掛け替えのない人
替わることのできない人が、私にはどのくらいいるだろうか。父や、母や、友や、と書けば、その順序に戸惑い、親や、妻や、と書き直し、兄弟を付け加えれば、友は押しのけられ、もうずいぶん前からするりと衣桁から滑り落ちたタオルのようになっていた。
私のいなかには「相生」という橋があって、ちょうど真上でそのむかしに爆弾が炸裂した惨事の中心「爆心」である。七十年が経った今、それでも頑なに紐帯の役目を担いつづけ、此岸から彼岸へ、あるいは彼岸から此岸へと、ふたつをひとつに固く結びつけてくれている。帰ってくれば、いつもその橋の歩道の中間部に佇み、ドームを左手に欄干にもたれたまま、誰を待つわけでもなく中州の先の「平和」を眺め、それでも亡父かなんかが右岸の向こうからやってくる気配に身を置いたりする。
「ピースを失えばもはやパズルの体をなさない」「もう友だちは新しくいらない」「からだは堪えているのに心が追いつかない」私は足もとに落ちたタオルを拾い上げて「帰省することがせめての空白を埋めてくれる」なんて、それらはもっと以前の若々しいころの、もっともらしい科白で、あっけなく生温い風に飛ばされるだけである。
路面電車のレールは光りの線を貫いて、川面も、夏の緑も、きらきら輝いている。私はタオルを一息振るい、汗を拭き、首に掛け直して歩きだす。振りかえると妻が人を追い越しながら微笑んで私を追ってくる。
〇 衣桁
〇 自在鉤
自在の鉤
小沼丹さんのエッセイに、建て増しした書斎の片隅に炉でも切ってみようか、という話があった。そのなかに「自在鉤」が出てくる。拵えかけの炉に、ちょうどよさそうな自在鉤を道行きの古道具屋で見つけたが、連れの友人に先を越されて買われてしまう。ところが、あとからその友人宅を訪れた際、件の自在鉤は別段使われている様子もなく、端のほうへと追いやられている。友人云く、ながめているだけでいい、のだそうだ。だが、小沼さんはどうしても欲しい。そこはそれ、言葉巧みに友人を説き解し、まんまと自分のものにしてしまうのだった。モノはあるべきところにあってこそ、何よりそれが自然の姿である、そんなようなくだりにおぼえがある。
向田邦子さんも、他人の万年筆を気に入れば、「ちょうだい」の一言で、するりとその人の懐に入るなり、ちゃっかり自分のお気に入りにしていたそうだ。川端康成さんの駆け引きにいたっては飄々としている。欲しいと思うモノは、まず借りる。そのまま自分の家に持ち帰って、あとは言うまでもない。
じわりじわりと自分の手許にまでたぐり寄せる、それともその場ですかさず懐に入れてしまう。どのみち相手の出方次第ということか。「自在鉤」ではないが、引っ掛ける寸法はいくらでもあるわけだ。
所有者であるはずの相手からすれば、どうやら当人らに共通する「言葉の魔術」に引っ掛かってしまうらしい。口車に乗せられて、さも元来から当人のモノであったかのような錯覚におちいるのだろうか。相手にとって当人が気のおけるニンゲンであれば、「いいよ」なんてつい言ってしまうのはなんとなくわかる。懐が深いのか、浅いのか、さてどっちだろう。当人の、モノを見る目がきらきらしているのをひとたびかいま見ると、その目に吸い込まれるようにして快諾のほうへと導かれてしまう。モノに対する得も知れぬ熱量に浮かされて、ほだされるのかもしれない。それは当人らの性分と品性、眼力、にかかっている。もっとも当人そのものに惚れてしまっていては、もはや諦めるしかほかない。所有していたそのこと自体をあたかも賞賛されたような気分に向かわされて、恍惚としてしまう。いわば眩暈に近い。いずれにしろ、そこにはモノの外にきちんとした気持ちの交換があってこそである。そもそもモノは積み重なった記憶である。たとえ新しいモノであっても、綿々と語り継がれるであろう運命を背負っていると予感するなら、それもまた記憶の装置である。そのモノを挟んで、ニンゲンとニンゲンは交感する。そこに互いの支障も遺恨も残されない。その「間」でモノは現前に光って見える。
さて、私は誰かから、まんまと自分のものにしたというモノが手許にあるか、と考えてもみたが、どうも思い当たるものも、見当たるものもない。「ちょうだい」なんて言った試しもない。「貸して」と言われれば、それが渋々であろうと貸してしまう性分だが、そのまま返ってこなかったものはおよそ見当がつく。思い出せば未練がましくなるが、これもまた性分である。どうやら私は先に述べた主たちの、向こう岸に立っているようである。となれば、私は作る側にはいないのではないかと、はっとするのだった。いやはや「自在鉤」から、なんとも思いもよらぬモノが引っかかってしまった。
ちなみに、小沼さんの炉は、さいしょはその前でひとり酒も飲んだし、たまに友人と挟んで酌み交わしもしたが、のちに炉は塞がったまましばらく、自在鉤はその頭上で宙ぶらりんであった、らしい。
〇 踏み台
高いところにあるもの
まだ小さかったころ、父の背中に乗ってビスケットの缶を箪笥の上から取ったことがある。まんなかに穴のあいたビスケットの写真が印刷された、覚えのある缶だったので、私は父にビスケットが欲しいから取ってくれと頼んだのだった。けれども、自分で取ってみろと言われて、かんがえたあげくに箪笥のひきだしをあけ、はしごみたいによじ上ろうとしたのだけれど、あぶなげだったか、見かねた父は四つん這いになってくれ、けっきょく私は父を踏み台にしたものの、それでも手が届かないからしまいには泣いたのだった。となれば、箪笥の上からビスケットの缶を取ったわけではないことになる。それでもその缶の中身は今でもおぼえているのだ。開けると色とりどりの糸がしまってあったのだから。
