足かせだよ、と、だからやめられるかもしれないな、なーんて口が裂けても細君には言わないけれど。
砂肌の鉄の風合いを殺さずに錆を抑える効果を出すため、試行錯誤の表面処理を施してあるそうだが、それでも鉄というものは錆びてゆくらしい。お店のひと曰く「それがいい」のは、サビがワビになる茶人の如き観念だ。使い込んだ道具への愛を言っているのだ(私は自分に力説している)。つまり使い込めば味がでる、というわけだけど、それはタバコをやめないということに限りなく等しい。妻にはとうてい理解できない、それこそ遠吠えだろう。
夜、マフラーを巻いてベランダに出た。鉄のかたまりは持って出たが、タバコを忘れていた。
「ごはんよ」
と、声が聞こえて、私は犬のように返事した。
灰皿は安住の地を求めて、重たいカラダを今はとりあえず室外機の上で休ませている。
〇 2011 CALENDAR
カレンダーのこと
ある哲学者がこんなことを言っていた。「他者の存在は私の自由を束縛してくるものだ。しかしその自由を支えてくれているのも、その他者にほかならない」
とおいむかし、机の前に分厚い学習参考書があって、その背文字にはでかでかと『自由自在』と書いてあった。私はその名前に圧倒され、何度となく金縛りにあったものだ。「自由」どころか本を掴むこともなく、沼に沈む夢ばかり見ていた。だからいまだに、「自由」とか、「自在」とか言われると、いたたまれない気持ちになるのはそのせいかもしれない。今、目の前に「自由」が差し出されたとしても、私はやっぱり呆然と立ち尽くしたまま何から手をつけていいかわからなくなるのだろう。まして「自在」などという腕もそう簡単に身に付くものでもない。そんなことはわかりすぎるぐらいわかっている。私はそもそも「自由」というものが、私の手に負えないぐらい大きいものだと思いこんでいる節がある。これがいけないらしい。妻はそれを「期待しすぎなのよ」と笑う。
ここに、宛名のない封筒がある。封を切ると、カレンダーがふたつに折り畳まれていた。最初はそのまま切手を貼ってトモダチに送ろうと思った。だけど送られた側は「わたしの一年を束縛でもする気?」なーんて言いはしないだろうけれど、結局自分で開けてしまった。
私はなるべく紙とペンでモノを書くが、その紙というのがチラシの裏である。いつでもポケットに突っ込んでおけるよう、チラシを四つ切にして使う。まっさらな大きな紙を前にするとやっぱりどきどきするし、はなから何も期待できそうにないその程度が私にはちょうどいいのだった。ゆく年の書き散らかしたチラシの山のてっぺんにそのカレンダーを載せてみる。ぴったり大きさがいっしょだった。
今の時代、カレンダーを「自己管理」に使うかどうかはさておいて、何かの折りにつけ、気づけば目を向けている、縛られたくないくせに時計といっしょ、それがカレンダーだろう。あれ?今日は何曜日だっけ、締め切りまであと何日だっけ、はたまたそこに「大安」なんて書かれていれば、ほっ、とすればよろしい。
しかし、このカレンダー。カレンダーがカレンダーじゃなくなっていることをどうやら望んでいるようだ。私は眺めているうち、そんなような気がしてきたのだった。
「カレンダー」という名前も、メモ帳みたいな大きさも、これは私の「自由」を束縛する。しかしその「自由」を支えてくれるモノ、なのかもしれない。