東青山


〇 臨時休業のお知らせ

2017. 8. 18 [ニュース]
 

いつも東青山をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
勝手ながら下記の日程で臨時休業いたします。
9月1日(金)、2(土)、3(日)
9月9日(土)、10(日)、11(月)
ご不便をお掛けいたしますが、何卒ご了承くださいませ。




 

〇 立花英久の塑像展

2017. 7. 28 [イベント]
 

立花英久の塑像展

 立花英久の塑像展




2017年8月5日(土)から
8月14日(月)まで(会期中無休)
12:00~19:00


























styles of untitled / sculpture
hidehisa tachibana's exhibition
August 5 - August 14, 2017
12:00-19:00


 

〇 店舗営業についてのお知らせ

2017. 7. 24 [ニュース]
 

8月5日(土)より14(月)まで「立花英久の塑像」展を開催いたします。
つきましては、会場準備のため8月4日(金)は休業いたします。
何卒ご了承くださいませ。




 

〇 配達時間帯指定についてのお知らせ

2017. 6. 13 [ニュース]
 

いつも東青山をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
2017年6月19日より、ヤマト運輸の配達時間帯の指定枠変更にともない、
12時ー14時の指定枠を廃止、あらたに19時ー21時の指定が可能となりました。
ご不便をお掛けいたしますが、何卒ご了承くださいませ。




 

〇 因州和紙の便箋と封筒

2017. 6. 8 [日用品]
 

因州和紙の便箋と封筒

 手紙


 ブルータスを取ろうとして左手を差し向けたら、小口にかすめて中指の爪の生えぎわを切った。うすく血がにじんだ。ブルータスお前もか、そのまま陳列棚に戻した。ブルータスお前もか、なんてそのとき思ったかどうか、それとも今思いついて書いたのだったか、ひとつたしかなことはもうブルータスなんか立ち読みもしないし買いもしないということだったし、そんなことより、ケー君の顔がかすめたのだった、それだそれ。
 <お前も>の<も>というのは、そうやってほかの雑誌も読まなくなった、ということなだけだ、そんな些細なことであっさり何かをやめてしまう、そーゆーことがたびたびある。ケー君のことは<お前もか>そのものにかかっていてそこにケー君の顔が浮かんだことになる、だからといってブルータスがケー君のことではない。指を切った、何かが失せた、うん、たしかにそーゆー粗忽なやつだったのだ、ケー君お前は。ということはつねづねわたしが失せればケー君が現れるということか。たとえばコンビニの店員なんて、一リットルの水を三本買ってあいつそれを一つの袋に入れようとしていた、そこにケー君登場、でもよかったわけで、でも店員はケー君じゃない、ねえ、せめて二つに分けてよ、あたしが持てると思う?
 で足もとに二袋置いた。たとえばそこから指を切って、呆然となって雑誌の棚のガラス越しの通りを見たとする、するとケー君がこっちを向いて立っていた、それでもよかったわけだ、でもいるわけもなかった、だけどいても不思議じゃなかったではないか。あるいはとなりに来てあのころみたいに「もう帰ろ」って肩を揺すってくれたってよかったじゃない。指がひりひりする。
 手紙。ずっと取ってある。なかに写真が添えられていて、ともだちと三人で写っている。手紙は、ああそういうことあったね、おぼえがある、なんて言いながら読んでいる。引き出しの中に鍵があって、その鍵は前にあなたといっしょに住んでいたアパートの鍵で「これまずいんじゃない」と言ったら「そんなの、もうちがう鍵になってるよ。思い出だよ思い出」って言うから「あたしは持ってないよ、そんなの」そう言うとケー君は黙った。そのことを、あれは寂しかったな、なんて書いてあって、男はそんなふうにいつも鍵に執着して肝心の錠のことは考えてもいなかった。あのときなぜケー君の家についていったか思い出せない、あのときなぜひとの机の引き出しを開けたかも全然おぼえていない、だけど鍵は見たし触った。
 写真。わたしの顔があんまり乗り気じゃない。こっちを向いてはいるけれど不機嫌といっていい。香港に行ったのだ、四人で。けいこちゃんとその彼氏とケー君とわたし。けいこちゃんの旺盛な好奇心で(多分だけど)香港になっただけだった。宿泊先のゴールデンイーグルホテルの前で撮った、だけどケー君は写っていない、ケー君が撮影したから。わたしが持っているケー君の写真はもうこれだけだ。ケー君の写真、ってだからケー君は写ってないし。でも写真のわたしはケー君を見ている。ケー君は不機嫌なわたしを今も見ているということだ。わたしは失せる、ケー君になる。なんと。ひりひりする。
 こんなふうにあなたのこといくら書いたって、書かれなかったほうにあなたはいる。
 手紙だけ、引き出しに仕まう。

