宿る
手の触れることの、おどおどしてしまうあの感覚を忘れて久しい。女の子の手のことである。目の前でしゃべることすらできなくなってしまう、だらんと下がったその手を取りたい、そう思いながら、その手の甲に隠されてしまっている手のひらの、きっと柔らかいだろう感触を想像して、ぼーっと下を向いてしまっていた。赤いミトンをした日でも、その内側の手が赤くなっているか、気になっていた。寒いね、と言って、両の手をこすりながらそこに息を吐く、文庫本みたいにすこーし開いたその手のなかにどんなお話があるのか、読みたくてもそうかんたんに見せてくれなかった。「読めない」のが、あのころの大切な物語だった。
がさつになんでもかんでも触って、音を立てて置いて、また次のものをひょいとつかんで持ち上げて、ほんとうに目はこころは見ているのかも疑わしい、と考える時間も持たせてくれないまま、またカタンと置く音がひびく。そのひとのせいではない。その「物」に、なにか力が足りないのではないかと思うことがある。その力は、なんという言葉が相応しいのか、ずっと考えている。「物語」がないのだろうか、そもそも言葉を持っていないからだろうか、気楽とは手軽とははたして力なのだろうか、とか考えている。里見弴が「『たい』を『たい』せよ」と言ったことを思い出す。互いに「触りたい」の「たい」のところに強調を忘れてしまっている、そんな気がする。
この徳利は
萩焼である。山口の大道土を主成分とする素地に石灰釉を施したものだ。と、そう簡単に要約できるものでもないが、低温でじっくり時間をかけて焼くため、焼締は弱く、その分ざっくりと柔らかい印象で重宝されてきた伝統がある。が、この「hagi」と名のつくシリーズは、従来のそれよりも焼締を強くし、徹頭徹尾「フォルムを生かす」ことに努めた。高温で、およそ1,290度にまで上がれば「萩」特有の赤味を消すおそれもあるが、軟調で土味のまま、たとえば「雨漏」と称される一見経年変化の景色として愛でられるものでも、そこからカビを生じさせてしまうただの汚れとなるのなら、十分焼き締めることで、窯変による釉美こそを保つこと、それを美しとした。
1,200度後半、それでもなお「萩」の持つ特異な釉調をこしらえる。それには、窯の中でどこに配置して焼成するのがよいか、温度管理が試される職人の技がある。あるいは、底部(畳付)にもあえて施釉する。器全体に釉を掛けて焼成するのは手間のかかる仕事だが、膳やテーブルを傷つけないよう、こころ置きなく万事に使ってもらいたい思いを込めてみる。
萩の窯元の底力が、萩の現在形を強く輪郭をもって描き切る、長くお付き合いしてほしい「hagi」シリーズの酒器である。
商品名 徳利(小、「hagi」シリーズ)
素材 萩土、石灰釉
製造 大屋窯(山口県萩市)
デザイン 猿山修
制作 東屋
寸法 径80mm × 高115mm
容量 約180ml
価格 5,940円
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