東青山


〇 米を研ぐ、炊く、蒸らす 4

2011. 11. 9  [虎の巻]
 

石田紀佳企画の米を炊く虎の巻、立花英久バーナーブロス

四、米研ぎにまつわる話し

 米の表面の糠が酸化すると匂いも食感も悪くなるので、研いで糠の部分を落とします。だから「精米したての米はあまり研ぐ必要はない。研ぎ過ぎるとかえって旨味がなくなる、栄養も減る」といわれます。たしかにそうでしょう。でも、ちょっと考えてみると、白米であればすでに胚芽の部分も大半の糠もとってあるので、白い糠の残りをとったところで、ものすごく栄養価が減るわけではありません。よく研いでシャキッと光らせてもいいのではないかと思います。それでも栄養のことをいうならば、玄米や三分つき、胚芽米を常食するほうがいいはずです。そしてたまに食べる白米は特別によく研いで銀シャリにする、という米食生活はどうでしょうか。白のまぶしさに目がくらみ雑味のない甘さにとろけます。これに憧れた先人の気持ちがわかります。
 ところで「研ぐ」とはそもそもどういうことなのか、と探っていくと、精米技術を極めていった仕上げの作業のようです。収穫した稲穂を脱穀して、籾すりをして玄米にし、その玄米を研いで研いでかぎりなく白くしていくのが精米です。今のように動力で精米できなかった時代には精白するのはたいへんなことでした。江戸時代の白米は今ほど白くなかったといわれます。玄米についている固い果皮はとれていても、その下の種皮はぜんぶとれていなかったのでしょう。塵などもついていたでしょう。だから研ぐというのは、食べる前にそのゴミを洗い流しながら、強く押し洗いしてより白くするところから始まり、その風味が多くの人の好みにあって、流行っていった……。ひとつの推測ですが、研ぐという動作ひとつをとっても、さまざまな文化的技術的背景がありそうです。
 最近のよく精米された白米では、あまり強く洗うと胴割れするので、やさしく表面だけをとるようにします。これには木の桶が最適です。昭和育ちの人では、子供の頃に最初の台所のお手伝いが、米研ぎだった、という人も少なくありません。すでに飯炊きは炊飯器になっていましたが、無洗米はなかったので、米は必ず手で研いでいたのです。
                                            (石田紀佳 手仕事研究)

 
石田紀佳企画の米を炊く虎の巻、立花英久バーナーブロス
 

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