                                                            
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〇 定休日追加のお知らせ

2017. 6. 5 [ニュース]
 

いつも東青山をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
2017年6月より毎週火曜・水曜の定休日に加えて
毎月第3木曜日を定休日とさせていただきます。
ご不便をお掛けいたしますが何卒よろしくお願い申し上げます。




 

〇 東屋「夏のグラスキャンペーン」のお知らせ

2017. 5. 25 [ニュース]
 

東屋の「コップ」、「ステム」、「グラスシリーズ『BAR』」の各種商品を店頭にて定価の20%OFFで販売いたします。
また、ネットストアでは「カルヴァドス(グラスシリーズ『BAR』)」を定価の20%OFFで販売いたします。
店頭・ネットストアともに6月1日(木)12時から8月31日(木)19時までのご注文分に限ります。
この機会に是非お試しくださいませ。
「カルヴァドス(グラスシリーズ『BAR』)」のページはこちら。
(カルヴァドス以外のキャンペーン商品の通販についてはお問合せください)





 

〇 今年の新茶が入荷しました

2017. 5. 1 [ニュース]
 

今年の新茶が入荷しました。
季節限定の商品となりますので、この機会に是非お試しくださいませ。
詳しくはこちら。




 

〇 内子の和蝋燭と燭台

2017. 3. 31 [日用品]
 

内子の和蝋燭と燭台

 燭台


「記憶というには遠すぎて実感がない。遠いのではなく、奥にありすぎるのかもしれない」(保坂和志『カフカ式練習帳』より)幼年の遊びを思い出すくだりである。たしかに「記憶というのはそれを意識して引き出そうとするとこれが案外労力を使う」のだけれど、読んでいたらふと、蝋燭の火を持ってどこかに行こうとする暗闇の私の姿が見えてきた。ひらめきは電灯に喩えられるが記憶は蝋燭の灯火が似合いそうだ、なんてことも思った、はずである、だからまた読んでみたのだった。はたして前に読んだときいったい何を引き出そうとしたのか、そこまでのことでもなかったのかもしれない、立ち止まらず先に進んだのだろう、か。とある過去に火がつけばほのかにその周辺をも照らし出す。ならば歩き出してみようと思いは動くが、あるとき、引鉄が何んだったのか、もはや手には蝋燭の火だけ、一人取り残されたような、ということがよくある。
 むかし、舞台をこしらえたとき。女の人が蝋燭の火をかざして男に近づいてみるのだけれど、その男は記憶だった。記憶のなかの男は彼女にもう何もしてくれない、してくれたことすら思い出させてもくれない、してくれなかったことは思い出すもなにももともとない、それでも女は男に近寄ろうとする、があまりに奥にありすぎるのだ。男は消えかかる、が消えはしない。火はいつか消える、がまたつける。自分で吹き消すこともある、がまたつける。引き出すのは男の言葉ではなかった。自分の記憶である。狂うと記憶は妄想に引火する。ということを思い出した。その周辺もぼんやり明るくなりはじめる。吹き消した。
 夢は、なかなか思い出せない夢がある。目を閉じなおし、火を灯し、かざしてみても追いつかない。追いつかない、と書くのは、逃げるからか。好きだった女の人が出ていた、それは知っている。だからなおさら追いつこうとする、のは何んのためだろう。逃げるのは夢か、彼女か。ただ懐かしいからか。ぼんやりとは見える、のだけれど手が届かない、それがほんとうに彼女なのか、もわからなくなる。なのに彼女のことを思い出している。なにか大事なことを言ったような、だから彼女の声が先に思い出され、それは現実のあのときの返答のような気がするから、そうするうちにあのころのことをもっと思い出そうとしている。夢よりさらに奥である。
 小さいころ、ウィーン少年合唱団のリサイタルに行った。二列目の右から三番目の男の子の顔は今でも鮮明に思い出すことができる。彼は私よりも三つ年上で、当時パンフレットで見たことも憶えている。気になったのだ。何がだろう。誰と行ったかは思い出せない。なぜ今になってウィーン少年合唱団の、あの男の子が照らし出されたか。書いている私だけ年を重ねて火をかざしている。
 私は、過去の上に立っているのだ。一人である。それだけはわかる。歌は歌わない。歌い出すのは過去である。

