反復と加減
父は製本屋だった。私がまだ、いわゆる子供のころ、工場を手伝うことがままあった。丁合いを取るのがおもだったが、あまり好きではなかった。機械の音がうるさいし、機械がやっているそばからその数十倍の手作業の煩わしさがいやだった。父の手はそれでも捗っていた。同じ動作が同じ本を拵えつづける。べつに捗っていたわけではないのだ、手を動かしつづけることがあたりまえのことで、それが父の生活だった。そのころは、そういった生活にいっとき付き合わされているだけだ、そう思っていた。大した日数でもないのに、同じことを繰り返すことを強いられている、そんなふうにしか思っていなかった。どうにも煮詰まったときはトイレにしばらくこもったこともある。こうやって時間がたてば、何も見ていなかったことぐらいは分かる。父の毎日は私の毎日で、父の生活は私の生活でもあった、ということを分かろうともしていなかった。
昼休みに父はインスタントコーヒーを入れる。瓶詰めの顆粒だ。蓋を開けるとどんなに中身が減ってもあの匂いがする。あれは香りではなく、押し付ける匂いだった。糊の匂いのする工場をますます際立たせるのにうってつけだった。よく憶えているのはそのときの父の手つきだ。蓋を開け、その蓋の裏の縁に、コンコン、と瓶を傾け軽く小突くようにして二回当てる。すると瓶の中から顆粒が流れ落ち、今度はその蓋の顆粒が二つのカップの縁にコンコン、コンコン、とそれぞれ等分に分けられる。それから魔法瓶の湯を注ぐ。どこを取っても同じ加減である。私はうつむいてじっと顆粒の溶けていくのをながめる。いつも同じ、同じだから味も同じ、そうやって昼休みも同じ繰り返しだった。きまって同業のおじさんたちが入れ替わり訪ねてくる、それも同じ。父のコーヒーを必ず飲む、それも同じ。コンコンと、コンコンと飲んでいる。どう見ても暇つぶしにちがいなかったが、それも繰り返される。あるとき、そのおじさんのなかのひとりから、父の若いときの話を聞いた。父は「レギュラー」という渾名で呼ばれていたと言う。真面目でこつこつと、間違いのない男。私はそういう父がつまらないと思うのに、そのおじさんはそれこそコンコンと語ってみせるのだ。「おやじさんの仕事を見れば分かるだろ。仕事というのは出来上がりのことだ」父は奥の部屋で背を向けて、コン、コン、と紙の束を揃えていた。
父が拵えた本をたまに手に取る。これと同じものが今もそれぞれどこかにちゃんと壊れず存在しているのだ、と思っている。それが人を介して同じものではなくなりながらも等しく残っていることを思う。病気で倒れ、手が動かなくなってしまったとき、父は千切られた。徹底的に。そして決壊した。無口な父からあのときばかりは粗い粒の止めどなく流れ落ちるような音がずっと聞こえつづけていた。そして、消えた。
私は本を手に取るが、その私の手もとに、コンコン、と何かを言う。同じものを作る美しさを、遠くに思う。
この茶匙は
銅器である。銅は抗菌力があり茶器に適す。この茶匙は銅地金に錫めっきを施してある。平型と梨型。もちろん仕事は丹念である。同じ素材で茶筒もある。大か中なら、平型に限ってだが茶筒の中蓋の上に載せることができ、上蓋を閉められる寸法に設えてある。茶匙と茶葉は別々に収められ、茶葉をいためることがない。(茶筒の詳細はこちらまで。)梨型は、平型に比べて深い作りだ。茶葉に限らず、たとえばコーヒー豆や調味料など、目安のスプーンとしてもお使いいただける。平型か梨型か、匙加減でお選びいただきたい。
商品名 銅器/茶匙
素材 銅、錫めっき
製造 新光金属(新潟県燕市)
制作 東屋
寸法 平型 長70× 幅35× 高5mm
梨型 長90× 幅44× 高13mm
価格 平型 1,540円
梨型 2,640円
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