本を作るということ
弟から、家のことを題材にして本を作ってみる、と聞いたとき、ああ、お前のほうがとうさんの背中にぐんぐんちかづいていくのだな、そう思ってふと、私は遠くにいるような気がした。
私がまだ小さかったころ、父に、「ぼくがもし小説とか書くようになったら本にしてね」と言ったことがある。そのことを急に思い出したのは、父が倒れたときだった。父がなんと答えたかは覚えていないけれど、病室で眠っている父の手を握ってみたときそのことを思い出したのだった。すっかり忘れていたことばなのに、それ以来、紙に書かれて貼られたみたいに、ちがう方向を向いていた私の目の前でひらひらめくれあがっている。
父は製本屋を廃業した。工場も手放した。彼が愛してやまなかった、本を作るということが、彼の手からぱらぱらと滑り落ちて、風に飛んでいった。
二十のとき、上京する私に父はこう言った。「夢ばっかり追っかけて、のたれ死ぬんじゃないぞ。原稿用紙は食えないんだからな」あのとき父は断裁機で紙を切っていた。背中を向けたまま、大きな紙の束を切り分けていた。
父は紙を食って生きてきたのだ、そうおもう。
私の弟であり、美術家でもある文穂が、父の工場のなくなってゆく過程を見つめながら、散っていく紙の記憶を捕まえた。束になったそれらの紙片を自らが製本、私は小さな文を寄せた。立花文穂の最新作品集「風下」。本を作るということが、頁を開くと匂ってくる。
この本は
作品名 風下
作 立花文穂
タイトルと文 立花英久
製本 立花製本(広島県広島市)
印刷 中本本店/佐々木活字店
発行 DNP文化振興財団/広島 球体編
協力 バーナーブロス
仕様 200×245mm、糸かがり綴じ104頁、
カバー付、貼込図版有
価格 4,400円(初版限定350部)
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