                        
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〇徳利

2017. 2. 13 [日用品]
 

萩の徳利

 宿る


 手の触れることの、おどおどしてしまうあの感覚を忘れて久しい。女の子の手のことである。目の前でしゃべることすらできなくなってしまう、だらんと下がったその手を取りたい、そう思いながら、その手の甲に隠されてしまっている手のひらの、きっと柔らかいだろう感触を想像して、ぼーっと下を向いてしまっていた。赤いミトンをした日でも、その内側の手が赤くなっているか、気になっていた。寒いね、と言って、両の手をこすりながらそこに息を吐く、文庫本みたいにすこーし開いたその手のなかにどんなお話があるのか、読みたくてもそうかんたんに見せてくれなかった。「読めない」のが、あのころの大切な物語だった。
 がさつになんでもかんでも触って、音を立てて置いて、また次のものをひょいとつかんで持ち上げて、ほんとうに目はこころは見ているのかも疑わしい、と考える時間も持たせてくれないまま、またカタンと置く音がひびく。そのひとのせいではない。その「物」に、なにか力が足りないのではないかと思うことがある。その力は、なんという言葉が相応しいのか、ずっと考えている。「物語」がないのだろうか、そもそも言葉を持っていないからだろうか、気楽とは手軽とははたして力なのだろうか、とか考えている。里見弴が「『たい』を『たい』せよ」と言ったことを思い出す。互いに「触りたい」の「たい」のところに強調を忘れてしまっている、そんな気がする。


 この徳利は

 萩焼である。山口の大道土を主成分とする素地に石灰釉を施したものだ。と、そう簡単に要約できるものでもないが、低温でじっくり時間をかけて焼くため、焼締は弱く、その分ざっくりと柔らかい印象で重宝されてきた伝統がある。が、この「hagi」と名のつくシリーズは、従来のそれよりも焼締を強くし、徹頭徹尾「フォルムを生かす」ことに努めた。高温で、およそ1,290度にまで上がれば「萩」特有の赤味を消すおそれもあるが、軟調で土味のまま、たとえば「雨漏」と称される一見経年変化の景色として愛でられるものでも、そこからカビを生じさせてしまうただの汚れとなるのなら、十分焼き締めることで、窯変による釉美こそを保つこと、それを美しとした。
 1,200度後半、それでもなお「萩」の持つ特異な釉調をこしらえる。それには、窯の中でどこに配置して焼成するのがよいか、温度管理が試される職人の技がある。あるいは、底部(畳付)にもあえて施釉する。器全体に釉を掛けて焼成するのは手間のかかる仕事だが、膳やテーブルを傷つけないよう、こころ置きなく万事に使ってもらいたい思いを込めてみる。
 萩の窯元の底力が、萩の現在形を強く輪郭をもって描き切る、長くお付き合いしてほしい「hagi」シリーズの酒器である。

 商品名  徳利(小、「hagi」シリーズ)
 素材   萩土、石灰釉
 製造   大屋窯(山口県萩市)
 デザイン 猿山修
 制作   東屋
 寸法   径80mm × 高115mm
 容量   約180ml
 価格   5,832円


徳利   

 

〇 ワインクーラー

2016. 12. 27 [日用品]
 

木曽椹のワインクーラー

 空は青く明滅する


 駅前の巨大なクリスマスツリーが解体されている。夕刻その光景を見上げながら角打ちで一杯やれば終電である。電車は急行明日すら早く来る気がしていつの間にか近所の公園を歩いていた。家に帰ると映画は点けるが見ているようで寝てしまい明るくなれば今日がある。さびしくはないかと誰かの声が聞こえて歯ブラシだけがその声を打ち消すみたいにせっせと動いている。今日は休みだと思い当たればいつの間にか近所の公園を歩いていた。公園を抜けるとヘルメットをかぶった作業員が梯子にのぼって電柱の上にいる。その光景を見上げながら取り付けられるのは監視カメラだとわかってひとたび道行きを眺めると等間隔に梯子にのぼった人がつづいている。取り付けるということはきっと何かが起こりそうな予兆を意味するし何かが起こりそうな場所にカメラを設置するのは人である。カメラを見上げながらその先のずっと向こうには空があってこっちを見下ろしている。何かを映しては消してまた映す。もう僕らじゃない何かも映しては消してまた映す。