と、そんな小さかったころの話を事細かにおぼえているか、といえば、おぼえているわけがない。天井に近いところにビスケットの缶がおさめてあったことも、たしかにあの中に母が洋裁で使っていた糸が入っていたことも、父の背中を踏み台にした足の裏の感触も、どれもきちんと記憶のうちにある。だから、それらをつなげてみると、またたくこんな話が思い浮かんだ、というわけだけれど、それでもあったか、なかったかが、作り話のはずなのになぜかあやふやになりはじめる。なるほど記憶の断片というやつは、あらゆるところから不意に磁石みたいに私のほうへところころ近づいてきて、かちゃっ、かちゃっ、と引っ付くようにできているのだろうか。それこそそれらをビスケットの空き缶かなんかにしまっておいて、忘れたときのために箪笥の上にでもおさめておけばよいのかもしれないけれど、それもまた、大なり小なりきっと記憶の断片と化す、そうにちがいないのだ。
それにしても私は、父を踏み台にして、それでも足らずに背伸びまでして手を伸ばしたという、たしかに記憶の糸口はつかんではいるものの、はたしていったい何をこの手につかんだのか、いっこうに思い出せないのだった。
この踏み台は
「四方転び」という構造をもった踏み台です。「四方転び」とは、四本の脚をすえ広がりに張り出させることで、安定し、重さにも耐えうる、それからなんといっても倒れにくい、まさに踏み台としては理にかなったかたちのこと。
樹齢二百年以上の、木目の詰まった貴重な木曾檜を無垢のまんまでこしらえたので、手入れをしながらご愛用いただければ、永ーく高ーいところにまで手が届く、これぞ踏み台のカガミ、かもしれません。
そもそも四方転びの踏み台は、棟梁が施主に、落成祝いとして贈るものだとききます。「すえ広がり」の置き土産なんて、「家」のお守りみたいで、こころにくい演出。しかも棟梁がこしらえるのではなく、大工としてはまだ半人前にもみたない、本番にはまったく出番のなかった弟子に、あえてその複雑な構造の「四方転び」をこしらえさせ、その初仕事を施主への贈りものとする、師弟のあいだの厳しくもこころやさしい教育の一環でもあったのです。
木曾檜の香り、頑なな構え、ぬくもりのある由来を足場にして、すえ永くお使いいただける、それがこの踏み台です。
商品名 踏み台
素材 木曾檜
製造 橋渡弘幸(長野県下伊那郡)
山一(長野県木曽郡)
デザイン 猿山修
制作 東屋
寸法 幅400mm × 奥行320mm × 高450mm
耐荷重 130kg
価格 49,500円
〇 ACTP03_机
妻の
つくえのつかいかた
妻は私とひと悶着あると、ひとしきりたって紙と鉛筆を引き出しから出し、机に向かうと背中を向ける。いつものことだ、と思いながらも、たとえば言い足りぬコトバは飲み込んだまま、なぜそうも冷静になって背中を向けていられるのか、こちらのほうの気がおさまらなくなる。彼女はどうやらさほど気にやんでいる様子でもない。私のほうが言い足りぬコトバでカラダは破裂せんばかりである。正せば、そこは私の机、いうなれば私の陣地、本丸である。腑に落ちない。それがまた癪にさわる。しかし、声を出そうにもなぜか胸に詰まって堪えるのは、彼女の背中を見るにつけ、私の背中のほうが異変をきたすからだった。
平時、妻に尋ねてみたことがあった。いったい何を書いているのだ。すると彼女はこう答えた。わたしのほんらいいちばんやりたいことを箇条書きにしてランクをつける、そうすると不思議に気がおさまっていく、らしい。いつも上位にあがるのはなんと「歌手」、とのことだった。カ、カシュ?「歌手」、と文字にすると、その字面といっしょにココロまで弾む、いやなこともとたんに吹っ飛んでしまう、机からはにょきにょきマイクが出てきて、彼女の背後にはビッグバンド、君は大好きなニーナシモンばりに、となれば、私はずーっともっと後ろのほう、裏方なのだな、きっと。彼女を照らすデスクライトがなんだかまぶしく見えてきた。目がくらみ、彼女の胸の内などさらにわからなくなる。けれどもわかっていることもある。そこはそもそも私のステージなのだ。「あら、最近ぜんぜんつかってないじゃない」と妻の台詞が聞こえてきそうで、またかきむしられる気分になる。
さかのぼって、今回の諍いの発端はいったい何だったのだろうか。妻は今や見えない客に向かって歌っているのかもしれぬ。つまらない強がりで、ほんとうに彼女が歌手にでもなったら、私はどうなるのだろう。いよいよ、裏方でもよいからここに置いてくれ、とスパンコールのドレスの裾にしがみついたりするのだろうか。その机、本、鉛筆だってノートだって、どうぞ自由に使うがいい、ぜーんぶ君のものだ。鉛筆が、からからん、と鳴った。それでも聞いてみたい、私の格付けは、いったいどこらへん、いや、何番ですか。
たまに男があたふたしてどうすればよいかわからないことになったとき、夜空を見上げたって私の星なんて見えやしない。そんな真っ暗なさなか、ふと男は女のほうを見つめる。するとほら、その目のなかに星がきらめいているのだった。とある作家に聞いたことがある。その女こそが、「妻」というものらしい。遠のいていく彼女の背中を想像すると、私の背筋は、ぞっ、とするのだった。