
四、梅干をめぐる話し 其のニ
海外旅行に梅干をもっていく人がいるくらい梅と日本人は切り離せませんが、梅は日本列島原産ではないようです。中国中南部の長江流域起源で、梅の実が薬用として使われたのは三千年以上前からとされます(「神農本草経」に記載)。日本では弥生時代前期の遺跡(大阪の亀井遺跡)から梅の自然木の一部が出ています。
事実かどうかは別としておもしろい説があるので私見もまじえてご紹介します。中国中南部の長江流域は稲作発祥地でもあるので、梅は稲作といっしょにやってきた、という説です。ご飯に梅干、のコンビですね。ただしその稲は縄文前中期の陸稲ではなく、水田でつくる稲です。土木技術をもった人たちが、旅路や異国での暮らしのために、薬となる植物をたずさえてやってきたのです。梅の種子は動物にくっついたり鳥の糞で運ばれはしないので、人が運んだ可能性が大きいのです。日本列島が大陸と陸続きでなくなってから来たとすれば、梅の種子か苗を舟で運んだのでしょう。
もしかすると、梅がなかったら大規模に水田をつくる稲作は日本列島に伝わらなかったかもしれない、という想像もふくらみます。慣れない土地で肉体労働をしながら生きていくには梅の実がどれだけ助けになったか。そして先住民たちはこの酸っぱい薬をもった渡来の人に一目おいたでしょうし、もしかすると梅の有無で力関係が決まったのかもしれません。
これほど酸度の強いものはなかなかないので、梅をもった人は強かったでしょう。それは梅を食べて体が丈夫というだけではありません。今ではもっと酸度の高い薬品がありますが、かつては梅酢が化学変化の促進に使われました。今でも銅の着色に梅酢は使われていますし、烏梅(薫製梅)は紅花染めの発色剤にされます。口にする薬用以外でも金属加工や染色技術にも欠かせないものだったのです。当時の先端技術の重要な材料というわけです。
実用植物である梅は、花のかわいらしさと芳しさも持っています。また、小さな木のわりに長生きです。天は梅に二物以上をあたえ、私たちはその恵みを得ました。今でも梅は暮らしにかかせないものです。 (石田紀佳 手仕事研究)
参考文献
「梅1」「梅2」有岡利幸 法政大学出版
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