 このワインクーラーは

 見てのとおり木製である。木製がゆえに熱を伝えにくい。よって氷を溶けにくくして万事酒を冷やす。そのくせ持っても手は冷やさない。
 木材は木曾椹である。特段椹は水に強い。強いがただし留意を飲み込んでご使用いただきたい。まずは水を充分に吸わすこと。手始めに水を満たして置いておく。すると椹は膨らんで密になる。よって水漏れを防いでくれる。表面に水滴も付きにくくする。手間のかかる道具だが手間をかけて永くお付き合いできるすぐれものだ。水を吸ったり乾いたり。そうだ。生きている。道具も暮らしている。
 タガはめったやたらに外れない。が万が一はいつでもお声をかけていただきたい。お直しさせていただきます。

 商品名 ワインクーラー
 素材  木曾椹、銅
 製造  山一(長野県木曽郡)
 制作  東屋
 寸法  径186mm × 高230mm
 価格  11,880円


ワインクーラー   

 

〇 薬味寄せ

2016. 10. 31 [日用品]
 

竹の薬味寄せ

 部品


 誕生日の贈り物に妻からガットギターの弦巻きをもらった。壊れたまんまギターは放ったらかしになっていたのだった。さっそくドライバーで左右を外し寸法を見計らってネジ穴を開け直す。万事取り付けて、弦も張り替えた。
 チューニングしてみた。ぽろんと弾いてみた。壁に立て掛けてみた。真新しい弦巻きが金色に光っている。うれしい。多分放っておかれたギターよりもうれしかった。
 ひとは、新旧雑多な物語の寄せ集めでなんとか立っていられる。どれが「私の物語」だなんて言えそうにないし、「これが全部」と語れそうもない。
 立て掛けられたお前はどうだ。たとえば新調の気分とか。
 ギターを構え直して、運指の練習をする。クロマチック、ドレミ、コード、アルペジオ。もっと練習すればきっと「ギターは私の一部だ」なんて言う日が来るかもしれない。「どの口が言うの」と妻に言われるのがおちだけど。
 ともあれひとはずっと部品を必要とするものだ。何より贈り物が部品なのだった。ぽろろろろろん。


 この薬味寄せは

 すりすりしたあとの名脇役である。
 おろし金の上の生姜や山葵をどうすれば気持ちよく寄せ集めることができるのか。指先なんてもってのほか、箸にも棒にもかからない。そもそも「薬味寄せ」なんてなかなか聞かないけれど、ご家庭のおろし金とタッグを組ませてみれば一目瞭然である。
 すりすりしたあと、すみずみ箒みたいに寄せ集め、ぎざぎざの爪に絡みついたものも逃したりしない。理由は竹にある。実はこの「薬味寄せ」、茶筌(ちゃせん)からこしらえた。しゃかしゃか茶を点てるあれである。茶筌は、竹の皮を三十二本、多いときは二百四十本ほど細かく割いて穂をつくる。その工程で一本でも折れてしまうと茶筌の用は足さない。失敗作はあえなく燃やされるさだめである。そこに目をつけたのがこの「薬味寄せ」だった。失敗は形を変えると生き延びる。どこか教訓めいた話だけれど、その失敗を三つ四つに割き直し、穂先をすこーし整えてみる。竹ならではの腰の強さとしなやかさ、茶筌の本質をそのまんま引き継いで、生まれなおす。形態は機能に準ずる、というけれど、生まれは茶筌、名は「薬味寄せ」とあいなったわけだ。
 あると便利、これもまたほんのちっちゃな生活の部品なのだ。
 ちなみに、おろし金のお掃除にも一役買います。

 商品名 薬味寄せ
 素材  淡竹(奈良県生駒市)
     絹組紐(京都府宇治市)
 制作  木屋
 寸法  長80mm × 幅20mm
 価格  648円


薬味寄せ   

 

〇 姫フォーク

2016. 9. 29 [日用品]
 

