
小さな食卓
ふあふあと、泳ぐ箸は行儀がわるい、と母に叱られた。ぱしんと手をはたかれて、箸が飛んだことがあった。父はなにも言わなかった。ただ黙って母の料理を食べていた。なにも言わないのがいちばんこわかった。そんな父を思い出すときまって『小さな恋のメロディ』のワンシーンが出てくる。食卓で主人公の少年が父親の広げて読んでいる新聞に裏から火をつける。燃え上がって穴があいて真っ赤な顔が向こうに見えて、それからが大騒ぎ。いちどでいいから、やってみたかった。おこられてもなんだか楽しそうだったし。小さいころ父といっしょに見に行った映画だった。ほかにもっとちがうのがあったんだろうに、それでもわたしの好きな音楽や映画はあそこらへんから影響を受けたのだと思う。そういえば、父がちゃぶ台を根こそぎひっくり返したことがあった。わたしは箸とお茶碗を両手に持ったまま、さいしょはなにが起こったかわからなかった。ごはんがお茶碗の形のまんま、ぼてっと畳の上に落ちていた。母が声を出して泣いた。母が泣いたのを見たのはそのときがはじめてだった。理由は忘れた。きっと大人の事情だ。ひざまづいてごはんをお茶碗に戻している母を見て、わたしも泣いた。あのころの食器がまだ実家にある。父の大振りなごはん茶碗もあった。当時、食卓には迷うぐらいのお皿なんて並んでもなかった。箸が泳いだのはきらいなものしかなかったからだ、きっと。小さな食卓だった。父の好物だった魚が多かった。父の魚の食べ方はそれは見事だった。骨が魚の形を保ったまんまそれもしずかーに横たわっていた。それを見て見ぬ振りをするのが好きだった。わたしは魚はきらいだ。ましてやきれいに食べ終わったこともない。そこは父に似なかった。父も母も取り立てて言うでもなかった。ようは残さなきゃよかったのだ。とり皿の部類なんてなかった。必要もなかった。あのころを思うと、「とり皿」「とり鉢」なんて聞いて、いまでもちょっと贅沢な気がする。
この皿は
「とり皿、とり鉢。」と申します。轆轤でぐるりとこさえた、まずは懐の浅ーい「とり皿」は。おひたしや漬物をちょこんとのせる銘々皿として。あるいは塩辛、つまみ、酒のあてになんぞ。ときに醤油の受けにだってちょうどよい。いっぽう懐の深ーい「とり鉢」は。鍋物のとり鉢、そりゃもちろんのこと。締めの雑炊にもうってつけ。小腹が空けばチャーハン、スープ。日課のヨーグルト、果物だってお引き受けいたします。食材が、ぱっ、と映えるようにと黒(海鼠釉)、白(柞灰釉)をご用意。「とり皿、とり鉢。」ってお声がけくださいませ。両者ともども朝昼晩問わず、いつなんどきなーんにでも駆けつけます。だって「ご馳走」ですもの、ね。
商品名 とり皿、とり鉢
素材 黒 黒土・海鼠釉
白 天草陶石・柞灰釉
製造 光春窯(長崎県波佐見町)
制作 東屋
寸法 とり皿 径120 × 高42mm
とり鉢 径120 × 高54mm
価格 とり皿 2,750円
とり鉢 2,970円
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