真鍮のミニフォーク

 姫


 母はずっと「姫」と呼ばれていたらしい。伯母から「あの子は姫だからね」と耳打ちされたこともある。小さいころだったからそのときの状況は思い出すことができないけれど、あれはきっと嫌味だった、蚊を払うように耳はちゃんと憶えている。父からも生前「あのひとはむかしっから姫じゃけえのお」と呟かれた。このときのことは今も憶えている。母は石みたいに炬燵で固まっていた。だれとも目を合わそうともしなかった。ま、詳しい話はよしておくけど。要は、お転婆でわがままでそれでもまわりからは大切に扱われて、持ち上げられるままいつのまにか先頭を歩いている。そのくせだれかいないと何んにも務まりそうにない。そんな母が年を取っても姫でありつづけるのは、想像に難くないことだ。ひとはそんなに変わらないし年を取ればなおさらのことである。けれど、姫もからだが弱れば、お転婆はただの婆である。家から一歩も出ないとなれば、城の上にずっと幽閉されているみたいで悲しい。下から「姫、姫!」と叫んで、たまに窓から顔を覗かせる、ちょっと安心する、という繰り返しだ。遠いとなおさら姫の声はか細く聞こえる。
 この夏帰省したときに、朝、父の部屋からテレビの音が聞こえる。母は違う部屋でバラエティを見ている。「なあ、あっちテレビつけっぱなしじゃん」仏壇のあるその部屋を開ける。『題名のない音楽会』をやっていた。父が毎週欠かさず見ていた番組だ。線香の残り香を嗅ぎながら不意に、父がそこにいる、そこで聞いている、届いている、と、はっきりと分かったからびっくりした。振り返ると母はバラエティで笑っていた。
 あのとき、「たのんだぞ」とかたく握り返してきた手は「姫のこと」に違いないと今になって思い返すのだ。「たのんだぞ」なんてありきたりだけど実際言うんだ、って思ったよ。父の写真の顔が姫を目で追う爺のそれに見えた。


 この姫フォークは

 ただならぬフォークです。あるときは黒文字のように、あるときは爪楊枝のように。けれども心地のよい重みが、口に運ぶたんびクセになる。箸が止まらなーい、ならぬフォークが止まらないのだ。
 素材は真鍮。使い易い形を見つけると、それはフォークの原形、ヨーロッパの昔むかしに還っていきました。洋のようで和の面構えにもなる。小さいけれどやっぱりただものではおわらない。

 姫、ヒメと 爺が呼ぶ声 秋の口

 和菓子に果物、チーズやオリーブなんかにも合うあう。8センチちょっとだけど、ながーく使っていただけるその名も「姫フォーク」。くれぐれもどこに行ったか探さぬよう、目のつくところにお見知り置きを。

 商品名  姫フォーク
 素材   真鍮
 製造   坂見工芸(東京都荒川区)
 デザイン 猿山修
 制作   東屋
 寸法   長87mm × 奥行6mm × 高5mm
 重量   5g
 価格   4,860円(5本セット)

姫フォーク   

 

〇 「月光値千金」展

2016. 8. 26 [イベント]
 

京都大吉とさる山の酒器展

 「月光値千金」展

 毎年恒例の展示会のお知らせ。秋の夜長を愉しむため、京都の大吉さんと東京のさる山さんが、酒の器と道具を列べます。初日夕刻には、展示の器でお酒も振る舞いますので、ぜひにお立ち寄り下さい。お待ちしております。


2016年9月17日(土)
       18日(日)
       12:00~19:00





















写真
手前右 「李朝無地刷毛目大盃」
    (李朝時代初期/継盃)
手前左 「白磁盃」
    (李朝時代初期)

 

〇 知られざる萬古焼の世界

2016. 8. 8 [日用品]
 

萬古焼きの本

 萬古の人と、本


 民のための民のこしらえる器、「民陶」。ふだん馴染みのない言葉の背後には萬古焼の源がある。
 庶民のためのやきものは三重県四日市で産声をあげた。江戸を発露に「古萬古」、「有節萬古」を経て明治に入るとその窯業はひとつの『産業』として敷衍し地場に根付くことになる。平板なもの言いをかりるなら「フロンティア精神」がその『産業』を支えた。フロンティアに活路を見出だす理由は、四日市の周辺に京都や瀬戸、美濃、常滑など既存の窯場が犇めきあっていた必然がある。しかし陶土の調達もままならない環境の裡からどのように「萬古」然の独自性をむくむくと発展させ、その地に拘泥せず海の外にまで裾野を広げることになったのか。この本はおもに明治から昭和を跨いだ成長期における「萬古」の力と知恵、その変遷を鮮やかに開陳する。
 書いたのは、内田鋼一。四日市を根城に作陶する孤高の人だ。内田はとくに『産業』期における萬古の何にも媚びない造形美に惚れる。伝統を凌駕し、あくまで生活圏内から引き出された自由な創意の虜になる。内田も四日市で築窯し独立を果たしたが、数奇な所産を遺した名もなき陶工たちの眼が自身の眼と重なり合うにつれ、現代萬古の風前の灯火に危機感を抱くようになる。四日市への恩返しにも想いを馳せながら、そして何より「萬古」を愛するがゆえに、昨年、まるで火入れのようにいきおい私財を投げ打って萬古オンリーのミュージアムをこしらえた。デザインを視座に収集し、アーカイヴするプロセスはまだ途上にあるが、萬古がそうであるように「やきものになにができるか」を問いつづけ、発信する拠点となっている。
 その彼が、たとえば萬古を「民陶」に括ったといえる秦秀雄や萬古のデザインに多大な影響を与えた日根野作三ら「萬古のキーパーソン」を語り、たとえばデザイナーの皆川明や小泉誠、蒐集家の舟橋健たちとの対話を積み重ね、膨大な写真資料を携えて、アングル、サイズ、ポジションを自在に変えながら萬古の魅力の伝播を試みる。やきものをこしらえる人がアツアツの一冊をこしらえたのだ。タイトルは「知られざる萬古焼の世界」。創意工夫から生まれたオリジナリティと後人へのヒントが真摯に刻まれている。


 この一冊は

 三重県四日市市、萬古工業会館にある「BANKO archive design museum」の公式書籍である。イラストを交えた萬古ヒストリーや、萬古そのもののカタチや色、食の設えなどなど、眼にも愉しい一冊になっている。

 作品名     「知られざる萬古焼の世界
            ー創意工夫から生まれた
                 オリジナリティー」
 著者      内田鋼一
 装幀/デザイン 山口信博、細田咲恵(山口デザイン事務所)
 写真      伊藤千晴
 編集      藤田容子
 編集協力    小坂章子
 印刷/製本   大日本印刷株式会社
 発行      誠文堂新光社
 サイズ     247 × 185mm
 ページ     240頁
 価格      3,780円

知られざる萬古焼の世界   

 

〇 立花英久の塑像展

2016. 6. 15 [イベント]
 

立花英久の塑像展展

 立花英久の塑像展


そこに
いなければ
僕らには
なにもない

レアリテと僕との間で ー14ー



2016年6月25日(土)から
7月4日(月)まで(会期中無休)
12:00~19:00







nothing / sculpture
hidehisa tachibana's exhibition
June 25 - July 4, 2016
12:00-19:00



 

〇 Leaves 立花文穂作品集

2016. 5. 18 [日用品]
 

立花文穂の作品集Leaves

 弟


 きみのことは知りすぎているひとである。だからますますわからないことがふえつづける。きみがこれからどこへ行くのかぼくにはわからない。わからないのがたのしいときみのことを思えるようになるにはこれだけの時間が必要だったのか、積み重なった紙々をかたわらにお茶をすすっている。父さんが几帳面にたくさんの紙を抱えて断裁機にセットして刃を下ろす、あのうしろ姿も遠い記憶だ、そうだろ。きみの背中を見ながら、たまに声をかけるよ、お茶でも飲みにいこうと。もっと見えるように次の本を掲げてここにいるよと手を振ってくれ。


 Leaves

 立花文穂のこしらえる本はおわらない。おわりかたを知らないのか、おわらせないのかわからない。はじめかたを知らないのか、はじまりがどこなのかもわからない。そんなものつくることはなかなかできそうにない。仕様もなく仕方がないことなのだ。
 彼はひとたらしである。人間も時間も空間も巻き込んだ巻物だ。巻かれることをこばんでこばんでこしらえた世界。ぺらぺらとはめくれそうにない。

 作品名  Leaves 立花文穂作品集
 作    立花文穂
 印刷製本 シナノ書籍印刷
 サイズ  B5判変型(240 x 200 mm /並製本糸縢り)
 ページ  320頁(オールカラー)
 発行   誠文堂新光社
 価格   3,780円

Leaves 立花文穂作品集    

 

〇 お酢入れ

2016. 4. 11 [日用品]
 

波佐見のお酢入れ

 餃子の包み方


 繰り返しの所作を目前に照らし出し、注視すればするほど目が離せなくなるように。
 ずっと見ているとそのことがそのことじゃないことに変わっていき、何か別のもっとほかにわけのあることに見えはじめてほしい。そもそもそのことがなぜ繰り広げられているのか、もっと言えば何がそこに閉じ込められようとしているかもわからなくなればなおさらいい。
 本来そういうことじゃなかったような、あるとき、すべてはまちがっていたんじゃないか、といったようなこと、それ以前に真偽を問うこと自体が意味をなくし、目的は見失われ目的という言葉がまだ見つからなかったよき時代に戻ってふと振りかえった途端、そこに見えるものはたぶん今まで見たことのないような、それが旅、と片付けようとする言葉の旅さえもやめてしまいたい。そのときあなたは立ち止まっているはず。それこそ今まで味わったことのない感覚で、ただ単に。
 たとえば自分の名前を何度も何度も書いていくと、書き順の虚構に不安は募り、名前という言葉そのものの疑いを疑い、文字がそのすがたを忘れ去って名前が付けられる以前のわたしと向き合っていることも気づかないまま、すなわちそうした瞬間が訪れることが待ち遠しいと感じ入るまではまだ序の口ではあるにしろ、わたしはわたしから離れてみたいという欲望の皮ぐらいは摘んでいる、そうでしょ。
 その手であなたが遠い人に手紙を書いていたということ、その手であなたは大切な人の手を探しにかかっていたということ、その手を上げて大きく振っていたあなたがいたということ、そういったはるかむかしの遠い記憶が向こうからやってくることを待ち侘びて、いつのまにか、同じ方向に向かってみんな並んでいる。


 このお酢入れは

 餃子は酢だけ。醤油も辣油もいらない、と言う人がいた。
 このお酢入れは長崎県波佐見でこしらえた。同じ九州の熊本天草で採れた天然陶石が素地の、磁器である。前回紹介した「醤油差し」同様に液垂れのない切れのよさが使い勝手の看板だ。
「醤油差し」の頁をご参考にしていただきたい。
 名は「お酢入れ」だが、云ってしまえばなんだっていい。前述の「醤油差し」で量が心許なければ、ちょっと大振りな、それこそ醤油差しにもどうぞ。
 何を付けようがかまわないでしょ、とその人が言った。いちいち指図しないで、って。自由に食べたいの。叱られた。
 先の「醤油差し」と対で使えばなおさら食卓を明るくしてくれる。あ、これもまた大きなお世話、かもしれないが、焼いてもみたくなるのです。

 商品名  お酢入れ
 素材   天草陶石、石灰釉
 製造   白岳窯(長崎県波佐見町)
 デザイン 猿山修
 制作   東屋
 寸法   幅92mm × 径65mm × 高81mm
 容量   120ml
 価格   2,052円
 

お酢入れ   
 

〇 チーズボードとチーズナイフ

2016. 2. 29 [日用品]
 

山桜のチーズボードと関のチーズナイフ

 はいチーズ


 このごろはそんなふうに言わなくなったのかしら。どこでもかしこでも容赦なくシャッターまがいの音がするようになった。この合言葉ももはや死語なのだろう。それにしてもところかまわず万事がオーケーと誰が決めたのか、「撮るよー」の合図からはじまったあのころの『一枚』っきりがなつかしいのだった。
「ところで、あの<はいチーズ>とはいったいなんだったんだろう」と友人が言った。ようはタイミングの話である。<はい>で撮影者が投げかけて、<チーズ>で被写体が応える(復唱する、という意見も捨てがたかったけれど)、そこでシャッターを切るのは<チ>の瞬間であるはずなのに、<ズ>でカシャ、その間の悪さが口角の上がった笑顔を通り越し、口のすぼんだなんだか判然としない表情に、あ、今のはちょっと、と気に喰わないまま置いてけぼりを喰らったようなときもあったと言うのだけれど、<はいチ/カシャ>と<はいチーズ/カシャ>のちがいは出来上がってきた写真が露わにするのであって、別に楽しみにしていたわけじゃないけれど、という体でそれでもなんだかんだで気にはなって見るのだけれどけっきょく写りのせいにして、おれはそもそも写真嫌いだーなんて写真の裏に焼き増し希望の名前も書き込まないまんま、思い出なんかいらないテキな面をしてみることもあった「あったあった」まあもとはといえばまるで号令のような掛け声ひとつで笑顔をこしらえようとしていたこっちもこっちなんだけど、と友人は前置いてから「しかし写真のうまさは今もむかしも数少ないシャッターチャンスであることにかわりはないよな」とあくまで被写体には責任のないことを、とりとめもなくケータイをかざす女の子を横目に見ながらそのくせ声を張って言うのだった。
 <はいチーズ>は、さりげなく差し出されるチーズに添えられた言葉で善しとしよう。「はいチーズ」そう言われて笑顔が自然と生まれればこれもまたタイミング、なのかもしれない。よって、酒もうまくなる。なーんて、友人はといえばメニューをぱらぱら開いてから「あったあった」と笑いながら店員さんを呼ぶのであった。

                        
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〇 土瓶

2016. 1. 29 [日用品]
 

伊賀の土瓶

 もうはじまってる、の?


 今年はどうなるんだろうと思っているともう一月も終わりかけていて、今年はどうなるんだろうと思いながらいつのまにか桜の咲いているところを見ているんだ、きっと。そう言えばどのあたりから「来年はどうなるんだろう」と思いはじめるのか、多分夏の終わりがすぎたあたりだろうかと思いあたると、今年はどうなるんだろうと思いながら暮らすことが一年の大半と言うかほぼそれで埋まってしまうことにはたと気がついてしまって、ああ、今年をおろそかにしておきながら来年に希望を託してしまうことを、どうやら「一年」と呼ぶ、らしい。そうやってよくもまあここまで生きてこられたなあというか、生かされてきたというか、生かしてくれたというか、どのみち他力本願なのだ。
 考えれば、なんでもかんでも道具に託すのになんだか似ているような気もする。お茶がおいしくいれられると聞き齧った急須で注ぐ茶は、ほらこの湯呑みで飲むとうまいじゃないかとか、いつもの米なのにその釜で炊かれるのを見れば、よくおかわりするわねえ、なんて言われる。フライパンや鍋、コーヒーメーカーなどなど何回も買いかえる人だっているって聞くし。今使っているものが今まさに使われているさなかにもかかわらず、あの新しくてもっとよさそうなの使ってみようかなあ、なんてよそ見して、ようは手許にあるものに愛情なんて注いでいないのだからそれに向かって「おいしく」だとか「上手に」だとか言ったところで当の相手は「わたしって、二番? 三番?」ちゃんと道具のほうに伝わってしまっているのではないかしら、となれば、おいしくもうまくもしてくれるわけがない。
 よし、今年を台無しにはしないぞ、と考えながら、いいえ、はじまってもいません、とだれかの声がしてそらおそろしいんだけど、もっとにちにち付き合いを深めて、今年のせいなんかにはしないよ、って、自分を磨く一年でありたいとありふれたことを思うに至って、年末買ったばかりの塗り椀を拭いているのだった。これで食べた雑煮、おいしかったなあ。
 でもって、目移りはじめに......。懲りないんだなあ、こればっかりは。


 この土瓶は

 三重の伊賀でこしらえたもの。先達の教え「土と釉は同じ山のものを使え」に倣い、伊賀の職人が、伊賀の土、伊賀の釉で、いうなれば伊賀づくし、「拘泥」の極みである(
「切立湯呑」参考)。耐火度の高い良質な土を荒いままに手技で成形、釉はとろりと黒飴、もしくは澄みきりの石灰。見てのとおりフォルムは同じでも、重みと軽やかさでお選びいただきたい。かわらずおいしいお茶がはいりますよ。静ひつの急須、賑わいの土瓶。使い分ければ、これ幸い、かも。

 商品名 土瓶(「伊賀の器」シリーズ )
 素材  黒飴/伊賀土、黒飴釉、籐
     石灰/伊賀土、石灰釉、籐
     ※直火にはかけられません。
 製造  耕房窯(三重県伊賀市)
 制作  東屋
 寸法  幅150mm × 径115mm × 高175mm(弦含む)/
     110mm(蓋のつまみまで)
 容量  約530ml
 価格  各9,288円


土瓶 黒飴   
土瓶 石灰